売買交渉

 長浜・魚屋町御山組の糸屋惣右衛門が曳山の見送幕のことで頭を悩ませていたちょうどその時、京都の巻物問屋主人壺屋七郎兵衛が惣右衛門の許を訪ねてきた。七郎兵衛と惣右衛門とは、かねてからの旧知の間柄であった。
「これは七郎兵衛殿。本日は大きな荷物を抱えられて何をお売りになられているのかな?」
「惣右衛門どの、本日はこの世にまたとない珍しい物をお持ちいたしましたぞ。」
「はてはて、この世にまたとない物とは、随分と大きく出られましたな。果たしてどのようなお宝か、見せていただきましょうか。」
 そう言うと、糸屋惣右衛門は壺屋七郎兵衛を店舗へと招き入れた。
 七郎兵衛は、丁稚に抱えさせていた大きな荷を解くと、惣右衛門の前に並べて見せた。
「おお、これは見事な絨毯でございますな。それも二枚も。実に色合いが美しゅうございます。南蛮からの舶来品でございますね。」
 惣右衛門は目を瞠った。
「いかにも、南蛮渡来の絨毯どす。こんな上物は、もう金輪際手に入るものではあらしまへん。何でも二百年の昔に仙台藩の伊達さまのご家来衆が遥々南蛮まで船で渡られて持ち帰ったという、由緒正しき代物どす。貴組の曳山の見送幕にこそ相応しいと思い、お持ちいたしましたのどす。」
 惣右衛門が一目で気に入ってしまった様子を見て、七郎兵衛は勢いづいた。
「確かに、わしもこのようなすばらしい絨毯を今までに見たことがないわ。しかし、どうして二百年も前に伊達様のご家来衆が持ち帰られたものが、今頃になって貴殿の手許に渡られたのであろうか?」
 惣右衛門は絨毯の精巧さに興奮を覚えながらも、冷静さを失わずに七郎兵衛に尋ねた。
「そこは我々にも商人としての様々なしがらみがありますさかい詳しいことは申し上げられまへんが、伊達様から徳川様に献上されたものが、徳川様の特別の思し召しによって我ら巻物問屋に下賜されたのどす。」
 七郎兵衛は慎重に言葉を選びながら、支倉常長が持ち帰ったタペストリーが彼らの許に渡った経緯を嘘にならない範囲で語った。
「詳しい事情はお聞きすまいが、この絨毯が確かな品物であることは、あいわかり申した。実はちょうど今、どこぞによい見送幕がないものかと探していたところ故、これはいい時にいいものを見せてもろうたと思うておりまする。」
「それはちょうどようございました。これも何かのご縁どすな。いかがでございましょか?」
「これほどの名品となると、値段の方もさぞかし張るのでしょうな。」
「このような立派な絨毯はめったに出るものではあらしまへん。二枚で三百両ではいかがでひょか?」
「二枚で三百両か…。さすがに高いのう。とてもわし一人の一存で買える金額ではござらぬ。他の世話役たちも呼んでくる故、暫し待たれよ。」
 惣右衛門はそう言うと、慌てて店の外へ飛び出していった。
 暫くして、惣右衛門は山組の世話役たちを連れて戻ってきた。
 突然の呼び出しで、何事が起ったのかと不審に思いながら惣右衛門の店に連れて来られた鳳凰山山組の世話役たちであったが、店の中に拡げられている二枚の美しい絵柄の絨毯を見て、すべての事情を了解した。
「これはすばらしい絨毯じゃ。南蛮物じゃな。どのような物語の場面なのかはわからぬが、どこか哀愁が漂いしみじみとした思いがこみ上げてくるのう。」
「この絨毯を我が鳳凰山の見送幕として飾れば、他の組の曳山を圧倒することができること間違いなしじゃ。」
「しかし二枚で三百両というのは、なかなかに高い値じゃ。もう少し安くはならんかのう?」
 世話役たちは、七郎兵衛が持ち込んだ絨毯のすばらしさに感嘆の念を禁じ得なかった。我が鳳凰山の見送幕として実にふさわしい立派な代物だと皆が思ったものの、さすがの経済的興隆を誇っている長浜魚屋町の山組と雖も、三百両もの大金をすぐに用立てすることはできなかった。
「七郎兵衛殿、二枚の見送幕のうちの一枚だけを購入することはできんものかのう?」
 惣右衛門は、恐る恐る七郎兵衛に尋ねてみた。
「元々一枚だったのを二枚に分けたもの故、できれば二枚まとめて買うてもらいたいというのが我らの希望どす。ですが、一応戻ってから皆の衆にもそのような話があったということはお伝え申しまひょ。」
「それと、もう一つ頼みがあるのじゃが。」
「何でっしゃろ?」
「この見送幕のことは、他の山組には知らせないでほしいのじゃ。わしらが正式にこの幕の購入を断念した後であれば致し方ないが、それまではどうか内密にしておいてもらいたい。」
「わてらも商人ですからそれくらいのことは十分わきまえております。巻物問屋の名に懸けて、他の山組への他言は致さぬゆえにご安心なされまし。」
 一同は、ほっと胸を撫で下ろした。
「されど、曳山まつりではない他の祭りのヤマには売り込むかもしれまへんので、先に売れてしもうたら悪くは思わんといてくだはれ。」
「それであれば致し方ないがのう。ともかく、一度お戻りになられて、一枚だけお売りいただくことができないかどうかをもう一度ご相談くだされ。」
「承知いたしました。」
 こうして、巻物問屋と魚屋町・鳳凰山山組との最初の売買交渉は物別れに終わった。

「いやはや惣右衛門殿、これはすばらしい見送幕となりますな。しかし二枚を一緒に買わなければならないとは、随分と身勝手な条件のように思われます。」
「我々の目の色が変わったことを見逃さずに、ここぞとばかり強気で売り込みにかかってきたのでしょうな。」
「今すぐにというのも足元を見られてしまいますので、数日後にもう一度、一枚だけ購入することができないかどうかを交渉してみてはいかがでしょうか?」
「一枚ということになりますと、値段は半分の百五十両になりますな?」
「百五十両であれば何とか用立てすることが出来ましょう。あの見事な出来映えを考えますれば、けっして高い買い物ではございますまい。」
 鳳凰山の山組の世話役たちは、それぞれに頭の中で後部に新しい見送幕を掲げた鳳凰山の容姿を想像して、悦に入っていた。

 数日の後、糸屋惣右衛門らはかねてからの話し合いの通りに、京都の壺屋七郎兵衛の店を訪ねた。
「これは惣右衛門殿、遠いところをよう来てくれはりましたな。」
 七郎兵衛は惣右衛門らを愛想よく出迎えた。
「七郎兵衛殿、先日お持ちいただいた見送幕の件なれど、我が山組としては是非にも購入したいと思うておるところじゃ。購入して我らが曳山を飾れば、末代までも我が町の栄誉とならんことは間違いない。」
「たしかに、その通りでございますなぁ。」
「ところがだ、先日の貴殿の話では、どうしても二枚一緒の購入でないと塩梅が悪いとのことであったが、我らは三百両の代金を用立てることができもうさん。それに、見送幕は一枚あれば十分じゃ。改めてお願い申すが、先日の見送幕二枚のうちの一枚を我らに頒けてもらうことはできないものかのう?」
「致し方ありませんなぁ。無い袖は振れぬと申しますさかいな。一枚のみということでしたら、お値段は二百両となりますが、それでよろしおすか?」
「あいや待たれい。二枚で三百両であれば、一枚なら半分の百五十両ではないのか?」
「二枚やさかい特別にご奉仕して三百両と申し上げたのどすえ。一枚をあなた様がたにお売りできても、もう一枚は売れ残ってしまうやもしれまへん。その危険を価格に上乗せして二百両とすることに何の不合理がありまひょか?」
 七郎兵衛は惣右衛門たちの申し出を予め想定していたものか、さらりとそのように言ってのけた。同じ商人として、七郎兵衛の言い分はわからなくもない。
「百五十両であれば何とか用立てられるが、二百両となるとすぐにこの場でウンとは言えぬ。もう一度出直してくる故、暫し時間をくだされ。」
「わかり申しました。お待ちいたしますが、先に買いたいという山組はんが出てきはりましたら、そちらに先にお売りいたしますえ。」
「そうとあらばそれは致し方あるまい。ただし、くれぐれも曳山まつりの他の組にはご内密にお願いしますぞ。」
「そこは、ようわきまえております。ご心配は無用どす。」

 二枚組の見送幕を一枚で売ることについては了解を取り付けたものの、今度は値段が新たな障壁となって目の前に立ちはだかった。
 長浜に帰った惣右衛門らは、再び山組の世話役を招集して二百両の売値に応じるかどうかを話し合った。
「さすがは幕府のご禁制物を取り仕切っている巻物問屋さんじゃ。なかなかに手強いのう。わしらの足元を見切って、強気の価格を設定してきよったわい。」
「実物を見なんだら、われらもこれほどの執心は湧いてこなかったかもしれんが、一度でもあの見送幕を見てしもうたら、なかなかその呪縛から解き放たれることは叶わんな。」
「そのとおりじゃ。あの幕を見てしもうたからには、今更諦めることはできまいぞ。」
「しかし、二百両もの大金をいかにして工面するかのう?」
「万一の時に備えてこれまで山組内で密かに蓄えておいた金子を取り崩して使うしかあるまい。」
「しかしあの金子は飢饉や火災の時などに備えて代々の世話役から引き継いできた大事な金子じゃ。軽々しく使うことはできまいぞ。」
「しかし、ではいつ使うというのじゃ。今こそがその時ではなかろうか?」
「飢饉や火災が起きたらどういたしましょうや?」
「その時はその時のこと。今という時を逃したら、あの見送幕は二度と我が山組のものにはなりませぬぞ。左様なことになれば、それはわが山組のみの損失ではなくて、長浜の町全体の損失になりますぞ。」
「七郎兵衛さんが我が組だけに声掛けをしてくれたということは、我が山組が長浜の町を代表してあの見送幕を手に入れられるかどうか、という決断を迫られているということや。」
 どうやら衆議は一致したようである。
 非常時に備えて蓄えておいた予備費を取り崩して見送幕の購入に充てるという結論である。
「最後に、二枚の見送幕のうち、どちらの幕を購入するかについてだが、わしは右側の女子四人が描かれている見送幕がいいと思うのだが、皆の衆はいかがじゃろうか?」
 惣右衛門が最後にこう問うた。
「左側の、兵士と幼子の絵も捨てがたいがのう…。一枚だけ購入するとなれば、やはり右側の女子の絵かのう…。」
「わしも、女子の絵じゃ。」
 こちらも、衆議が一致したようである。
「では他の買い手がつかないうちに、早速七郎兵衛さんのところに使いを出そう。」
 そう話し合っていたところへ、反対に当の七郎兵衛からの使いの者が惣右衛門の店に駆け込んできた。
「これは七郎兵衛さんのところの丁稚さんではござらぬか。そんなに息せき切っていったいどうなされたのじゃ?」
 七郎兵衛からの使いとして遣わされた丁稚は、よほど急いで京都から長浜までの道程を走ってきたのだろう。暫くは息ができず、従って言葉を発することもできない。
 惣右衛門の丁稚から渡された水を一気に飲み干して、やっと一息ついたようだ。
「我が主人七郎兵衛からの伝言にございます。先にご案内申し上げました南蛮舶来の絨毯の儀にございますが、あいにく一枚が売れてしまい、残りはあと一枚限りとなりました。」
 七郎兵衛の丁稚は、主人からの伝言を一気に捲し立てた。
「何と、一枚が売れてしまったというのか!それで、売れたのはどちらの見送幕じゃ?」
 惣右衛門はすかさず丁稚に尋ねた。
「どちらと申されましても…、主人からは一枚が売れたということを急いでお伝えするようにと申し遣って参りましたのみでして、私にはわかりかねます。」
 丁稚の答えは何とも煮え切らないものだった。しかしこれ以上問い詰めても埒が明かないことは明らかだった。
「ええい、面倒じゃ。直接わしが行って確認してこよう。」
 惣右衛門は今にも店を飛び出さんばかりの勢いでそう言った。
「まぁまぁ、落ち着きなされ。すでに一枚が売れてしもうたものは、今さらどうにもなりますまい。その売れた一枚が、我らが購入したいと思うていた一枚でなければ何の支障もござらぬ。問題は、我らが購入したいと思うていた方が売れてしまった場合に、我らはいかに為すべきかですな。」
 惣右衛門を引き留めながら、同じ世話役の六兵衛が皆の衆に問いかけた。
「丁稚殿、あの見送幕を購入されたのは、どの祭りのどの山組であろうか?よもや曳山まつりの他の山組ではあるまいの?」
「お売りした山組のお名をお伝えすることはできまへん。けど主人からは、曳山まつりの山組でないことだけはお伝えするようにと託っておりまする。」
「そうか、そうか。それならば致し方がないのう。さあらば、我らが購入したいと思うておった方ではない見送幕でも購入やむなしと思うが、皆の衆はいかが思われますかな?」
 少し落ち着きを取り戻した惣右衛門が皆の衆に問うた。
「いやいや、我はあの女子四人の絵じゃからこそ、二百両の大金を払ってでも購入する価値があるものと思うておる。もう一枚の方であれば、購入するには値しないと思う。」
 世話役の意見は真っ二つに分かれた。
 元は同じ一枚の絵から切り取った場面である。兵士と幼子の場面でも十分に美しく見映えがする見送幕となることは間違いない。しかし、同じ二百両を払うのであれば、女子四人の場面を我が鳳凰山の見送幕としたい。
 そこで出された結論が、次のようなものとなった。

一. 残った一枚が我らが望む方の一枚であった場合には、二百両にて購入する。
一. 残った一枚が我らが望む方の一枚でなかった場合には、百五十両であれば購入する。百五十両を超える金額だった場合には、購入を断念する。

 以上の合意を得たのち、残った一枚がどちらの見送幕であるかを確認するために、惣右衛門は再び京都の七郎兵衛の店に出向いた。

豊島 昭彦
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豊島 昭彦

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