再び、タペストリー
支倉常長によって仙台に持ち帰られたヨーロッパの様々な土産物等は、すべて主君である伊達政宗のところに運ばれ、一覧に供された。
その中には、先程の常長の「ローマ市公民権証書」や日本人を描いた初めての油絵とされるクロード・デリュエ作の支倉常長像などともに、ブルージュのニケイズ・アエルツが制作したタペストリー五枚組も含まれていた。
「これは実に大きな織物じゃのう。しかも色彩がとても美しい。赤や青などのこの色使いは我が国では見たこともない色合いじゃ。いかにも異国の戦士や姫たちを描いたもののようじゃが、彼の国の者どもはいかようにしてこの織物を作っておるものか?まことに不思議なことじゃ。」
政宗は御殿の壁に掛けられた五枚のタペストリーに目を止めて、盛んに感心しながらこうに言った。
「某(それがし)も実際に制作するところを見てはおりませぬ故、詳しいことはわかりかね申す。現地での説明によりますと、なんでも大きな機織機のような道具を用いて羊(シープ)という動物の毛を織り込み作るとの由でございました。」
「動物の毛を使っておるのか?よくはわからぬが、これは見事なものじゃ。しかし、このようなものを我が藩が所有しておることが幕府に知れると、我が藩が密かに海外と貿易を行っているとの疑いをかけられ、お家取り潰しの口実にもなりかねぬ。我らのようなよそ者大名を何とか口実を設けて排除しようと、幕府はいま躍起になっておるからのう。はてはてどうしたものか。」
「このまま打ち捨ててしまうには、あまりにも勿体ない美しいものにございます。さりとて、この織物によって我が藩がお取り潰しになるようなことがあってはなりませぬ。いっそのこと、幕府に献上して我が藩にはよからぬ企てなど一切ないことをお示しになられてはいかがでござろうか。」
「それはよい考えじゃ。あちらから取り沙汰される前にこちらから献上してしまえば、あらぬ嫌疑をかけられることはあるまい。」
支倉常長の進言により、五枚のタペストリーは仙台藩の公式の記録には一切記録されることなく、徳川将軍家への献上品として隠密裏のうちに江戸に運ばれ、江戸城の本丸御殿にて将軍秀忠に披露された。
輝くような色合いの五枚のタペストリーを見て、秀忠が目を瞠ったことは言うまでもない。
「政宗殿のご家臣は、よくぞこのような美しいものを遠い異国から持ち帰られたものだ。余はこの度、キリシタン禁止令を発布した。今後はスペインとの貿易も禁止しようと思うておる。そうなるとこのような物は我が国に持ち込んではならぬ禁制品となるが、今現在はまだ諸法度発布の準備を行っているところであり、我が国に持ち込んだところで直ちに罪になるものではない。ただし今後はもう同様のことはできなくなる故、貴殿においても十分に注意をなさるがよい。」
「かしこまりまして候。以後は一切、かような真似は致さぬことといたします。今回ご覧いただいておりますこの織物も、上様に献上するために持ち帰ったものにございます。このような物をこの政宗が持っておりましてもまさに猫に小判、豚に真珠でございます。天下の一品はそれを所有するにふさわしい持ち主にお持ちいただくのがよろしゅうございます。」
政宗は恭しく頭を下げると、心の中で大きなため息を吐いた。これで幕府からあらぬ嫌疑をかけられることはあるまい。手放すには勿体ない見事な織物ではあるけれど、我が藩の命運と天秤にかけることはできぬ。
仙台藩から徳川幕府に献上されたタペストリーのその後のことは、長らく歴史上の記録にはない。おそらくは、江戸城内のどこかで静かに眠っていたのであろう。
そのタペストリーが再び世の人たちの目に触れることになるのは、それから約二百年の後のことになる。