Ⅳ
敦賀の方は、新疋田から見た敦賀湾。そして気比神宮。さかなセンター。越前海岸。高低差を活かした立体的なツァーになっている。
また、敦賀より少しだけ西へ小浜湾での若狹青少年センターをベースにして、カッター漕ぎ、ウォーキング、薪作りと焼きそば造りなど、立体的である。
さらに、三方五湖も高低差を活かしたものだった。
「立体的な構図が、いかにこれからの時代に必要であることか!」
ドラゴンは、繰り返し強調した。
ドラゴンは、西濃エリアで他にも水の町・大垣、谷汲山、中山道探索を結ぶプラン、徳山ダム、藤橋城、坂内村を結ぶプランを挙げ、いずれも立体的な構図を活かしていることを挙げた。岐阜城、中山道探索、鵜飼にしても例外ではない。
*
ながはまプロジェクトを考えるドラゴンを代表とする私たちのグループに対して、新たな壁の問題が立ちはだかった。
「今に始まったことではない。若い世代が都会に出て行く。困ったことだ。特に豪雪地帯の余呉町では、若者の流出が止まらない」
「代表。木ノ本町だってそうです。二~三年前の夏に【大見憩いの広場】へ宿泊体験をした時、【大見憩いの広場】は他府県から来る家族連れなどの人で賑わっていたけれど、大見集落には廃屋や空き家が目立っていた。私はグループで散策したのだけれど、何ともいたたまれなくなった」
彩香が指摘を加えた。
私にとっても、過疎化という思わぬ敵は、想定されることであった。
「立体的に長浜をとらえ直そう。絶対に良いアイディアが生まれるはずだ。産業が無いと食べていけない。その地域だけにしかない資源は何だろう?」
「代表。それが分かれば苦労しませんよ。でも、探さなければならない。絶対にあるはずだと思います」
「久保さん。良いことを言うじゃない」
ええっ、どうしよう。ドラゴンと合うじゃない。平面的なものの考え方をしていたのでは発展は無いと思う。
「木ノ本町にある賤ヶ岳へ行こう。もちろん仕事として。今ならシャガの花が綺麗だから。どうかな?」
ドラゴンが皆の顔色を伺った。
私は、ニコニコして対応した。彩香と眸を見ると何度もうなずいていた。
「ながはま焼とチョコッとながはまの店頭販売をしばらく工場の従業員出向でお願いしてみる」
梅本総務部長は、早速、スマホに手をかざした。
連絡し合った後、梅本総務部長によると、実施日は、五月十一日、金曜日とのことである。
*
五月十一日。午前八時。
爽やかな新緑の風が、優しく吹いている。
私と彩香、眸の三人は、集合時間より三十分ほど早くリフト山麓駅駐車場に到着した。
「このリフトは何処の会社が運営しているの?」
彩香が私に尋ねた。私は同時に眸の視線も受けた。
「確か近江鉄道。廃止にしないで欲しいわね」
「近江鉄道か。北陸自動車道の賤ヶ岳サービスエリアも経営しているはずよ」
眸は感慨深げだった。周りに幟がいくつもあり、「賤ヶ岳七本槍」の、七人の武将の名前が記されている。
「全部、秀吉の子飼い大名なの」
「遙。ということは勝者ばかりね?」
私はうなずいた。
「七本槍とは、福島正則。加藤清正。加藤嘉明。平野長泰。脇坂安治。糟屋武則。片桐且元の七人です」
眸は、ハッキリと答えた。
「勝ち組よね」
私は、天正十一(一五八三)年四月十六日頃からの賤ヶ岳の戦いは、秀吉の天下取りへの地盤を固めた戦いだと思っている。秀吉と柴田勝家という、ともに織田信長の有力家臣であった武将どうしなのである。
「秀吉は心細かったと思う。秀吉自身には譜代の家臣を持っていなかったためだ。だから、七本槍という配下の勇名をアピールせざるを得なかった」
「代表。さすがですね。鋭いご指摘」
梅本総務部長は、七本槍と呼ばれた人物の、秀吉政権下での立場と、関ヶ原の戦いでの立場に言及した。
*
ほどなく、態勢を整えて出発。
リフト乗り場まで直行。
「わーっ。シャガが一面に咲き誇っている。綺麗!」
私は思わずスマホでシャッターを切った。
「久保さん。リフトに乗りながら、撮るとさらに良いよ」
杉田事務局長の指摘で、私はシャガに釘付けになった。
「彩香、先に乗って」
「眸、どうぞ」
私は、女子三人組の最後のリフトに乗った。シャガの天国である。これは、すごい。私は、何度もシャッターを切り続けた。
リフトって最高だ。左手をしっかりとリフトにつかまってさえすれば、右手は自由である。高度が次第に上がっていく。でもシャガの群生の迫力は衰えを知らない。自然のエネルギーを感じる。最高!
リフトの終点が見えてきた。皆、私を待っていてくれる。私は、空に吸い込まれそうな錯覚にとらわれた。
「最高でした」
私が待っていた皆に言うと、ドラゴンは首を横に振った。
なぜ? 分からない。もっと良い景色があるとでも言うの? 賤ヶ岳の山頂なら、私は前にも来ている。山頂からの眺めがあるからと言いたいの? ハッキリして頂戴!
私は心の中でドラゴンにメッセージを送った。しかし、ドラゴンを先頭にしてゆるい登りを歩いて行くだけだった。
「着いた!」
ドラゴンの声が響いた。
「さあ、此処からの景色をたっぷりと見て感じましょう」
ドラゴンは、そう言うけれど、たっぷりなのは時間だけで、私の心まではたっぷりにならないのだ。でも、ドラゴンは、たっぷりそうだった。
何なの? この違いは!
彩香と眸は、反対側の余呉庫方面の風景に惹かれている様子だった。それぞれのスマホのシャッター音がかすかに聞こえ続ける。
「あの小さい湖を余呉湖というのね。柴田勝家が秀吉に負けて越前の北ノ庄城に退散した。そこで妻のお市の方とともに自害して果てた。何と言う悲劇」
彩香の言葉に対して、眸は首を横に振った。
「どうしたの?」
「この場所は秀吉の居た所。だから勝者の場所なのよ」
「近くに大岩山がある。そこで秀吉側の武将・中川清秀が戦死したけれど」
彩香は私に逆に問いかけているかのようだった。
「でも、それをバネにして、秀吉軍は柴田勝家軍に勝利した。賤ヶ岳の戦いで、秀吉が、織田信長の後継者であることが確定した」
「おーい。見ている方向が違うぞ」
ドラゴンの声がした。
私たち三人は、ドラゴンの居る所に吸い寄せられた。何と、そこには梅本総務部長と杉田事務局長も居た。
「この景色を見て、何を感じるかを聞きたい」
ドラゴンの問いかけに、私たち三人はたじろいだ。私は何も感じない。前は、田圃、置くに伊吹山、手前には賤ヶ岳から続く小さな尾根が山本山へと続いている。小さな尾根の右側には琵琶湖があり、湖中には竹生島が浮かぶ。
立体的である。
「じゃ松木さん」
「伊吹山と琵琶湖。その間に平野があります。大和湖と平野。絵になる光景だと思います」
「それでは宮本さん」
「古戦場にかこまれているって感じです。山本山は山本義経。小谷山は浅井亮政、久政、長政。賤ヶ岳は秀吉と七本槍。これらの山に囲まれた中に田圃。新しさを感じません」
「次に久保さん」
「代表さんは何かがあるという顔をされています。私は、まだ何なのかが分かりません。教えてください」
ドラゴンが思わず笑った。
「何を感じるかを聞いているのに、何かが分からないとは質問の意味に答えていないよ」
「すみません。じゃ、申し上げます。田圃の輝きです。何か後光が射している田圃のように感じるのです」
「おー、良いね。具体的に何が射しているのかを知っていますか?」
「宗教的な力ではないと思います。でも、それが何かはよく知りません。教えてください」
ドラゴンは息を大きく吸った。
「比叡山だよ。世界文化遺産の比叡山の大きな力を受けている」
私は、そこが分からなかった。比叡山とは、大津と京都の境にある標高八四八メートルの山並み。京の都においては表鬼門にあたり、湖北であるこの地とは無関係だと思った。
彩香を見ても、眸を見ても、分からない様子だった。
でも、梅本総務部長は、クスッと笑った。知っているのだ。
杉田事務局長は、そこまでは知らないようだった。多分、私たちと同じだと思った。
「梅本部長から話していただきます」
「えっ? 僕から言うのですか。代表からどうぞ」
「了解」
ドラゴンが何を発するのか、私は注目をした。
「此処は比叡山延暦寺の荘園で富永(とみなが)荘(しょう)と言います。鎌倉時代からの荘園だった」
「山門関係の荘園なら、他にもいっぱいあるのに、なぜ此処だけが特別なのですか?」
私はドラゴンに問いかけた。
「きちんとした性格ね。別に特別であろうがなかろうが、どうでもいいじゃない。昔話だもの」
「彩香。遙は真実を明らかにしたいのよ。尊重してあげれば?」
眸の言葉は、私にとって、ほっとするものだった。
「久保さん。特別な理由は比叡山延暦寺のすべての荘園の中で【聖供の地】とされているところが三ケ所ある。東近江市能登川の栗見荘、高島市の木津荘、そして富永荘だ。荘園からの年貢収入は延暦寺の確固たる収入になるので、良米でなければならない」
「逆に言えば、富永荘は良米を産出していた」
「そう。良米を拠出するために、支配系統もしっかりとしていた」
ドラゴンによると、富永荘の支配系統は、三つの可能性があるとのことだ。
① 荘園領主―惣(そう)政(まん)所(どころ)―代官―中司
② 勘定衆―惣政所―中司
③ 山門使節―惣政所―中司
この三つである。富永荘のそれぞれの村には荘官が居て、村(郷)ごとに惣村がつくられていた。中心となるのは井口日吉(ひえ)神社である。日吉神社とは、日枝神社、山王大権現とも言われ、比叡山と深い関係にある神社である。
「比叡山延暦寺の麓には、日吉大社がある。全国の日吉神社の総本山だ」
私たちは、ただうなずくしかなかった。
「しかも、富永荘は聖供之地随一と言われていた。井口日吉神社文書に、はっきりと記されている」
しかし、私には、まだ納得がいかなかった。賤ヶ岳山頂から見える田圃一体が、なぜ神々しいのかが分からない。
そんな時、眸が何か言いたそうな表情をした。
「どうしたの?」
「あのね。オコナイが湖北に集中しているでしょう。何か関係があるのかなと思って」
「さあ、私の出番だ」
ドラゴンがいきまいた。
オコナイ。滋賀県では湖北、湖東、湖南、湖西ブロックの、湖北エリアに特に多い。毎年一月から二月、あるいは三月一日(川道のオコナイ)に五穀豊穣を祈願する厳粛な神事である。
「代表。オコナイの中身はどんなものですか?
ドラゴンは、自らは体験していないと断ってから、皆に説明した。
オコナイとは修正のオコナイと定義され、修(しゅ)正(しょう)会(え)、修(しゅ)二会(にえ)という比叡山延暦寺のような旧仏教系寺院で行われる正月行事のことである。オコナイとは精進潔斎すること、祈祷することを意味する。オコナイは、村の年頭行事であり、オコナイの番に当たった家を中心に、大きな鏡餅を搗き、繭玉という大きな餅花を作る。鏡餅は先祖の霊魂を象徴し、鏡餅によって霊魂を鎮護し、鏡割り行事で、鏡餅を切ったものを村人に配り、それを食べることによって一年の幸福を願う。繭玉は、大きな木の枝に小さな餅をたくさんつけて稲穂をかたどったもので豊作祈願を意味するものである。
先祖の霊魂を祭り、五穀豊穣を祈願する。奥深く時代に継承していきたい素晴らしい文化である。
「でも、それだけで神々しいという感じはしないよね。彩香、遙、そうは思わない?」
私がうなずこうとする半歩手前で、杉田事務局長が言おうとしていた。
「延喜式内社の多さですよ。旧伊香郡四十六座は、滋賀県のすべての式内社のなかで群を抜いて多い」
これで謎が解けた。
パワースポットなのだ。
比叡山から湖上を越えて湖北の地へ。立体的だ。
「湖北は全体がパワーゾーン! これは言われてみたら、そうだという感じで、まだ誰も認識していないわ。代表。これが売りです!」
「やっと分かってくれたか。嬉しい! 早速、さらに深める」
*
「何か従来は平面でちらえるパターンでね。観音の里。北近江リゾート。西野水道。これらを立体的なパターンに組み込まなければ」
「松木さん。立体的なものを活かすことは従来からあった。賤ヶ岳、小谷城跡、奥琵琶湖パークウェイ」
杉田事務局長は反論した。
「全国で此処だけにしか無いものを考えよう。全国に発信出来る。既視感の無いものを組み合わせれば、ずっと良くなる」
梅本総務部長の指摘である。
私は思う。パワーゾーンはそう無い。霊場とまではいかないが、観音の里として十一面観音が集約しているものも大きな強みとなる。これをはじめとして、冬期のスノーシュー体験、余呉湖のワカサギ釣り、丸三ハシモトさんの和弦は全国に発信出来る素晴らしい存在だ。
富永荘内には、向源寺、冷水寺、西野薬師観音堂、赤(しゃく)後寺(ごじ)、正妙寺、石(しゃく)道(どう)寺(じ)、己(こ)高閣(こうかく)および世(よ)代閣(しろかく)などがある。これらの観音様は比叡山とは関係が無いが、パワースポットを強調するものとして貴重である。
「各世代にまんべんなくアピールできるように。また日帰り型のみならず、宿泊型も模索すべきだと思う。きっと成功する」
ドラゴンが力強く締めくくった。