6 三人家族

 竹生島へ戻った龍神様は、犬の姿のまま都久夫須麻神社の本殿で弁天様と話をしていました。「ワンワン。」という龍神様に対し、「ワンワン。じゃないよ。龍神なんだから。」と返す弁天様との会話は、参拝者に本殿の奥の方からかすかに聞こえそうだが、そよ風が耳をなでるようにしか感じられないようです。


 弁天様の小言を聞きながら、龍神様は三人家族の事を考えていました。「堀川秀文」この男はどうも悪い男ではなさそうです。店を追い出されるのは事実のようですが、どうも腑に落ちない事もあります。松岡の話から「宝くじが当たりますように。」と書かれたかわらけは鳥居をくぐっていない事がはっきりしました。家を追い出されてお金の必要な三人家族ですが、「堀川清美」は「宝くじが当たりますように。」と願っていないのです。「犬とお話がしたい。」と願ったとも思えません。龍神様はとりあえず和菓子屋に行くことを話し、弁天様の小言を程々に聞いて、都久夫須麻神社の本殿の中でもひときわ日の入らない祭壇の暗がりにすうっと溶け込みました。


~三人家族をめざして市内へ~
 柴犬が黒壁ガラス館から北国街道を進み、とある交差点に差し掛かると周りを見渡し右に曲がった。黒壁ガラス館の喧騒と違い観光客はまばらに感じられた。自転車のブレーキがキッと鳴ると、いかにも地元のおばあちゃんと言わんばかりの年寄りが車を気にせず、道の真ん中で誰かと話をしている。話しかけられた方も特に車を気にするでもなく話し込んでいた。
この通りもまた北国街道沿いの街並みのように趣のあるものであった。古そうな町家はばったり床机と蔀度(しとみど)を閉じていた。この建物はかつて商売をしていたようにも思わせるが、ばったり床机はもう開くことはなさそうだ。他の町家に目を配ると店の看板を掲げてはいるがどうも休みのようだ。次の日曜日まではまだ数日ある。 
西に傾いた日の光がアーケードに差し込んでいた。自転車を降りて話し込んでいたおばあちゃんは自分の影がアーケードの奥へ伸びているのを見た。春の日は思いのほか短く、昼下がりと言うよりは夕方のようであった。


 柴犬となった龍神様は三人家族のいる市内の老舗の和菓子屋を見つけると、どうやって家族と接触するか思案していた。店から袋を下げた観光客と思しき客が出てきた。店頭にいるのは白い頭巾にかっぽう着を着た女であった。柴犬は店の前を通り過ぎ、店の斜め向かいの電柱の足元に座り込み、しばらく店の方を眺めていた。商店街の人通りも駅へ向かう観光客が増え、観光地の一日の終わりを告げるようだ。どれくらいの時間がたったのだろう。店先を眺める柴犬に商店街の向こう側から、子供の声が聞こえた。
「あっ。犬がおる。」
「ほんまや。」
子供が駆け寄る足音がすると、柴犬は斜陽に伸びた自分の影を目で追うように後ろを見た。二人の子供が距離を置いていたが、お互いの腕を引っ張りながら少しずつ近づいてきた。子供たちは柴犬が座り込んでいる電柱とは反対側の路肩から見つめていたが、手の届きそうなところまで恐る恐るやってきた。
「動きようらんな。」
「おとなしいな。」
二人は目配せをしてから犬をじっと見つめると、そっと膝を抱えて座り込み、おもむろに言った。
「お手。」
まあ、犬へのあいさつなんて大抵こんなものだ。ましてや犬の姿はしていても中身は龍神様である「お手。」なんて簡単なものだ。そっと右手を子供の手の平に乗せると、
「おかわり。」
と言ってきた。柴犬もしっぽを振り愛想を振りまいて左手を乗せた。
「すげー。」
「かわいい。」
二人の子供がはしゃいでいる。龍神様も頭や背中をなでられてまんざらでもない。龍神様が気分を良くしていると、ふと大きく伸びた影が自分に近づいてくるのが分かった。
「秀太。浩平君。何しているの。」
さっきまで店先で白い頭巾をかぶりかっぽう着を着ていた女が子供たちに話しかけてきた。
「犬がおる。めっちゃお手とかできる。」
あの日にかわらけを投げた秀太と思われる子供が答えた。柴犬はしっぽをユラユラ振っていたがじっとしていた。
「おとなしいね。」
女が子供に話しかけた。
「ママ。こいつおとなしいし、めっちゃ頭いい。何犬かな?」
秀太と呼ばれる子供は母親に聞いていた。柴犬は相変わらずしっぽを振っていた。
「柴犬じゃないかな。秀太はどう思うの。」
女は犬には詳しくなさそうだ。この二人はあの日にかわらけを投げた秀太とその母の清美で間違いなさそうだ。
清美はかわいい犬だとは思いつつも、夕方の閉店時間までまだ少し時間があり、かっぽう着が汚れることを嫌って触らなかった。
「そろそろ暗くなるから、浩平君もおうちの人が心配するよ。」
と秀太の友達を諭すと、秀太にも家に入るように促した。秀太と浩平君はさよならをすると、清美は店先まで戻り閉店までの店番をしていた。その間も犬は電柱の足元に座っていた。春の日は短く、閉店時間には辺りが暗くなり、店先の立看板を中へしまっていた。店先から漏れた明かりが電柱を照らしていたが柴犬はもういなかった。
 翌朝、秀太は朝ご飯を済ませて、今日は誰の所へ遊びに行くと清美に告げていた。残り少ない春休みを楽しんでいた。店の正面の出入口から駆け出し、昨日の電柱に目を配り柴犬がいない事を残念がったが、そのまま友達の家まで駆けていった。秀太は竹生島で「犬とお話がしたい。」と願い事をしたことを思い出していた。

 いつもなら店先に立看板が出されて開店を告げるが、今日はいつまでたっても出てこなかった。店は静かだった。
 昼時になり、秀太は友達の家から帰ってきた。いつものように家まで駆けてくるのではなく、電柱の前で立ち止まっていた。もしかしたら昨日の柴犬がふらっと出てくるのではないかと辺りを見回してみたが、いつもの商店街だった。立看板の出ていない正面の入口は秀太が出かけた後に鍵がかけられていた。秀太は裏に回り勝手口から家に入ると、清美が昼ご飯の準備をしていた。
「電柱に犬がおらんかった。」
元気のない秀太の声の調子から清美も秀太が「犬とお話しがしたい。」とかわらけに書くのを内緒でのぞき込んだことを思い出していた。
「もうちょっとしたら、ご飯ができるから、テレビを見て待ってて」
清美が言うと
「わかった。」
秀太は母の後ろ姿にそう返事をするとテレビのある居間に行った。清美は後ろを通り過ぎた秀太を横目に見ると、ふと居間の神棚が視界に入ってきた。この神棚にはあの日願い事を書けず、そのまま持って帰ってきた清美の2枚目のかわらけが置いてあった。家族で家を出ると秀太に話していない事を気に病みながら、神棚を見つめていた。今日は店が休みであるが、秀文は朝のうちに厨房で作った和菓子を道の駅に出荷に出かけていたので秀太と二人で昼ご飯を食べた。食べ終えて部屋に上がった秀太は春休みの宿題が終わっていないことにうんざりしながらも、読書感想文を書くために図書館で借りた本を読んでいた。
あの日からずっと天気は晴れていた。平日の商店街もいつもと変わらず観光客がまばらであった。キッと鳴った自転車のブレーキの音が部屋の中に聞こえてきて、秀太は目の前の本の挿絵に驚いていた。ページはほとんど進んでいなかった。窓から差し込むやさしい日差しにハッとした秀太は外を見た。慌てて下に駆けおりた秀太は靴のかかとを踏んだまま外に出ると電柱の足元には昨日の柴犬がいた。脱げそうな靴を引きずるように駆け寄ると、柴犬はしっぽを振って足元にまとわりついてきた。立ったまま背中をなで、おもむろに
「おすわり。」
と言うと柴犬はちょこんとその場に座った。秀太はうれしくなり柴犬を抱え上げると、脱げそうな靴を引きずって勝手口のドアを叩いた。部屋の掃除をしていた清美はその音に気付きドアを開けると、昨日の柴犬がいることに驚いた。
「あれ。どうしたの」
と聞く清美に
「またおった。」
と秀太はうれしそうだ。飼いたいという秀太に対して清美は秀文に相談してからでないとダメと念を押していた。たとえ飼ったとしても家を出なければならない事を考えれば無理もなかった。
出荷に出た秀文が帰るまで秀太は柴犬とじゃれあっていた。商店街に差し込む日の光は一人と一匹の影をその背丈の2倍にも3倍にも伸ばしていた。

「ダメ。世話できないでしょ。ダメダメ。」
出荷から帰ってきた秀文は食い下がる秀太に諭すように言った。本音は家を出ることを気にしていた。暗くなり、互いに譲らない二人を見た清美はもう暗くなったからと理由をつけて、今晩だけ勝手口に泊めてあげることでお互いを納得させた。
 秀太と秀文は別々に風呂に入った。秀太が風呂に入るあいだ秀文と清美はいろいろ話をしていた。清美は秀太が風呂から上がると部屋で休むよう諭し、秀文は明日店を開けるからと言って寝てしまった。三人分の食器とともに柴犬が食べ終わった皿を洗って片付けながら、清美は勝手口の柴犬に話しかけた。
「ごめんね。私もほんとうは飼ってあげたいけど、この家にいられなくなっちゃうの。ごめんね。」
さみしそうに勝手口を見下ろす清美に柴犬はしっぽを振っていた。
 次の朝、秀太はいつになく早く起きたが、秀文も清美も柴犬もすでに起きていた。秀太が朝ご飯をそっちのけで勝手口の柴犬とじゃれあっていると、秀文が
「ご飯を食べてからにしなさい。」
としかり、秀太は早口でご飯を食べていた。
昔の家らしく広い土間のある勝手口で柴犬とじゃれあっていた秀太であったが、ゴミを出しに行こうとする清美の邪魔になると思い、秀太は外に出ようと勝手口を開けた。するとあれだけ足元にまとわりついていた柴犬はサッと出てしまった。
「おーい。もんでこーい。」
と叫び、柴犬を追ったがどこかに行ってしまった。柴犬が居ないと泣いて帰ってきた秀太を清美はしゃがんで抱きしめてあげると少し落ち着いたらしく、部屋に上がるとそのまま閉じこもってしまった。朝の空気はまだまだ冷たく感じられた。

 日が昇り、店は開店時間を迎え、白い頭巾にかっぽう着を着た清美は店に立った。店先にほんのりと甘い香りが漂い、店先のショーケースには饅頭やようかんが置かれ、奥のショーケースには生菓子が置かれていた。今日は珍しく開店から観光客が来ていた。昼が過ぎ、気がつけばアーケードには昨日と同じように西から日が差していた。清美はフッと息をつき、店の斜め前の電柱に目をやるとハッとして、慌てて2階の秀太を呼びに行った。秀太は急いで外に飛び出すと電柱の足元には柴犬がいた。秀太は嬉しくなり、柴犬と店の前でじゃれあっていると観光客も愛くるしい柴犬になごんでいるようだ。

 それからというもの柴犬は昼下がりの日の傾く頃にいつも店の前にやってきて秀太とじゃれあっていた。いつの間にか近所の子供たちも集まって日の傾く頃にやってくる柴犬とじゃれあうようになっていた。
 春休みも終わりに近づいたある日、店の前で秀太が近所の子供たちと一緒に柴犬とじゃれあっていると、秀文は店の余った練り切りを使い、ヘラでうまく加工すると見事な犬を作って子供たちに配った。子供たちは大喜びでその犬を食べていた。店には何人かの観光客と思しき客がいたが、秀文が笑顔で犬の生菓子を配る姿を見て皆が微笑ましく見守っていた。アーケードに差し込む日の光が暖かかった。
 犬の生菓子を配り、店の入口にいた秀文に「昔と全然変わっていませんね。」と話しかける一人の男がいた。秀文は全く気付かなかったが話を聞いてみると、十数年ほど前によく祖母と和菓子を買いに来て、桜や菊の生菓子に見とれていると、奥から出てきて犬や漫画のキャラクターを練りきりで作ってくれたというのです。
「当時は子供でしたから、桜や菊より犬や漫画のキャラクターを作ってくれたことが本当に嬉しかったです。食べるのがもったいないくらいでした。」
と男は言い、秀文の作った犬を自分も欲しいと番重の中の余りに手を伸ばした。
その男はそれを頬張ると表に出て子供たちとじゃれている柴犬に
「メッキーみたい」
と話しかけた。
「それを言うならラッキーじゃないの。」
「ていうか「ユウタ」やし。」
「夕方になるといつもここに来よるから「ユウタ」。」
子供たちは口々に言った。ユウタと呼ばれる柴犬はその男の足元にまとわりつき、しばらく離れなかった。秀文は目に涙を浮かべ目の前の光景を見つめていた。何かを決めたようだ。差し込む日の光はスポットライトのように店を包み込み、おだやかな風は次の季節を感じさせた。

 その日の夜、秀文は久しぶりに母屋へ行き父と話をした。店を出るのではなく自分のやりたいようにやらせて欲しい事を伝えた。そして、あらゆる疑問や考えを話した。伝統を重んじて形式にこだわり過ぎていないか。和菓子が洋菓子に押されるのは敷居の高さにこだわるからではないか。十数年も前の事を覚えてくれていた人がいたこと。それが秀太くらいの子供の頃の話であったこと。練り切りの余りで作った犬や漫画のキャラクターを喜んでくれていたこと。今までの技法や商品はおろそかにしない事。思いの丈を話した。父は何も言わなかった。

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