終章
事前に話をつけておいたので、目的の人物にはすんなり会うことができた。
長浜城の、半兵衛の部屋。嘗て官兵衛と出会った場所だが、今半兵衛の前に座しているのは、その官兵衛によく似た少年である。
「松寿丸……官兵衛殿のご嫡男だな。」
半兵衛が言うと、少年——松寿丸ははい、ときっぱり返事をした。
「話は聞いているか?」
「……父は、敵の城に行ったまま戻って来ぬと聞きました。」
松寿丸の、膝の上で握られた拳が震えていた。
「父は裏切ったのだと……皆が噂をしております。」
半兵衛が黙ったままでいると、松寿丸は不意に鼻を啜った。堪えようとしているようだが、みるみるその目に涙が溜まっていく。
「私は人質でございます故、覚悟は決まっております。されど、されどまことに父は……」
「何か勘違いをしておるようだな。お主と同じく、誰が何と言おうと官兵衛殿のことを疑えぬ人間がもう一人おる……この儂だ。」
半兵衛は頰を緩めた。松寿丸が驚いた様子で顔を上げる。
「儂はお主を殺すために長浜に参ったのではない。……今から儂は上様の命に背き、お主を儂の領地で匿う。」
「え? しかし、」
「儂は以前この長浜で、戦無き世を作ろうと決めた。儂にはもう、そんな時間はない。されど官兵衛殿が継いでくれると信じておる。」
半兵衛はそう言うと、傍に控えていた家臣に出発の支度を整えるよう指示した。
翌日、半兵衛は松寿丸と並んで長浜城の門を出た。長浜に滞在したのは、僅か一日だけだったことになる。
(見納めであろうな。)
湖にそびえ立つ天守を振り返り、半兵衛は目を細めた。分かっていたこととはいえ、言わば自分の決意の象徴だったこの天守をこうして眺めることはもう二度とないだろうという事実が、胸を締め付ける。しかし半兵衛は感傷の全てを断ち切るように馬の手綱を引いた。半兵衛が秀吉と共に作り上げたこの街は、自分が死んだ後も生き続ける。そして自分の志を遂げてくれる者もいる。
(こんなにも頼もしいことはない。……)
半兵衛は空を仰ぎ見る。幸いにして、今日も雪は降っていない。どこまでも澄んだ、長浜の冬の青空がそこにあった。
完