序章
柔らかな日差しを受けた雪が、長浜城の黒い瓦をきらきらと照らしている。
冬の長浜には滅多にない快晴とあって、城内の者たちは陽気に歌など歌いながら、子どものように顔を綻ばせて雪かきをしていた。
その様子を、門の太い柱にもたれて、眺めている一人の男がいる。今しがたこの城へ到着した、武士らしい男である。血の気の感じられない顔色に、肉の削げ落ちた頰。およそ健康とは程遠い風貌と静謐な眼差しが、賑やかなこの場にはどこか不似合いだった。男は先ほどから、時折思い出したように前のめりになって咳き込んでは、また音もなくその身を柱に預けている。
すると、身なりの良い武士二人が彼の元へやって来た。明らかに顔が強張っている。
「半兵衛様……」
男は徐に顔を上げ、その痩せた頰に微かな笑みを浮かべる。
「支度が整いました。」
「そうか。」
男の瞳にさっと鋭い光が宿った。
天正六年の暮れ。この男——竹中半兵衛は、およそ一年振りに長浜を訪れたのである。
琵琶湖の中の浮島のような長浜城は、周囲をぐるりと水に囲まれている。そのためこの城の門をくぐった者は、船を使って移動することになっていた。半兵衛とその家臣とを乗せた小船は、本丸に向けて琵琶湖の水面を滑らかに進んでいる。
「お具合は?」
家臣二人に心配そうに覗き込まれ、半兵衛は苦笑した。
「これで、良いように見えるか? されど、気分は悪くない。長浜に着いたからであろう。」
「相変わらず、長浜がお好きなのですな。」
「ああ。」
思わず漏れたのは、歓喜のため息である。
半兵衛は実際この長浜という地に、並々ならぬ愛着を注いでいた。愛着というよりは、我が子のように見守ってきた、という方が正しいかもしれぬ。多様なものが同居しながら、決して一つひとつが埋もれることなく存在している城下町。喧騒と荘厳とが交じりあった城。町全体が、生きている。こうして絶え間なく変化しながら、ずっと続いていくであろうこの地の未来を思うと、半兵衛は切ないような心強いような、妙な気持ちになるのである。何年か後にこの地を訪れる誰かは、どんな景色を見ているのだろうか。
(ちと感傷的になりすぎたな。……)
「間もなく、着きますな。」
家臣の、ほとんど自らに言い聞かせているような声がした。
「恐れているのか?」
「ええまあ……。何故、平然としておられるのです?」
「儂はむしろ、嬉しいんだ……。かつてこの長浜で決意したことを、実現させるためなのだから。」
「敵いませぬな、半兵衛様には。」
半兵衛は小さく首を振ると、顔を上げた。雲一つない青空を背景にそびえ立つ天守を眺めているうちに、意識はこの場所を離れていく。遠く、過去へと。