曳山まつり

 長浜の春は遅い。
 ようやく桜の花が満開になろうとしている季節だが、湖風(みなとみかぜ)*と言うのだろうか、琵琶湖から吹き付けてくる冷たい風が、時折り頬をかすめていく。
 早朝の長浜八幡宮の境内はまだ人が疎らだ。
 本殿前の広場に整列している四基の曳山が、柔らかな朝日を浴びて輝いて見える。
 四月十五日は、曳山まつりのクライマックスとも言える子ども歌舞伎奉納が行われる日だ。この日は、四基の曳山が順番に長浜の町内に繰り出し、一日かけて辻々で子ども歌舞伎を披露する。
 曳山まつりは、いわゆる山車まつりの一種である。有名な祇園祭や高山祭などと同じ部類の祭りであるが、曳山まつりは二つの大きな特徴をもっている。
 一つは、曳山そのものに非常に精巧で贅を尽した装飾が施されていることである。
 祇園祭の山鉾は豪華で華麗だが、山鉾そのものにそれほど精巧な装飾が施されているわけではない。祇園祭の山鉾の真骨頂は、山鉾の周囲を飾る懸装品と呼ばれる胴幕や見送幕(みおくりまく)などの華やかさだ。
 ペルシャ絨毯など江戸時代に遥々ヨーロッパ等からもたらされた舶来物の見送幕が多く、絢爛豪華という言葉がまさに相応しい祭りである。
 曳山まつりの見送幕も、祇園祭にまったく引けを取らない豪華なものである。それに加えて、曳山そのものを装飾する金工細工や象嵌などの装飾にも私たちは目を瞠らされる。曳山そのものの精巧な装飾と見送幕などとの相乗効果とで、曳山は美術的価値において祇園祭の山鉾を凌駕していると言えるかもしれない。
 長浜には昔から濱仏壇と呼ばれる仏壇づくりの伝統工芸が伝承されていて、その確かな技術が遺憾なく曳山の装飾に活かされている。
 また、戦国時代に名声を博した国友村の鉄砲づくりの技術が江戸時代に文化として花開き、金工や象嵌などの美術品として曳山装飾の一役を担っている。
 ヤマを飾る装飾品の美しさで言えば、曳山の右に出るものはない。
 そしてもう一つの特徴が、この曳山の上で演じられる子ども歌舞伎である。
 曳山まつりの曳山には、子ども歌舞伎を演じるための四畳半ほどの舞台が据え付けられていて、この舞台の上で小学生の男の子が歌舞伎を演じるのである。

 私の心は、これから始まる曳山まつりへの期待感で高揚していた。
 湖から吹き付ける冷たい風もどこ吹く風で、朝早くから長浜八幡宮に足を運び、祭りの朝の空気を思う存分堪能していた。
 八時頃になると地元の人や祭り見物の観光客らがちらほらと見え始める。朝渡りと言って、この日子ども歌舞伎を演じる子どもたちが役者姿で宮入りをするからだ。
 小学生の男の子が、本物の歌舞伎役者のように隈取りをしたり女性に扮したりして、八幡宮の参道を歩いてくる。
 両親に付き添われ、緊張した面持ちがいかにも子どもらしくて、微笑ましい。
 九時五十五分に一番山の子ども歌舞伎奉納が始まる頃には、いつの間に集まってきたものか広い八幡宮の境内が見物の人たちで一杯になっていた。
 小学生が演じるからと言って侮ってはいけない。彼らの迫真の演技は見物する大人たちにいきなり衝撃を与えるだろう。
 それは学芸会の延長のような長閑なお芝居ではない。本物の歌舞伎役者も顔負けの見事なせりふ回しと所作とで、見る者を圧倒せしめるのに十分な演技なのだ。
 子どもたちは何ヶ月もの間稽古場で厳しい稽古を繰り返し、今日の日を迎えていた。長い台詞は現代語ではない。いわゆる古典の言葉そのものだ。
 空で覚えるだけでも難しいことであるのに、見事に感情移入がなされていることに、驚きを禁じ得ない。歌舞伎物であるから男女の機微に通じる場面も出てくるのだが、そんな場面も実に見事に演じ切っている。
 私は、子どもたちが演じている歌舞伎の物語に思わず引き込まれていった。

 今に伝わるこの曳山まつりの起源は、四百年ほど前の豊臣秀吉がこの街を統治していた時代にまで遡る。
 天正元年(1573)の小谷城攻防戦で浅井氏を滅亡させた織田信長は、この戦いにおいて最も功績のあった木下藤吉郎に小谷城を与え、坂田・伊香・浅井の三郡の領主とした。
 藤吉郎は名を羽柴秀吉と改め、山深い小谷の地から琵琶湖に面した広い平地を擁する今浜の地に新しい城を築き、この地を長浜と改名した。
 後に天下人となる秀吉が最初に一国一城の主として取り立てられた地が、ここ長浜であったのだ。
 秀吉は智謀のある武将であると同時に、よき政治家でもあった。
 長浜の城下町を大々的に整備しそこに多くの町民を住まわせた。市を創り物を集中させ、物流を興した。そして税を優遇することで町民たちの経済活動を強力に支援した。
 後に信長が安土の城下町で行った楽市楽座などの経済政策の萌芽が、ここ長浜ですでに見られていたのである。
 従って、秀吉と町民たちとの関係は非常に良好なものだった。
 そもそもがあの人懐こい性格である。派手好きでお祭りごとが大好きだった秀吉は、たちまちにして長浜の町衆たちの心を惹き付けていった。
 目出度いことはさらに重なる。
 秀吉に待望の子が生まれたのだ。
 石松丸と名付けられたその子は男子で、側室である南殿との間に生まれた子であった。
 一国一城の主となり、重ねて男子まで授かった秀吉は有頂天だった。
「長浜の町衆とともに我が子の誕生を祝おうぞ。」
 そう言うと、町衆たちに大量の砂金を与えた。
 秀吉から砂金を賜った長浜の町衆たちは、どうしたら秀吉様と一緒に皆で祝うことができるだろうかと考えた。
「そうだ、祭りじゃ。」
「この砂金を使って豪華な曳山を創り、八幡様の祭りの際に町内を引き回すのじゃ。」
「なるほど、それはおもしろい。賑やかであればあるほど、秀吉様はお喜びになられるに違いない。」
 衆議は一致した。
 長浜の町衆は秀吉から賜った砂金を元手に曳山を創り、長浜八幡宮の祭礼に合わせて街中を引き回した。
「おお、これは見事な曳山じゃのう。」
 秀吉は大いに喜び、曳山に乗り込み自ら先頭に立って指揮をした。
 こうして秀吉と長浜の町衆たちとの心の交流はますます確固たるものになっていった。
 秀吉が更なる出世を続けて長浜を去った後も、秀吉と長浜の町衆たちとの蜜月な関係は続いていく。
 賤ヶ岳の戦いで柴田勝家と争った時にも、長浜の町衆は密かに秀吉軍が通る道沿いに兵糧を用意するなどして秀吉を支援した。
 大坂に巨大な城を築いた時には町衆の代表が大坂城を訪れ、祝儀の品を贈り届けている。長浜の町衆の訪問と聞いた秀吉は大いに喜び、自ら城内を案内し盛大な宴を催すなどして彼らを歓待した。
 秀吉が礎を築いた長浜の町は、秀吉の死後も養蚕や織物などの産業振興により順調に繁栄を続け、その度に新しい曳山を創っては秀吉への感謝の気持ちを祭りに込めていった。
 秀吉もだが、長浜の町衆も祭り好きな人たちであった。

 目の前の曳山を見ながら、いつしか私は四百年前の秀吉と長浜の町衆との心温まる交流の光景に思いを馳せていた。
 秀吉が長浜に蒔いた種は確実に芽を出し、長浜の町はその後もずっと成長を続け、湖北地方を代表する都市へと発展を続けている。
 今の長浜の街をかの秀吉が見たなら、いったいどんな感想を述べるだろうか?
 私は終日、まだ寒さが残る長浜の街を曳山に纏わりつくようにして巡りながら、秀吉とこの町のことを想っていた。
 この物語は、そんな曳山まつりに纏わる、ある数奇な運命の物語である。

* 万葉集 巻三 352 若湯座王(わかゆゑのおほきみ)
  葦へには鶴が音鳴きて湖風(みなとかぜ)寒く吹くらむ津乎(つを)の崎はも

豊島 昭彦
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豊島 昭彦

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