転生したら佐吉って…
何十年ぶりの里帰りになるだろうか?
高校を卒業し、東京の大学に進学したのをきっかけに長浜から離れそのまま就職した。
両親はすでに他界し、その葬儀以来になる。
「あれは、まだ平成になる前だった…」
定年し、自由になった時間で趣味の史跡巡りを計画した。
司馬遼太郎の『街道を行く』みたいな旅をしてみたくなる。司馬は松尾芭蕉の「行く春を 近江の人と 惜しみける」の句に影響され同作を近江から始めた。
「ならば、俺も」
と、里帰りに理由を付けて私的『街道を行く?』のスタートを長浜に決めたのだった。
長浜駅からまずは石田三成が佐吉と名乗っていた幼い頃に修行した観音寺に向かい段々市街地に近付く計画を立てた。
改札を出てエスカレーターに乗る。退職前に受けた会社の健康診断で何年もメタボリックと診断されていたために妻からは食事制限と運動を課せられていたが、今回は一人旅を決め込んで移動中に駅弁を楽しんだり、文明の力を利用していた。
駅の東口を出てバス停に向かうと、いきなり出会いの像という羽柴秀吉と佐吉の像を見かける。
秀吉が長浜城主になって直ぐの頃、鷹狩に出た秀吉が喉の渇きを訴えて観音寺に寄る。
すると、一人の小坊主がぬるい茶を大きな器にいっぱいにして持って来た。
秀吉は、これを飲み干してお代わりを求めると小坊主は少し温めた茶を普通量持って来る。
その茶を飲みながら何かを感じた秀吉は、もう一杯所望すると、小坊主は熱い茶を小さな器に少しだけ淹れてきた。
この小坊主の聡明さに気付いた秀吉はそのまま長浜城に連れ帰った。
この小坊主が佐吉、後の石田三成である。
歴史ドラマや小説などで何度も語られているので、その姿だとすぐにわかった。
「こんな子どもがそこまで機転が利いたら、家臣として育てたくなるよな」
まだ10歳になるかならないかの姿に見える佐吉像を見て、健気さを感じたが時間もあるので写真だけ撮ってバスに乗り込んだ。
長浜駅から街を抜け、三成が生まれた石田町も過ぎトンネルを抜けると観音寺に到着する。
バスを降り、観音寺へ向かう山門をくぐって先に三成が茶に使う水を汲んだという井戸に向かった。
案内がなければわからない小さな井戸である。ここで水を汲んで庫裏まで運んだのも佐吉なのだろうか?
山門まで戻り参詣道から本堂を確認すると長い登り坂になっていた。
「これを登るのか…」
長浜駅でちょっとでも楽をしていて正解だった。覚悟を決めて一歩を踏み出そうとした時、右側を小さな影が過ぎて行った。
「おや?」と視線を影の行ったであろう先に向けると一瞬小坊主の背中を見たが、そのまま空が飛び込み背中から頭に衝撃を受けたのだった。
「やっぱり、君の心配は正しかった」
家で待っている妻の顔を最後に思い出せるなんて、いい夫じゃないか。
俺は自笑して、闇の中へと迷い込んだ。
…
……
「おい、おい!」
…
……
「おい!」
誰かに体を激しく揺すられている。
俺はどうなったんだ? ボヤけていた思考がだんだん鮮明になってきたところでビシッとほっぺを平手打ちされた。
おいおい、確か俺って観音寺の山門近くで倒れたんだよな?そんな人間を揺らしたり叩いてもいいのか?
ゆっくりと瞼を開ける。一人の少年が覗き込んでいた、小坊主姿でさっき長浜駅前で見た佐吉像くらいの年頃の少年だった。
「子どもが大人に何をする」
パッと上半身を起こして怒鳴ったが、小坊主は目をばちばちさせながらも笑った。
「佐吉が年齢を言うなんて変だぞ」
え?誰だって?今「佐吉」とか言わなかったか…
俺が反応しないと、小坊主は俺の両腕を握って前後に揺らした。
「おい佐吉。大丈夫か? 俺が紀之介だってわかるか」
紀之介だと!石田三成の心の友大谷吉継じゃないか。確か吉継は三成の五つ歳下って説が有力視されてたから…
って、俺が佐吉?あの石田三成に転生したってことか。
しかも吉継が小坊主なら俺もまだ武将になる前か…
俺は唾を飲み込んで聞いた。
「紀之介、心配かけて済まなかった。ところでここはどこだ?」
紀之介は変な顔をしたが答えてくれた。
「新しい長浜のお殿様が狩の帰りに寄られて、水を所望されたから、佐吉が井戸に水を汲みに来たんじゃないか。俺も一緒に来たのに急にお前が倒れたから驚いたんだ」
つまり、ここは観音寺であの三献茶の直前というか。ならば、このイベントを成功させなければならない。
俺は立ち上がって紀之介に礼を言うと急いで水を汲んで庫裏へと駆け込んだ。水を汲む時に水に写った姿が中学生くらいに見えて駅前の像よりも大人だったのが気になったが、とにかく歴史を進めなければならない。
庫裏には皆が飲む麦茶が用意されていた。
釜に水を入れて温める間に、この麦茶を大きな器にたっぷり入れて盆に載せて本堂に持って行った。
縁側に背が低く色の黒い、皺が多い割に髭すら生やしていない武将が住職らしき僧と話していた。
これが豊臣秀吉か。と歴史の重要人物を見たことに感激している。
すると「ご苦労だったな」と住職は茶を秀吉の前に置くように指示した。
俺が器を置くと、若い近習が毒味をしようとしたのがムカっとしたがこの時代ならば仕方ないか。
秀吉はそれを手で止めた、さすが人誑し、あんたになら仕えてもいいよ。その為には三杯の茶を出さないとね。
器を手にして一気に喉に流し込んだ秀吉だったが、その勢いが早すぎて咽せてしまった。
恥ずかしいくらいに咳き込む秀吉を見て思わず笑ってしまったがこれがいけなかった。
さっき毒味をしようとした近習が脇差を抜いて俺の左胸に突き立てた。
「市松、何しとる!」
秀吉が近習を窘めた。市松って福島正則か、こりゃ仲良くはできないはずだ。
それにしても、痛いなんてものじゃない!俺は何がなんだかわからないうちに闇へと放り込まれてしまった。
…
……
「おい、おい!」
…
……
「おい!」
デジャブを感じる。
また揺らされて目が覚めると紀之介が覗き込んでいた。
「佐吉?」
「紀之介か、俺はどうしてここに…」
「新しい長浜のお殿様が狩の帰りに寄られて、水を所望されたから、佐吉が井戸に水を汲みに来たんじゃないか。俺も一緒に来たのに急にお前が倒れたから驚いたんだ」
少し前に聞いた台詞だ、またあの時間に戻ったらしい。
「さっきは何がダメだったのかな〜、笑ったことか」
とにかくやり直せるらしい。もう一度麦茶を大きな器にたっぷり入れて秀吉に出した。
秀吉は同じように咽せて、俺は笑わなかったがまた市松に刺された。
あの痛み半端ないなら勘弁して欲しいのに…
これで終わりだと思ったけど、また紀之介に揺らされて、同じ時間に戻っていた。
「死ぬことも許されないのか…」
俺が呟くと紀之介は変な顔をして覗き込んできた。
紀之介は俺を急かして水を汲むと本堂へと駆け上がろうとする。それを制して例え話として一杯目の相談をした。
「佐吉は賢いと思っていたが、案外抜けてるな」
と、紀之介に笑われる。
「喉が渇いているのに、いきなり大量の茶を渡したら飲み干そうとして無意識に大量に口に入れるだろ? そんなときこそ、一口二口の茶じゃないか」
言われてみればそうだ、二回とも秀吉が咽せて、それに怒った市松に殺されたんだ俺…
くそっ、市松の方が正しいとは。悔しい、次はミッションクリアしてやる。
三度目の正直、麦茶を小さい器に少しだけ入れて出した。
秀吉はそれを美味そうに飲んだ後で「まだ足らん代わりを持て」と器を返してきた。
第一ミッションクリア。
麦茶を出す前に沸かしていた湯はちょうど良い温度になっていた。近江は日本で最初に茶の栽培が始まったこともあり名茶が多い、寺にも美味い茶が届けられる。美味い緑茶が提供できるだろう。
丁寧に淹れ、秀吉に運んだ。
秀吉はそれを飲み干し「もう一杯」と言う。
これは第二ミッションクリアかな?いよいよ最後、熱い茶を少し出せば俺は長浜城に行くのだ。
何も考えず、湯を煮立たせて茶葉を変えて同じ茶を小さな器に用意した。
たぶん、したり顔になっていただろう。茶を秀吉の横に置いた時に目が合った。すぐに目を伏せなかった俺を市松が睨んでる。
はいはい、もうすぐ同僚なんだから仲良くしようね。
秀吉は、器を手に取り茶を覗き込み、ゆっくり口を付けた。
さあ、「お前は利発な少年だ」と、褒めてくれ。待っていると秀吉は「不味い」と言い器ごと庭に投げた。
「お前は、いい年をして茶の味も知らんのか!」
秀吉が烈火の如く怒ると、また来たよあいつが…
市松に刺された。
…
……
「おい、おい!」
またこの声か、せっかく第二ミッションまでクリアしたと思ったのにやり直しかよ。
俺を揺らす紀之介を無視して、ガバッと起き上がる。
急に立ち上がった俺を驚いた顔で見上げる紀之介に親しみがこみ上げた。お前はわからないかもしれないけど、俺のバカな繰り返しに何度も付き合いいつも心配してくれてありがとう。紀之介こそ心の友だ。
三杯目の茶について、秀吉は不味いと言った。そりゃそうだ緑茶は煮立てたら美味くない、つまり二杯より不味い茶を出したのだ。
「そうだとしても、市松の奴、殺す事はないだろうに!」
怒りが口から出て紀之介は変な顔をした。
熱くて美味い茶を出してやろうじゃないか。それはほうじ茶だ。普通は緑茶の下に位置されるけど、京都ではほうじ茶でも高級なものもある、都の茶で美味いなら秀吉も納得するだろう。
「紀之介!」
友を呼んだ。
「ほうじ茶はどこだ?」
紀之介は変な顔をした。
「ほうじ茶とは何だ?」
熱い湯で飲んでも美味い茶を知らないのか?この時代の近江は文化の最先端と聞いていたがそうでもないらしい…
「熱い湯で淹れる茶だ」
俺の返しに紀之介は首を横に振った。
「そんな茶はない」
「お前が知らないだけじゃないのか?」
「この観音寺は多くの情報が集まるが、ほうじ茶など見たことも聞いたこともない」
俺は知らなかったが、ほうじ茶は大正から昭和に変わる時期にできたものらしい、探しても無い。ましてや俺は作り方も知らない。
「それより、水を汲みに行かねば…」
紀之介に急かされ庫裏に行き、第二ミッションまでクリアしたのちまた斬られた。
何も思い付かず三杯目に熱い白湯を出したのがダメだった。
…
……
「お…」
紀之介に起こされる前にガバッと起き上がった。
またここからか、いい加減に飽きた。
考えろ、何がダメだったんだ。
この時代に美味い茶は二杯目に出している緑茶か抹茶だろうが、抹茶は寺になかった。
三成はどうやって三献茶をクリアしたんだ?
史実ではないとの考えも過ぎったが、それならば俺は何をしてるんだ!
そもそも、水に写る俺の姿は少年ではない、平成の頃なら中学生くらいだ、早ければ元服して大人とも扱われる。
三杯の茶を出して聡明さを認められた。めでたしめでたしの年齢じゃないんだよ。それに秀吉は俺を試しているようにも見える。実はもう顔見知りなんじゃないか?
二杯目の茶が最高なら、これを最後に出してやろうじゃないか!
どうせ、失敗しても痛い思いをしてからやり直すだけだ。
紀之介を引っ張って、水を汲み庫裏に向かうと、第一ミッションはそのままクリアした。
次は、同じ麦茶を普通量出してやる。
第二ミッションが始まる前に釜を火にかけて秀吉のところに麦茶を出した。
秀吉はその茶を飲み干して、「代わりじゃ」と言う。
市松も静かだった。第二ミッションも違う形でクリアとなった。
三杯目、丁寧に緑茶を淹れる。
秀吉は満足そうに茶を飲んだ。
「佐吉、賢く育ったなぁ」
そうだ、秀吉が小谷城攻めのために三年近く守った横山城の麓に石田町がある、もっと幼い頃の佐吉を知らない筈がないではないか。
狩と言いながら秀吉は最初から佐吉を迎えに来たのだ、だから市松は気に入らないし、秀吉も佐吉に見所がなければ殺すように市松に命じていたのだろう。
市松、なかなかの忠臣じゃないか、俺は嫌いだけど…
「御坊、この子は貰って行くぞ」
秀吉の命は絶対だった。
「ならば、我が友もお連れ下さい」
俺の様子をずっと見ていた紀之介を秀吉に紹介した、秀吉はあと数年学んでから仕えるように紀之介に言った。
こうして、俺は思いがけず三献茶を経験することになった。
これは観音寺を訪れた俺に三成が真相を知らせたかったために見せた夢だったのだろうか?
ミッションもクリアしたし、小説とかならばこのまま目が覚めたら現代の観音寺で横になってたりするんだろう、さあ目覚めろ俺!
…
……
………
何も変わらず、俺は秀吉の行列の中で歩いている。
市松が冷たい目で俺を睨んでいたのだった。
もしかして、俺はこのまま石田三成として生きるのか⁉︎