4 龍神様のかわらけ番
三人家族がかわらけを投げたあの日、龍神様は神社の本殿から鳥居の方を向いて居眠りをしていました。実のところ鳥居には注連縄が張られていて、鳥居をくぐったかどうか判定するのは注連縄にその仕事を押し付けていました。確かに目の前で見ているわけですから注連縄に任せる方がいいかもしれません。それにめったに鳥居をくぐらないので、じっと見ていても眠くて仕方ありません。龍神様はもう300年以上かわらけの番を注連縄に任せて朝から居眠りしていたのです。
しかし、太陽が西へ傾こうとしている昼下がりにそれは起こったのです。もう何百年ぶりでしょう。その昔、百姓から出世した長浜城主が粒ぞろいの信長家臣団の中でなかなか次の出世の目が出ないときに、ここでかわらけを投げて以来のことでした。
「龍神様。龍神様。寝てないで起きてください。」
注連縄があわてて、本殿で居眠りしている龍神様に大きな声で呼びかけました。
「おーい。龍神様。」
竹生島の参拝客には、春のつむじ風がヒューっと鳥居から吹き抜けました。
「えっ。何。どうしたの。」
龍神様は重いまぶたを開きました。
「大変です。かわらけが2枚鳥居をくぐりました。」
注連縄はあたふたとして息が上がっています。
「マジか。運のいい奴もおるのう。願いをかなえるのも久しぶりだなあ。それで、誰のどのかわらけが鳥居をくぐったの。」
本当は自分が管理しなければいけないのに、龍神様は他人事でした。
「それが、いっぺんに4人が投げるもんだからわからなくなっちゃったんですよ。最初のかわらけはちゃんと見ていたんですけど・・・。」
注連縄はしどろもどろに答えました。
「えっ。どういう事。わかるように教えてよ。」
龍神様はつめ寄ります。
注連縄の説明によれば次のようです。先に縁側の右側に立っていた男が狙いを定めて、腕を振って投げる練習をしていたところに、三人の家族が縁側に出てきたのです。家族はその男を見ていたのですが、腕を振るばかりでいっこうに投げません。三人は待つのをやめて投げようと構えると、その男がかわらけを鳥居に向かって投げました。かわらけは鳥居とは違う方向に飛んでいきました。注連縄はそのかわらけをぼうっと見ていたそうです。かわらけは真っすぐ飛ばず、鳥居をくぐらせるのはかなり難しそうです。注連縄は視線を、外れたかわらけから、縁側に向けようとした瞬間に3枚のかわらけが飛んできました。三人家族の父親が次々投げたかわらけと子供が投げた1枚目のかわらけです。鳥居に向かって真っ直ぐに飛んできたので、注連縄はびっくりしました。子供の投げたかわらけは鳥居の正面から右へ弧を描いて鳥居の直前で外にそれていきました。父親の投げた2枚のかわらけは鳥居の正面から左へ弧を描いて同じく鳥居の直前で外にそれていきました。注連縄が左右に視線をキョロキョロせると、その瞬間にさらに3枚が飛んできたらしいのです。鳥居の直前で弧を描いて左右にそれた最初の3枚のかわらけに視線を取られ、その直後に飛んできた3枚のかわらけが全然見分けられなかったというのです。
「どのかわらけも鳥居をくぐってないんじゃないの。」
龍神様はめんどくさそうに注連縄に聞きました。
「だといいんですけど、鳥居の奥の祠の手前に2枚のかわらけがあるんです。」
注連縄は答えました。
「どれとどれ。」
と龍神様が言うと
「これとこれ」
注連縄が答えます。
確かに鳥居をくぐったとしか考えられない場所にかわらけがあります。間違いなさそうです。しかし龍神拝所の縁側と鳥居の足元に目をやった龍神様が鳥居の外にある1枚のかわらけを見つけて、さらに言いました。
「うーん。でも本当にこの2枚だけ?3枚いっぺんに飛んできたんでしょ。2枚はくぐった気がするよ。場所的にね。でもさあ、鳥居の左の隅に落ちた、あのもう1枚のかわらけだけどさ。あれが縁側の右側から投げられたなら、鳥居をくぐらないとここに落ちないよね。」
鳥居の側から縁側を見つめ直して龍神様と注連縄は話していました。
「縁側の右側に立ったあの男が投げたのなら、確かにくぐっているかもしれないですけど、1枚目が外れていますよね。」
と注連縄がめんどくさそうに言い返しました。少し険悪な感じです。
「違う違う。あの男が投げたとかそんな事じゃないの。かわらけは風に流されやすいの。真ん中から投げたのに、風に流されて右側から投げたような軌道になったとしたらどうするのよ。実際、右に流れたかわらけもあったんでしょ。右側からとか左側からとか関係ないの。」
かわらけ投げは自分の方が専門だと言わんばかりに龍神様はご託を言い出します。
「とりあえず、あの4人が投げたかわらけはどれなの。はずれたやつも含めてさ。」
龍神様は先輩面で言いました。
「龍神様がちゃんと番をしていたら、こんなことならなかったのに。」
注連縄は不満を言うと
「あのね。私は鳥居にくくり付けられてるんですよ。見ていなさいと言われたところで、あっち向いたりこっち向いたりできないんですよ。見られる訳ないでしょうが。」
とうとう注連縄が怒って言い出しました。でも怒りは収まりません。
「分かりました。弁天様に相談します。龍神様と話してもらちがあきません。」
龍神様はドキッとしてしまいました。弁天様に小言を言われると長くてたまったものではありません。
「まあまあ。とりあえず、4人のかわらけを集めて本殿で話をしようよ。」
龍神様はなだめるように言いました。
「4人が投げたかわらけはこれです。この7枚。ちなみに私は鳥居にくくり付けられていますから、本殿には行けませんからね。」
注連縄が言い返します。
「えっ。7枚?8枚じゃないの。何でなの。コワい顔をしないで本殿に行こうよ。」
なだめる龍神様に対して注連縄は行けないと言い張ります。
「きっと三人家族の誰かが投げてないです。最後の1枚を。三人家族の父親はあっさり2枚投げたのは見ましたけど。」
と注連縄は言ったきり、ふてくされて黙ってしまいました。
その日の夜、本殿にその7枚を持って帰った龍神様は、かわらけに書かれた名前と願い事を読んでみました。
「松岡明26才 滋賀県長浜市平方町・・・○○アパート〇〇号」
「堀川秀文」
「堀川清美」
「ほり川しゅう太」
「仕事が見つかりますように。」
「宝くじが当たりますように。」
「犬とお話がしたい。」
かわらけを眺めていると、夕ご飯を終えた弁天様が宝厳寺からやって来ました。龍神様は慌ててかわらけを隠しました。
「お昼に注連縄と何を話しての?」
と弁天様は言いました。
弁天様はかわらけのやり取りは知りませんでしたが、なんせ気位の高い方です。この竹生島で自分の知らないことがあるなんて許せません。もしや自分の悪口を言われているのではないかといぶかしげです。
「いやー。あのー。」
龍神様はモジモジしています。その姿を見て弁天様は自分が隠し事をされていると確信しました。こうなると弁天様のプライドが許しません。あれこれと言ってつめ寄る弁天様に仕方なく龍神様は昼間に起こったことを話しました。
「居眠りしてた龍神様が悪いんじゃない。あーあ。注連縄がかわいそう。」
弁天様は自分の悪口が言われている訳ではないことにホッとして言いました。
「でも、龍神様どうするの。」
「ほっといちゃダメかな。弁天様。」
「はぁ。ダメに決まってるじゃない。何言ってるの。」
また小言を言い出しそうです。とりあえず龍神様は7枚のかわらけを弁天様にも見せ、細かく状況を伝えました。間違いなく鳥居をくぐったと思われるもの2枚と鳥居をくぐったとしてもおかしくないもの1枚を並べました。間違いなく鳥居をくぐったものとして見せたかわらけには、名前が「堀川清美」、願い事が「犬とお話がしたい。」と書かれていました。また、鳥居をくぐったと考えてもおかしくないものには「宝くじが当たりますように。」と書かれていました。
「何なの。この願い事。」
弁天様はため息をつきました。
「昔、人々は無病息災や天下泰平を願ったものなのにね。変わったね。時代は。」
いつまでも若くありたい弁天様はぼそっとつぶやきました。行灯のとうしみの火がジジッと静かに音をたてて揺れていました。
「とりあえず。堀川清美さんに犬とお話できるようになってもらいましょうか。」
龍神様はぼそっと言いました。
「何で簡単に答えを出すの。責任持って仕事してよ。」
弁天様は言い返しました。
名前の書いたかわらけは「堀川清美」の1枚だけなので、願いをかなえてあげる人は間違いありません。問題は願い事のようです。
「その旦那の願い事は仕事が見つかる事なんでしょ。ろくに仕事をしない旦那に辟易して宝くじが当たって欲しいって願ったんじゃないの。」
弁天様は龍神様をなじるように言いました。
「でも、弁天様。確かに宝くじが当たってほしいと願うかもしれませんが、間違いなく鳥居をくぐったと思われるかわらけは「犬とお話がしたい。」なんですよ。」
と弁天様に言い返しました。
「じゃあ、どうするのよ。」
弁天様は言い返すと、いいことを思い付いたとばかりに
「あなたが犬になって、誰でもいいから話を聞いてきたらいいじゃない。」
と龍神様に言いました。
「えっ。そんな無茶なこと言われても。」
「他にいい方法あるの。それとも、仕事をしない旦那に就職先をあっせんするの。」
弁天様は強く出ます。
「もう。嫌味はやめてくださいよ。」
と龍神様が言うと
「何も世界中の犬と話がしたいって書いてある訳じゃないでしょ。あなたが犬になって話をしても、大して世の中は変わらないわよ。ササっとその時の状況を確認したら、パッと帰ってきて願い事をかなえてあげればいいの。大丈夫。」
弁天様は何か言いたげな龍神様を押し切ります。
「しかも、丁寧に住所まで書いてある人がいるじゃない。明日からそこに行こう。平方の松岡さんとこ。」