2.いらいらするーっ
これまで結構な回数お祓いをこなしてきた。環は今、電車からぼうっと外を眺めている。
あれからたまは、ずっと環の傍らにいる。命様が言ったように、他の人には全く見えていなかった。うっかり人が集まる場所でたまと会話すれば、環はたちまち独り言をぶつぶつ呟く変な人になってしまうので、2人きりの時以外はガン無視である。
「環! 環! あそこおかしいよ。あそこの田んぼの……ほら、1カ所稲が少し小さい。力がなさそう」
「えー」
環は困惑した声を出した。
今は電車の中である。たまが指した場所に行こうとすると、途中下車してそこまで徒歩だ。結構な距離がありそう。
でも、命様と約束した。穢れを祓うのは私にだけ託された大事な仕事。災いが起こらないようにしなければ。
環は自分に言い聞かせると、河毛駅で降りてたまと一緒にひたすら東へ歩いた。秋の夕方の少し涼しい風の中、まっすぐな道を途中で南に入る。そこからまださらに距離はありそうだ。
「すごいダイエットメニュー」
環がそう呟くと、たまは不思議そうに首を傾げた。
「こんな距離歩くなんてなかなかないて」
「こんな距離て……。そんな距離でもないやん。私がいた頃は、環があの電車とかいう乗り物使って行ってる場所へも歩いて行ってたで。便利やなとは思うけど、環、ちょっと体がなまってるん違う?」
環はちょっとムッとすると言い返した。
「すんませんね、現代人で。自転車使うし電車使うし車使うし、こんなに自分の足で歩かんでもいいように便利にできてしもてるんですわ」
嫌味ったらしく言うと後は無言で歩く。河毛の集落は通り過ぎた。でも、この刈り取り間近だろう稲の波を育てているのは河毛の人たちだろう。土手にはコスモスが咲いていて、コオロギが鳴いている。用事がなければ恐らく絶対自分の足で歩かない場所だ。
「着いたわ。ここや」
たまがそう言った。
環は無意識にたまを自分の背後に退かせる。以前、何も考えずに一緒に穢れに近付いて、たまが穢れに当てられて3日寝込んだことがあった。
穢れは確かにそこにあり、そしてそこだけではなかった。そこが始まりで、ずっと山の方に点在している。
「うっわ、いくつも……」
環はそれを丁寧に祓って歩き、そして気付いた。
「なあ」
「ん?」
環の声かけにたまは軽い調子で返事をする。
「穢れってよ、神社の方に向いて並んでることが多いように思う。でも、不思議と神社の中にはないよなぁ。それはやっぱり、神社には弾かれるん?」
その質問に、たまは少し黙った。恐らく環がそれに思い当たったのだろう鳥居をじっと見つめて、少しばかり不機嫌な表情になると、独り言のように呟いた。
「弾かれんよ。でも、入りたくないんやろ。神社は神様の依代や。入ったらすぐにお縄になる。逃げ回ってるんやと思う」
ふいっと、たまは踵を返して元来た道を戻り始めた。環は後ろを振り返りながらたまの後に続いた。
「何がしたいんやろ、その人」
「さあ! 知らんわ!」
たまの怒りは環に向けられたものではないことはわかっているが、気分のいいものではない。
「たま、言い方よ。私、手伝ってる人。あんた、お願いしてる人」
「そうやね。堪忍」
それでも、たまの雰囲気は少しばかり憂鬱さを残していた。
未だにたまは、その脱走犯が誰なのかを教えない。心の中はそのことでいっぱいのはずなのに、絶対に口にしようとしなかった。電車に乗り直し、環はもう何も問おうとはしなかった。
穢れは、千田を最北端に南へ少しずつ現れた。湖岸、特に港になっている場所にも現れた。もはやプチ旅行である。環の足はどんどんと鍛えられて、気がつけばどれだけ歩いても疲れないようになっていた。
外出が増えた環の行動を不思議がる親には体力作りと言い、深くは介入してこないことに感謝する。突っ込んだ質問などされては説明が難しすぎる。
「あちこちに穢れ振りまいて、困った人やなあ」
環が何気なくそう言うと、たまはムッとして環を睨みつけ、
「どんな人か会ったこともないのにそんなこと言わんといて欲しい!」
と、怒鳴った。
なによ、ほんまのことやん。と、環もムッとする。付き合っているのは自分だ。
それにしても、命様はその脱走犯を見つけるのに時間がかかりすぎなのでは、と環は思った。神様なのに、どうしてそんなに手間取っているのか。相手は人間である。サボっているのか? まさかそんなことはないとは思うが、神様を上回る力を持っていて捕まえられないのなら、それはもう神様なんじゃないか?
環の頭の中は疑問だらけ。
たまは相手がどういう人なのか全く教えてくれないし、聞くと怒るし、あれ以来、命様も姿を現さないし、穢れを祓うことは大事なことだと今では体験でよくわかっているけれど、振り回されているのは神様ではなくて自分ではないか、なんて感じてしまう。
あー、なんか、イライラするわー。