五、肝試し

入院は一日で終った。特に問題も無いと言う事で退院手続きは簡単に終わり、僕は何事も無かったように実家へ帰ろうとした。
すると、途中で立っている女性が居る。
「輝実さん…」
「輝くん、あのね、私は…」
輝実がしゃべり出すのを遮るかのように僕は大声で叫んだ。
「あなたは何者なんだ! 何で俺に付きまとう!」
「輝くん…」
「何だよ、姉さんって!」
「輝くん!」
輝実の声が少し大きくなった。
「私が怖いの?」
「怖くなんか…」
僕の声が小さく低くなった。
「怖いんでしょ」
「…」
「正体が分らないから、それに気持ち悪いんでしょ?」
 僕はフッと一息吐いて落ち着いた。
「あぁそうさ、本当の事を教えてくれ」
「随分と横柄な喋り方ね、心の乱れを隠す為の虚勢かな?」
(見破られている)
「それも仕方ないね、じゃあまずは一番大切な話からするね」
 一瞬の間があった。
「私は、この世に生きて居ないの、つまり幽霊ってこと」
 たぶん、大変な告白なんだろうけど、どこかで予想していた分、当然の事として聞いた。
「驚かないね」
「何を今更」
「あ~あ、大変深刻な告白だったのに、面白くないなぁ」
それまで硬かった二人の表情はこのコメントで柔らかくなって目を合わせて笑ってしまった。
「実はね、この世で生きていたのは5ヶ月くらいしかないの、だからお母さんのお腹の中しか知らないんだよね」
「じゃあ、お袋が流産したって事?」
「一応はそうなってるわ、でも本当は私が産まれる事を拒否して勝手に死んじゃっただけなんだよね」
「何で…」
「んー、お父さんが怖そうだったからかな? 古い話だから忘れちゃった」
 また、一瞬の静寂があった。
「でね、そんな勝手な私なのにお母さんは流産した事で自分を責めて、お父さんは誰も見ていない所で私の為に大声で泣いてくれたんだよ。
私、それを見て『とんでもない事しちゃった』って思ったの、でもその時には後の祭りだよね。
普通、産まれる前に自殺した子どもは、神様に特別に許されて、次の誕生に供えてすぐ天国に行けるんだけど、私はそんな両親を見ちゃったから神様のお迎えがこなくて、そのままこの世の中に残る事になっちゃったんだ」
輝実はそう言うと、手に少し力が入った。
「だから、私は両親とこれから産まれるかも知れない弟か妹を見守っていこうと思ったんだ。
それから2年ほど過ぎて、輝くんが産まれたの」
「じゃあ、本当に俺の姉さんなんだ」
「そうだよ、輝くんが産まれた時、お父さんもお母さんも本当に大喜びで、私の事なんか忘れてしまったんだと思った。
だから、本当に勝手なんだけど、私は輝くんの事を憎むようになっちゃった。
いつか、忘れられる人の気持ちを味わってもらおうとおもったんだよ、本当に勝手だよね」
僕は、何も言えなかった。
「それでね、ずっとずっと輝くんから離れなかった。
でも、小さい子どもって大人が見えない物も見えるみたいで、いつも私の方を向いて笑っていたんだよ、覚えてないだろうけど…」
「ごめん、覚えてない」
「あはは、当たり前だよ、覚えてたら逆に怖いもん」
「でも、最近まで夢は見てた」
「それは、私が見せてたの、いずれこんな風に会いたかったから…
でね、輝くんが歩き回る事から一緒に遊ぶようになったんだ、だから弟って可愛いことがわかったの。
でも、輝くんが溺れたあの日、私はイライラしてた…
あの日は、お母さんが私を流産した日だったの、毎年この日だけは私自身が後悔の念に押しつぶされそうになって苦しくなってた。
だから、いつもはこの日だけは輝くんに会わないようにしてたのに、あの時は何も気にしないで前の日に輝くんと遊ぶ約束をしてたんだ。
そして、急に思い出しちゃった…でね、目の前で笑ってる輝くんが憎くなったの。
悪いお姉ちゃんだよね、私は輝くんの後ろに隠れて、輝くんが川を覗き込んだタイミングで背中を押しちゃった。
私は、溺れる輝くんを呆然と見ていたわ。そうしたら、輝くん私を見て『お姉ちゃん!』って叫んだの、それまで一度も姉である事は伝えた事が無かったのに、知ってたんだね。
私は、助けようとしたわ、でもその前にお母さんが助けに来た、そして『今日をまた悲しい日にしないで』ってつぶやいてた。
私は、自分が間違えていた事に気が付いて、同時に輝くんを守っていこうって思ったの。」
「じゃあ、やっぱり」
「ごめんね、輝くん」
「いや、いいんだ。助かったんだし」
「ありがとう」
輝実は救われた顔で微笑んだ。
「まだ、続けていいかな?」
「勿論、全部教えて欲しいくらいだよ」
「輝くんが小学校三年生の時に同じクラスになったのが睦実さんだった。
私は、睦実さんを見た時に、この娘が輝くんの運命の人だとピンときたの、でもね、小学生が恋人作るなんてまだまだ早いと思って、お姉ちゃん根性丸出しで二人の仲が進まない様にしていたの。
睦実さんは、その頃からずっと輝くんだけを見てたんだけど、輝くんは何も気が付かなかったみたいだね。でも、お友達の天野直人君はちゃんと気付いていたみたいで、なんどか睦実さんを励ましてフォローしてくれてたんだよ、天野君が居なかったら、睦実さんの初恋はそのまま終ってたかもしれない。
これも、反省材料だね」
「そんな時から睦実を気にしてたとは、でも、もしかしてそのあと睦実と再会するまで僕に彼女ができなかったのは輝実さんの所為ですか?」
「だって、睦実さんに申し訳ないじゃない」
 あっさり答えた輝実だったが、青春時代、どれだけ相手を想っても、意を決して告白しても連戦連敗、ただの一度も彼女が出来ず、その度に落ち込む弟の姿を見るのはどんな気分だったのだろうか? もしかしたら笑って見ていたのだろうか? それとも見えないながらも癒してくれていたのか…
「輝くんが小学校の修学旅行に行った頃」
輝実が再び話を始めた。
「私は、憑依ができるようになったの」
「憑依?」
「そう、他の体にのりうつる事」
「なんか辞書みたいな説明だね」
「だって、これを見たもん」
そう言う輝実の右手には、どこから持って来たのか国語辞典が握られていた。
「…」(輝実さんってこんなキャラだったんだ)
「何、無視してるのよ」
「いえ、何でも」
「とにかく、話を進めるわね」
「わかった」
「輝くんが、修学旅行に行く少し前、私は憑依を覚えたの。
それでね、輝くんに憑いて奈良に行った時に近くに居た鹿に憑依し、輝くんに近づいたの。そうしたら輝くん、私に向かって玉子焼きを指し示してくれたんだ」
「ま、まさか…」
「そう、そのまさか…
 玉子焼きを口に入れた私は、初めて物を食べるという感覚に酔いしれてしまい、そのまま食べる事に関する欲が私を支配したの。
 その後は、ほぼ無意識の行動だった様でもあるし、ただ自分の欲に従っただけかも知れないけど、気が付いたら輝くんの腕に噛み付いていて、それでも止められなくて、どうしようもなく鹿から離れたら、鹿も私も落ち着いたんだよ」
「輝実さん、いや姉さん、今すごい告白したって分ってるよね?」
「えっ?」
「あの後、俺がどれだけ苦労したとおもってるんだよ~
今でも、鹿を見るのは恐怖なんだぞ!」
「ごめん」
「ごめんじゃ許せない」
「でも」
「絶対、同じ恐怖を味わってもらう!」
「でも、どうやって?」
「ん・・・無理かも」
「でしょ?」
「でも、何か口惜しい」
「仕方ないよ」
「それって、姉さんが言う事?」
「違うかもしれない」
「絶対違うって!」
この先は堂々巡りの気がした、そして僕にとって「姉さん」という呼び方が自然になっているのも不思議だった。
「でもね、この事件は私にとっても反省だったの、だから私はこの後は輝くんに迷惑のかからないところで憑依の練習をして、必要な時しか手も出さないようにしたわ。
大人になった輝くんが、睦実さんのお父さんが勤める会社に就職したのは偶然の事で私驚いちゃった。
そして運命の東京旅行―
向こうで睦実さんを見た時には二人の運命が強く惹かれているのを感じたけど、二人ともそれに気が付かないでそのまますれ違って、また何年も出会わないかも知れなかったの、だから私は睦実さんに憑依して輝くんに声を掛けたわ。
その頃には、日々の練習の効果があって、体の持ち主の意識を残しながら体を動かす事も出来たので、輝実さんにとっては自分から声を掛けたような感覚だった筈よ。
お膳立てさえすれば、あとは二人で勝手に恋を進展させていき、トントン拍子に結婚まで進んだわね、やっぱり二人は運命の人だったのね」
「お節介だなぁ」
「あら、弟の幸せを願った優しい姉だと思うけど?」
「確かに、睦実と早く出会えて良かったし、出会えても二人とも恋の押しが弱いからいつまでもお友達から進展しなかったかも知れないけど…」
「お姉ちゃんに感謝なさい」
「さっきは謝って、今度は偉そうで…、忙しい人だね」
姉さんは、そうだったかな? と言いたげな顔で僕を見た。
「ところで、姉さんはなんで今頃僕の前に現れたの?」
そう訪ねると、姉さんは下に視線を落とした。
「実は、もうすぐ帰らないといけないの」
「どこに?」
「産まれる前の世界」
「それって…」
「そう、神様が迎えに来てくれる事になったの」
「なんで、急に」
「もうすぐ、輝くんに子どもが産まれるから。
私が憑いていたら、いつまでも弟の輝くんで、父親としての弘前輝之になれないから、私がいつまでもお姉ちゃん根性が丸出しになっちゃうからかな」
「何だよ、それ。勝手だなぁ」
「ううん、最初が私の我儘で始まってるから、やっと元の形の戻ったのよ」
「それで、帰るのはいつ?」
「あさっての日没」
「急だよね」
「明日、街の神社で小さな夏祭りがあるの、そのお祭りに輝くんと一緒に行きたいって神様にお願いしたら許してもらえたんだ、だから、私は輝くんの夢で私に会えるように暗示したんだよ」
「でも、もし俺が実家に帰らなかったらどうするつもりだったの?」
「今なら絶対帰ってくると思ったわ、真面目な輝くんは、チャンスがあればお母さんにもお父さんにもそれぞれ会って行きたかった筈だもん」
「さすが、ずっと見ていてくれる姉さんだね」
 姉さんは照れながら「そうよ、そうよ」と頷いた。
「じゃあ、今日はこのまま実家に戻って、明日の夜はお祭りに出かけようか?」
明るい弾んだ声の姉さんは、僕の前に立って実家へと向かったのだった。
「バイバイ、また明日ね」
実家の前に辿り着いた姉さんはそう言うと僕の返事も待たずに闇に消えて行った。
「まったく、自分勝手なんだから…」
僕は、ため息混じりに呆れながらも「ただいま」と家の中に入った。

 夢を、夢を、夢を見なかった…
 こんな日は久しぶりだった気がする
 僕は、ぐっすりと深い眠りを楽しんだ。


「迎えに来たよ」
 夏祭りの日の夕方にやってきた姉さんは、どこで準備したのか、赤い浴衣をきた姉さんが僕を迎えにやってきた。
「よく似合うね」
「こらこら、お姉ちゃんを褒めても何も出てこないぞ」
「ちぇ、お好み焼きでもおごってもらえると思ったのになぁ」
「フフフ、甘~い、輝くんの性格は一番良く知ってるんだぞ」
「残念だったなぁ」
「とにかく、行こう」
「待って、俺も浴衣にするから」
「どっちでもいいのに」
「いいの、こういうのは気分が大事だから」
 僕が着替えに手間取っている間に、辺りは真っ暗になってしまった。

街の神社へ向かう道は少し山道を進まなくてはならず、その道中には闇に支配された場所も幾つかある。
そんな場所へ来ると、小さな黄緑色の光が、優しい風の波乗りを楽しんでいた。
「蛍」
 姉さんが呟いた。
「蛍って死んだ人の魂って言われてるけど、おかしいよね、だって私は蛍じゃないもん」
「そういえば、聞きたかったんだけど」
僕は、思い出したかのように尋ねた。
「何?」
「姉さんの姿って常に僕より少し上の年齢みたいだけど、何故?」
「私は、死んでからも成長してるから…
ちゃんと人生を送った人は、死んだ時の姿のままで居るそうなんだけど、私はその前に死んじゃったから魂のままで育って行ってるんだよ」
「じゃあ、色んな知識は?」
「フフフ~ 勉強したの。って言いたいんだけど、実は他人に憑依するとその人の知識が意識に残るんだ~ だから、勉強しなくても憑依するだけで知識人になれちゃうって事」
「えっ、そんなに楽なんて羨ましい」
「一度、死んでみる」
「いや、それは勘弁」
「あ~あ、仲間が増えると思ったのに」
「恐ろしい事考えるなぁ」
僕は笑いながら震えるふりをした。

姉さんが楽しみにしていた夏祭りは、僕にとっても懐かしい思い出となった。
「こうしてるとデートみたいだね、睦実さんに悪いなぁ」
 僕は慌ててしまった。
「ここで、それを言う」
「あらら、やましい事があるんだ~」
「実の姉相手にない!」
「でも、出会ったのは三日前だから姉って実感ないかも」
「う・る・さ・い」
「はは~怒った~」
「全くもう」
こんなやり取りを繰り返したが、その度に周囲から変な目で見られた…
「よく考えたら、姉さんの姿は他人に見えないんだから、一人芝居に見えるのか…」
「気付いたんだ、恥かしい事になってる輝くん」
なんか、むかつく…

そんな楽しく大騒ぎだった夏祭りも、終わりを迎えようとしていた。
「もう、終っちゃうね」
姉さんの淋しそうな声が印象的だった。
「輝くん、もう一つお願いがあるんだけど」
「何でも良いよ」
「本当! じゃあ、私、肝試しがしたい」
「は?」
「輝くんがまだ小学校の時に、天野君や睦実さんや他のクラスメイトと一緒に夏祭りの後に肝試しをしたのを覚えてる?」
「そう言えば、あったかなそんな事」
「あの時、輝くんと睦実さんがペアになったのは?」
「…覚えてない」
「睦実さんは最近思い出したみたいだよ」
「思い出させたんじゃないの?」
「まぁ、それは置いといて」
「図星か」
「いいの!」
深く知れば知るほど姉さんは子供っぽくなって行く…
「それでね、その肝試しがとっても面白そうだったから、一度やってみたかったの、いい?」
「」
「わかった、じゃあ、神社の裏の小さい山で肝試しをしよう」
「ありがとう」
「暗いし、足元悪いし、本当に出るところもあるらしいから気を付けないといけないけど大丈夫?」
「何、言ってるの、私は輝くんのお姉さんだよ」
(だから不安なんだよ)僕は、言葉に出せない言葉を飲み込んだ、そして夏祭りの後始末も終りつつある神社の裏に回って暗い山道に足を踏み入れた。

足元の悪い山道は僕と姉さん以外に誰も居なかった。
「これ持って来ておいて良かったよ、念の為だったんだけど…」
 そう言いながら僕は懐中電灯を灯した。
「輝くん、偉い!」
「ふっ、当然、でももっと褒めていいよ」
「う~ん、それ程でもない気がする」
「ちぇ、なんだよ中途半端な褒め方だなぁ」
闇に吸い込まれないように、お互いを鯛かめる為に僕達は必要以上に声をだして相手の存在を確認し合った。
でも、やがて恐怖に押し潰されて二人とも黙ってしまった。

静観の道を話のないままどれくらい進んだだろう。
「何か出て来そうで恐い」
 姉さんが小さい声でそう呟いたのを僕は当たり前の様に聞いた。
赤い浴衣の下にで胸をドキドキさせている様子が何となく伝わってきた。
「大丈夫だよ、幽霊なんて居る訳ないじゃないか」
姉さんを勇気付けるためにそう言った僕だったが、その時にハッと気が付いた、となりに居るこの女性こそがその居るはずのない幽霊だって事に…
「幽霊でも幽霊が怖いの?」
 思わず僕は聞いてしまった。
本物の幽霊のお供をして肝試しをしたなんて話を睦実にしたら信じるだろうか?
「いや、笑われて嘘つき呼ばわりされるのがオチだな。」
思わず声に出してしまう。
となりの姉さんが「何っ?」と問いたげな顔で僕の方を向いた。
「幽霊って言っても、全ての霊を知ってる訳じゃないんだし、生きてても他の人がみんな信用できる訳じゃないでしょ? それと一緒だよ。
死んだからっていきなり幽霊の事は全部判らないよ」
そんなものかと僕は思った。
「でも、生きてる者からしたら滑稽だぞ、幽霊が肝試しを恐がるなんて」
姉を恐がらせない様にできるだけ明るく声を上げたが、もしかしたら本当は僕の方が恐かったのかもしれない。その事は気付かれなかっただろうか。
「早く終わるといいね、でも終わって欲しくない気持ちもある」
山の中の暗い道を歩く二人は自然と手が重なっていた。
「手、暖かい。」
姉さんは僕を見て微笑んだ。吸い込まれそうなくらい純粋で僕を魅了する笑顔だった。
姉の手は人の温もりを持っていた。
(幽霊は氷の様に冷たいんじゃなかったんだ…)
どうでもいい所で妙な発見をした僕の口元をしっかり見ていた人が居たならば、僕が苦笑いをしていたのが判ったはずだ。
 それが判った人は居ない。今この道には僕と姉しか居ないのだから。
ただ、道の周りに一杯に散らばる小さな光の主は見ていた様だ、まるで僕をからかうかのように目の前をゆっくりと一つの光が流れて行く。
 僕は右手に持っていた懐中電灯の光を消した。
そうすると、周囲の小さな光達が地面に満面の星空を演出していた。
夜空に広がる星達と地面に広がる星達はまるで互いに競い合いながらも助け合う様に人工では織り出せないハーモニーを奏でている。
自然に立ち止まった僕とその役を果たそうとしない懐中電灯に不信感を感じる事もなく姉もこの世界に浸っていた。
カサッ
近くの叢で音がして地面の星達のショーが終了し、僕も我に返った。
「恐い事がなかった代わりに素晴らしいものを見る事ができたね」
僕が話し掛けた時に見た姉は泣いていた。
「私、死にたくなかった。生きたい、生きてこんな光景をもっともっと見たい。死んだ後の目で見たくなかった。生きたい生きたいよ」
それが姉の本音だったに違いない。
いくら姿を大人にしても、生まれる前に亡くなった姉が心の中まで大人に育つ事はなかった、でも、生きている僕は確実に大人になっていた。それに合わすには無理な背伸びも沢山したはずだ。
でも、この言葉が終わった時には姉さんはいつもの通りに戻っていた。
「ごめん」
それだけ小さく呟いた後に…
そんな姉さんの姿を見ると、急にいとおしくなった。そして、それがまるで自然の成り行きのように彼女を抱きしめた。
 僕の心臓の傍らで彼女の耳には僕の生きている証が早くなっているのが聞こえたに違いない。
その音を避けるかのように彼女は顔を上げて僕を見た。そして、二人の目は交わって離れる方法を忘れてしまった。
今、この瞬間にどんな邪魔が入っても二人には関係なかっただろう。
当然の行為として二人の唇は近づいて行った…
「男って、奥さんが妊娠すると浮気し易いって言うけど、本当なんだね」
姉さんは右手で僕の口を押えてそう言った。
「ましてや、私はお姉さんなんだよ」
「いや、そういうつもりじゃ…」
たじろぎながら僕が言う。
「嘘、睦実さんに言いつけてやろうかな~」
「それだけは、お許しを~」
僕はおどけてそう答える。そこには少し前とはうって変わった賑やかな雰囲気が流れていた。
「はははは」二人で顔を見合わせて大声で笑った。
「ふ~、さぁ、帰ろう」
睦実が僕に見せる様な無邪気に明るい顔で、姉は僕の手を引きながら帰路へと付いたのだった。

 次の日も、僕らはまるで子どもの様に無邪気に精一杯、与えられなかった時間を取り戻そうとするかのように。

古楽
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古楽

作品目次
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