3.怒りのゆくえ
「なんでこんな……」
今までいろんな場所へ穢れを祓いに行った。環が学校へ通う距離を直径として、そのくらいの範囲は動き回った。
穢れが残る場所は、崖崩れを起こしていたり、草木が弱っていたり、どこかの家の誰かが原因不明の病気で寝込んでいたり、動物が弱っていたり、様々なことが起こっていた。
けれどこれは初めて。
それも、あんなにいろんな場所に行ったのに、よりにもよって千田のすぐ南。小字名が岩田という場所で、田んぼしかない。もともと昔、近くに石作神社があって、その旧跡に石が置かれ祀られている場所と北近江自動車学校の間の田んぼである。
刈田だったからまだしもよかった。稲の波が元気な夏だったら、お米の収穫大打撃だと思われるくらい、田んぼが大きくえぐれ、クレーターのようになっている。
「何をするかな、びっくりするわほんま……」
環は唖然としてその穴を見つめた。穢れを祓うとして、この穴をどうしようか。祓えば穴は塞がるのだろうか。隣でたまも心配そうに、そしてちょっと狼狽えながらそれを見つめている。
「とりあえず祓うわ。早うせんと夢ファームのおっちゃんらに見つかったら大騒ぎになってまう。たま、退いてて」
環は榊を呼び出し、祓い始めた。
「祓い給い 清め給え!」
結構な穢れで、環は祓いきるまで何度も榊を振った。相手は長い時間ここに居たのかも知れない。この状態は尋常ではない。
やっと祓い終え、さすがに環も聞かずにいられなかった。
「たま、どういうことなん? あんた、なんでその人がこんなことするんか、わかってるん?」
すると、たまは黙ったまま首を横に振った。
環は少し困惑して、たまの気持ちを大切にしたいために聞かずにいたことを、とうとう口にした。
「たま、教えてくれんか。私はその人がなんでこんなことをするのか知りたい。祓えばいいってもんやないと思えてきた。相手の気持ちというか、動機にも気を向けんとあかんような気がしてきた。理由もなくこんなことせんやろ普通」
環が話している間、たまは黙って俯いていた。少しずつ、たまの瞳に涙が溜まってきて、ぽとりと1つ下に落ちた。すると不思議なことに、その涙から波状の光が発せられ、穴がもともとなかったかのように消えた。
環はその様子を見て驚き、たまの方を振り返り、そんな力があるのかと不思議そうに見つめた。だが、たまは首を横に振って苦笑した。
「今のは命様がされたんよ。ちゃんと見ててくださるんやね。そうやね……。環はようしてくれてる。私は言わなあかんやろね」
2人はそのまま黙って家まで帰り、環の部屋へ入ると向き合った。
しばらくの沈黙の後、たまは話し始めた。現在の千田の人々が、なんとなく聞き伝えている大昔の伝承物語。玉作の連の悲劇の話。
たまが生きていた頃、それはまだ神代の時代だった。物部氏が千田の南の方を統治し、氏らの装飾品やお守りなどを作る技術者として帯同してきたのが千田の石作の連、玉作の連である。祖は玉祖命。玉作の正当な継承者集団である。
たまはそこに生まれた。たまが作る勾玉は大変質がよく、物部氏だけでなく多くの豪族に求められ、天子様にも献上することとなった。そして、一躍有名人となる。
たまは腕前だけでなく、当時では他にない美貌の持ち主だった。そのことも合わせて広く世の中に知られていった。
たまは村長の息子に輿入れすることが決まっていたのだが、この時事態は急変した。千田を去らなければならない事件が起こったのである。
「何があったん?」
環は話の要となるところなのだろうと予測して、恐る恐るたまに尋ねた。
「1人の荒くれ者が千田に入ったんよ。私のせいで」
たまはそう言った。
たまの美貌を聞きつけた荒くれ者は、たまを見にやってきた。そして見つけるとたちまち惚れ込み、嫁に欲しいと言い出したのだ。
たまの両親も村人たちみんなも、大反対した。その荒くれ者は千田でも名前を知らない者がいないほど、その名を広く轟かせた大男。
「さぶろう」
「え?」
たまの小さな小さな声を、環は聞き取ろうと耳をすませた。
「さぶろうと言うの。その荒くれ者。私を嫁にもらえないとわかったら、怒り狂って大暴れしたのよ。千田の村はメチャクチャになってしもたの。さぶろうは普通の人の倍ほども背丈があって、ものすごい力持ちだった。伊吹山に住まいしていて、そこら中を荒らし回るたった1人の山賊みたいなもん。伊吹山に引き返していったのはよかったんやけど、気持ちは収まらなかったんやね。伊吹山からこんなところまで、ぎょうさんぎょうさん岩ほどもある石を投げつけてきたんよ」
「は? 何それ。そんなことできるん? 伊吹山やで? 絶対届かんて」
「そう思うやろ?」
環が不思議そうにしているのがおかしかったのか、たまはくすりと笑った。
「さっきの場所な、岩田ていう場所。その北隣が玉作っていう場所で、そもそも私らはそこで仕事をしてたんよ。その岩田にさぶろうは一番大きな岩を投げつけた。畑や田んぼは石だらけになった。不思議と家の方には投げんかったけど、千田は大変な目に遭うたのよ」
そしてたまは、両手で悲しそうに歪めた顔を覆い、震える声で呟いた。
「私のせいで」
「いや、それちゃうと思うなあ。たまは何もしてんやん。やってることは豪快やけど、幼稚臭い怒り方やわ。腹が立ったから石を投げつけるて……」
環がそう言うと、たまは顔を隠したままクスクスと笑った。
「そうやね」
そして、大きなため息を吐いた。環にはそれが、困っているというより心配しているように見えてならなかった。穢れを見つける時のたまの瞳はいつも真剣で、見落としがないかと周辺一帯くまなく見回しているのを知っている。
「たま? 大丈夫? 辛いんやったらもうええで?」
環は少し心配になってきた。自分はたまに辛い過去の話をさせている。
「大丈夫や。ここまで話したんやもん。ちゃんと聞いて」
たまは両手を降ろすと、今度はしっかりとした顔立ちになって、話の続きを始めた。
たくさんの石を投げつけられて困り果てた千田の村は、どうしたものかと困惑した。だが、いい解決法など出て来なかった。なすすべなし。飛んでくる石が収まるのを待つしかない。
この状況を、たまは他人事として考えることなど到底できなかった。理由が理由である。
そして一大決心をする。伊吹のさぶろうのところへ嫁に行くと。
それしか事態を収める方法はないと思った。大切な村がメチャクチャになっていく。みんなが困っている。自分がさぶろうの元へ行けば全て解決するのだ。
たまも悩まなかったわけではない。怖かった。この世に名を轟かせる荒くれ者である。行けば殺されてしまうかもしれないとさえ思った。
でも、畑や田んぼに大きな石がゴロゴロと、それも増えていく一方で、千田の村はこの先大変な思いをしてこれを退かさなければならないし、これ以上荒らされては飢饉が起きてしまう。村全体で心中するようなものだ。
自分1人さぶろうの元へ行って解決するなら、たまに他の道はなかった。たまは1人で伊吹山へ向かったのである。
泣きながら止める両親を振りほどき、少しばかりの米と自分が作った勾玉を懐に入れて、馬にまたがり伊吹山へ向かった。
石は、たまが伊吹山に到着した頃から飛んでこなくなった。メチャクチャになってしまった千田の村だったが、かろうじて村として残れる状態で留まった。
村は大変な悲しみようだった。千田にしてみれば、たまは自ら生け贄に赴いたようなものである。自分の身を犠牲にして村を守ってくれた。村人たちは、たまに大変感謝し、このことを忘れないようにと岩田に落ちた一番大きな石をみんなが見える場所に据え置いた。今はそれが石作玉作神社に置かれているという。
「さぶろうは、石作玉作神社には入らん。さぶろうにとってあそこは嫌な場所や。荒くれ者のくせに勝手な」
たまの口調は怒りが混じっていたが、優しさも含まれているように感じられた。
こんな大変なことになるのに、禁忌を犯してまでやりたいことって何なんだろう。この先、環はそのことを考えながら清めを続けるのだった。