小谷山の城跡を東に下った山麓に満々と水を湛えた大きな池がある。平成二十二年の春、日本溜池百選に認定された西池である。百選の池となったばかりの秋、真治は望遠レンズをセットしたカメラを構えて観察小屋の東屋に待ち続けていた。水鳥の中でも最大級のオオヒシクイ雁の初飛来をねらっているのだ。西池はオオヒシクイ雁をはじめ多くの種類の水鳥の飛来地として有名で京阪神や東海地方、遠くは四国や九州からも愛鳥家がやってくる。今日で九月も終わり初飛来は十月になりそうだ。そう思ったとき突然横から声をかける男がいた。
「すみません、まだ雁は来ていませんか?」
驚いて横を見ると傍に耳から顎にかけて髭を生やした大柄な男が立っているではないか。少し無気味に思った。
「ええ、こうやって何日も前から待っていますけど、まだ来ませんねえ」
「そうですか、来ませんでしたか。残念ですねえ。私も鳥が大好きで、わざわざ大阪から来たんですよ。インターネットを見ました。あなたは松村真治さんではありませんか」
真治はこの西池で調査、研究した内容をインターネットで紹介している。それを見て遠くから多くの人が来てくれるのは嬉しい。だからこの男が自分の名前を知っているのも分かるが、初対面なのに、いやに馴れ馴れしい。さらに男は意外なことを言った。
「真治さん私に見覚えはありませんか」
そう言うとにっこりと微笑んでいる。真治は誰とでもすぐに仲良くなれるような性格ではない。見知らぬ人にはどうしても慎重に構えてしまう。こんな男知るもんか。薄気味悪い。最初から真治さんなどと馴れ馴れしい、失礼なやつだ。少しむっとして、いぶかしげに見ていると、にっこりと微笑みながら意外なことを言った。
「雅彦ですよ、門田雅彦」
思いもよらないことに真治は驚いた。まさか、昔のあの雅彦が。
「雅彦君って、あの大阪から疎開で来ていた、あの門田雅彦君かい」
「覚えていてくれましたか。嬉しいですね、感激です」
「ああ、覚えているとも。忘れるもんか。でもわからなかったよ。あの頃の面影なんてまるで無いから」
「面影ないのも無理はないですよね。こんな人相と図体ですからね。でも私はすぐにわかりましたよ」
「そうかあ、あの可愛かった雅彦くんが、ずいぶんと変わったものだなあ。何年ぶりかなあ。そうだ今、平成二十二年だから、えーっと・・・・・六十五年ぶりになるか。懐かしいなあ。夢みたいだ」
二人は手を取り合って喜んだ。
「あなたのホームページを見て懐かしさが込み上げてきて、急にどうしても会いたくなったんですよ。それでここまで来たら、あなたがいて、見た瞬間あなただとわかりましたよ」
「ありがとう、遠いところをよく来てくれたなあ、ところで今夜どうするの」
「雁が来るまでここにいようとワゴン車の中に布団を積み込んで用意してきたんですよ」
「そうかそれなら今夜近くで一杯やらないか。いろいろと積もる話もあるし」
真治は近くの料亭、萩野屋に案内した。
昭和十九年五月、小学校の朝礼で校長先生の訓辞があった。
「明日から大阪の北区より疎開のために五年生と六年生の生徒が約百人ほど来ます。まだ子どもなのに親の元を離れて来るのですから、皆さん仲良く親切にしてあげてください」
戦局がいよいよ厳しくなって、日本各地の都市にアメリカ軍の空襲が始まり、国の政策で子どもを守るため学童疎開が始められたのである。
下校のとき真治たち五年生の仲間は十人ほど連れ立って帰るのだが、もっぱら話題は疎開して来る生徒のことばかりである。
「なあ、大阪から来るって、どんなやつらが来るのかなあ。町のやつらは生意気なやつが多いんとちがうか」
「でも、校長先生は親切にしてやれと言ってたぞ」
「それはそいつらが、おとなしくしていたらの話や」
「そうやそうや、生意気なことを言ったりしたら、みんなでやってまおなあ」
「そうや、ここはわしらの縄張りやからなあ」
いつの時代も何処でも地元以外の人間に対する警戒心と縄張り意識はもつものである。
明くる日、五年生と六年生が途中まで出迎えに行くことになった。神社の鳥居の前で待っていると虎姫駅から歩いて来た集団が土埃を上げて近づいて来る。五、六人の先生らしき人と百人ほどの児童の隊列が見える。敵の大群が攻めてくるような感じがした。皆は侵略者でもやって来るような気もちで迎えた。
「あいつらが大阪のやつらか、大きいやつもおるなあ」
「けど、みんなおとなしそうやなあ」
「まだまだわからんぞ。今来たばかりやからなあ。そのうち何かやるかも知れないぞ。油断するな」
「なんか淋しそうな顔しとるなあ。泣きそうになっているのもおるぞ」
「そら親と離れてきて淋しいのやろ。おとなしいさえしとったら親切にしてやるけどな」
皆が緊張した思いで待ち構えていると、目の前までやってきた全員が整列して言った。
「こんにちはみなさん、お出迎えありがとうございます。今日からお世話になります。どうかよろしくお願いします」
そう言って深々と頭を下げた。どことなく清楚で賢そうに見える。中には大人かと思うほど大きな男子もいた。そして自分たちに最大の敬意を表したように思えた。彼らに対する警戒心も縄張り意識もいっぺんに吹き飛んだ。全員近づいて彼らの荷物を持ってやった。
彼らは学校に着くと宿泊所となっている各村々の寺へと分かれていった。その晩から各家々で彼らをお風呂に入れてやることになっていたのだ。真治の家では風呂を沸かすのは真治の仕事となっている。父の真蔵は言った。「今日から疎開の子らが風呂に入りに来るからいつもより多く水を入れるようにな」
井戸から釣瓶で水を汲み上げ、手桶に入れて運ぶ。幼い真治にとって辛い仕事だ。いつもは手桶に十杯ほど入れるのだがこの日から更に三杯ほど多く入れるようになった。これを藁と柴を焚いて沸かすと日が暮れてくる。
その夜五人の男の子たちがやって来た。
「今晩は、お風呂に入らせてもらいに来ました。どうかよろしくお願いします」
一番大きい子が丁寧に挨拶すると、みんなもペコリと頭を下げた。
「やあ、よう来てくれたなあ。遠慮せんと上がって。ああ、それまでに風呂の入り方を説明しとかなあかんなあ。おーい真治、風呂の入り方を説明してやれ」
当時は田舎の風呂はみんな桶風呂である。入るにも説明しなければ入り方がわからない。
みんな桶風呂を見るのは初めてらしく、珍しそうに見入っていた。
「この浮き蓋を踏み込んで沈めその上に座るのや。前の扉と上の蓋を閉めると温まるから」
彼らが風呂から上がると真蔵は一人一人に名前や大阪の様子などを聞いていた。
「あんたら何年生や」
「みんな五年生です」
「そうか、うちの真治と同級生やなあ」
彼は六年前に日中戦争で足を負傷してから三十八歳の若さで兵役をまぬがれていた。しかし、このことを喜ぶどころか残念がり世間に申し訳ないと思っていた。そこへ母の政恵が大豆の炒ったものを小皿に入れて各自に配った。
「お腹空いてるやろ、さあお食べ」
優しく言った。今は農家でも食糧が十分にあるわけではない。米は厳しく統制されており、百姓で米を作っていても国に供出しなければならず、満足に食えない状況なのだ。いつもひもじい思いをしていた。それを補うために様々な物を作っていたし、野草や山菜までも採りに行き食べていた。それでも親の元を離れ空腹な思いをしている子どもたちが可哀そうだと思い、なけなしの中から何らかのものを食べさせようとするのであった。家の人の思いもよらない好意に驚き、彼らはお互いの食べる様子を伺いながら無言で食べていた。真治も彼らと一緒に輪になって食べた。
「ありがとうございました。ごちそうさまでした」
そう言うとそろって頭を下げ帰っていった。
明くる日、学校で一人の少年が真治の顔を見てペコリと頭を下げた。昨夜風呂に入りに来た少年だった。真治の父の質問に門田雅彦と答えていた。真治より少し小柄だが賢そうで、可愛い目をしている。
「また来いよ」
そう言うと、にこりと笑い、またペコリと頭を下げた。
次の日から彼らは順番に各家々を回っていった。週に二回は女の子の五人組も来た。その中に一人真治の眼を引いた女の子がいた。スラリとした色白の、田舎にはない雰囲気をただよわせている。父に名前を聞かれたその子は大川玲子と言っていた。それからというもの、その子を見るたびに何故か真治の胸がときめいて、彼女の来る日を心待ちにするようになった。しかしこのことは誰にも言わず真治の胸の内に秘めておいた。
彼らが来るようになって半月もすると次第にみんなと仲良くなっていった。学校が終わると彼らが泊まっている寺の境内へ遊びに行くようになり、村の子どもたちも何人か来ていた。こうして村の子どもたちと疎開の子どもたちの交流が始まった。真治たちは大阪の子らを寺の裏にある大きな桑畑に連れて行った。ちょうど桑の実が真っ黒に熟れているころだ。
「これ甘くて旨いんだぞ、みんな食べてみろ」
みんなは一斉に真っ黒な実を口に運んだ。
「甘いなあ、こんな旨いものがあるって知らなかったよ」
広い桑畑だから実は無尽蔵にある。みんなは夢中になって桑の実を食べ続けた。みんなの口の周りが紫色に染まった。その笑顔は彼らがこの村に来て初めて見せるものだった。
そんなに喜ぶのならあの子にも食べさせてあげたい。真治はそう思うと寺に駆け戻り、思い切って大川玲子たちが遊んでいる女の子の集団のところに行き、みんなを桑畑まで案内した。彼女の嬉しそうな顔を見て嬉しく思い胸が高鳴った。
次の日、真治が寺に行くと布団が一枚干してあり、一目で分かる大きな地図が見える。
「あっ、あの布団の地図、誰が寝小便した?」
「大きな声で言わないでよ」
雅彦が真っ赤な顔をしている。
「と言うことはおまえか」
「うん、昨日桑の実を食べすぎたんやなあ。水分が多かったのかなあ。夜中に便所へ行きたくなってきてな、でも便所が墓の側にあるから怖くてね。そこへ母ちゃんが来てくれたので便所まで行って思い切り小便したら目が覚めたんや。母ちゃんはいないし、寝小便はするし泣きたくなったよ。君はいいなあ、いつもお父さんやお母さんと一緒にいられて」
雅彦の眼にいっぱい涙が溢れていた。真治は黙って雅彦の肩を優しくたたいてやることしかできなかった。
「あの頃は辛くて不安だったなあ。田舎に来たら苛められるんじゃないかとか、お父さんやお母さんと離れて、もう会えないんじゃないかとか。こちらに来て二、三日は夜になると布団の中ですすり泣く声が寺の本堂のあちこちから聞こえるんだ。その声は段々と広がってきて、そしていつしか自分も枕を濡らしていたんだ」
「たしかにあの頃はこちらでも町の者に対する警戒心みたいなものがあったけど、みんなおとなしくしていたから苛めようなんて気はなかったなあ。都会の子は清楚で賢そうに見えて憧れみたいなものがあったよ」
「こちらも子どもながら保身術みたいなものをもっていたんだなあ。おとなしくしていたら苛められることもないだろうって。そうしたらみんな親切にしてくれて、大人の人にもみんな親切にしてもらったなあ。田舎の人があんなに親切だなんて思わなかったよ。そうそう、あんたのご両親には特に親切にしてもらったなあ。風呂をもらいにいくたびに、いろんなものを食べさせてもらって。今でも感謝しているよ。今も元気?」
「そんなことまで覚えていてくれたのか。親父は二十年も前に死んだし、おふくろも十三年前に九十で死んだよ。最後は認知症がひどくてねえ、何もわからない状態だった。」
「そうかあ、俺の親父は外地から復員してきたが戦場の無理がたたって一年程で死んだよ。おふくろはそれから女手一つで俺を育ててくれたが八年前に九十五歳で死んだよ。うちも死ぬ三年前から認知症がひどくなってねえ、あちこち徘徊するようになって、ほとほと困ってしまったよ。死んでくれたとき正直言ってほっとしたよ。女房はそんなおふくろを俺以上に面倒見てくれてねえ感謝しているよ」
「そうか、そうだ一度大阪からこちらへ来られたことがあったなあ。あんたがすごく喜んで俺に手紙を見せてくれて、そしてそのお母さんに会ったとき『いつも雅彦がお世話になってありがとう』って言われたとき、さすが町の人は綺麗だと思ったよ」
「よくそんなこと覚えていてくれたねえ。あのときは半年ぶりにおふくろと逢えて近くの料理屋の二階で一晩だけ一緒に寝ることができたんだよ。嬉しいのと明日は帰ってしまうから淋しいのと、そんな気持ちでおふくろにしがみついて寝たんだ。明くる日おふくろが帰るとき淋しさで涙が止まらなかったよ。おふくろもあのときは後ろ髪を引かれる思いで帰ったと言ってたよ。戦争が終わって帰ってから一緒に暮らせることをどれだけ幸せに思ったか。女手一つで苦労して育ててくれたのに認知症になったら重荷に思うなんて人間は身勝手で悲しい生き物だと思うよ」
「俺も同じことを思うよ。今までさんざん苦労をかけてきたのに、親不孝だと思うよ」
「今から思うとあの頃は辛かったけど今よりずっと純粋で綺麗な心でいたと思うよ」
「ああ、お互いに純粋すぎたのかも知れないなあ」
二人で昔に返り飲む熱燗が胸にしみる思いがした。
雅彦たちが疎開してきて一年が経とうとしていた。雅彦は真治の親友になっていた。
「俺の兄ちゃんは浩司兄ちゃんと言って、今は南方で戦ってるんだぞ」
真治は得意そうに雅彦に自慢した。
「へえ、君に兄さんがいたの。知らなかった」
「いや、兄ちゃんと言っても母ちゃんの弟だから叔父さんだけどな、俺と十しか歳が離れてないから兄ちゃんと言ってるんだ。もの凄く強いんだぞ。この村で一番強いんだぞ。俺のこと凄く可愛がってくれるから父ちゃんや母ちゃんよりも好きなんだ」
「ふうーん、僕の父さんも南方に行ってるんだ。無事に帰れるか、とても心配してるんだ」
「心配することなんかないよ。日本は強いからもうすぐ勝って帰って来るよ」
「それは難しいよ。真治君これは絶対内緒だから誰にも言わないと約束してくれるかい」
「なんだ、どうした。誰にも言わないから言ってみろ」
「大阪では大人の人たちがみんな言ってたけど、日本はこの戦争に勝てないんだって。アメリカみたいな大国と戦争するなんて初めから大間違いなんだって」
「そんなバカなことがあるか。日本は神国だぞ。日清戦争も日露戦争もみんな勝ってきたやないか。清国もロシアもアメリカよりも大きいんだぞ。地図を見たか」
「今度は今までのようにはいかないんだって。アメリカはお金や石油や鉄など戦争に必要な物を日本の何十倍も持っているんだって」
「いや、それでも勝つ。日本は神国やから、蒙古が攻めて来たときも神風が二回も吹いたやないか。それに日本の兵隊さんには大和魂があるやないか」
「そんなの、たまたま台風が来ただけのことだよ。それにいくら大和魂があっても魂だけではどうにもならないよ。アメリカのB二十九が日本のあちこちの空にやってきて爆弾を落とすようになっても日本は何もできないんだって。高射砲も届かないし迎え撃つ飛行機もあまり無いんだって。ただやられているだけだって。僕ら子どもがこんなところまで逃げて来なければならなくなったらもう終わりだって、大阪では大人の人が言っていたよ」
「そんな町の人の言うことなんか信じるものか。日本が負けるわけないよ。絶対勝つよ」
「そんなこと言っているけど君は兄さんのこと心配じゃないのかい。僕は父さんのこと、ものすごく心配しているし、大阪にいる母さんが空襲で死なないかと、心配で心配で、夜も寝られないくらいに思っているよ」
思ってもいないことを聞かされた。身体中が震えるような感じがした。目眩がする。今まで日本は世界一の国だと聞かされ、ずっとそう信じてきたのに。日本中のみんながそう
信じているとしか思ってなかったのに。町ではそのように考えているなんて。どうしてもそんなこと嘘だとしか思えなかった。しかし不安もよぎった。このところ毎日のように空襲警報のサイレンが鳴り響き、はるか上空にB二十九の編隊が見え桑畑へ逃げ込むことが多くなってきている。しかしそれに応戦する日本の戦闘機は見たこともない。雅彦の言うことがまんざらデタラメとも思えない。以前から彼は自分より賢いと思っていた。町と田舎ではこれほど考え方が違うのか。そのときまたもや空襲警報のサイレンが鳴り響いた。二人は一目散に桑畑に逃げ込んだ。
ちょうどそのとき真治の両親は田で仕事をしていた。サイレンが鳴り慌てて近くの竹藪まで走って逃げ込むと、上空をB二十九が十数機、東の空から西の空へ無気味に爆音を響かせている。爆弾が落ちてこないか見上げていると茂みの向こうでひそひそと話す声がする。どうやらこの村の人ではなさそうだ。声も話かたも違う。どうやらこの訛りは隣村に疎開して来ている名古屋の人らしい。近くの畑から逃げてきたのだろう。
「このごろ毎日、昼も夜も空襲警報が鳴ってB二十九が来るようになったが、おそがいで、おそがいで、寝ることもできんわ。アメリカの飛行機がこんな我が物顔で堂々と日本の空を飛んでいても軍は何もできやせんのに、なんで早く降伏せんのかねえ。いつまでも勝てもしない戦争を続けていたら被害がますます大きくなって国中が焼け野原になって、取り返しのつかないことになるだがやあ」
側で他人が聞いているとも知らずに大変なことを言っている。真蔵と政恵は聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がした。自分たちが悪いのでもないのに、そっと音を立てないようにその場を去った。
「なあ政恵、びっくりしたなあ。町の人はそんなこと思っているのか。田舎では考えられないなあ。あんなこと言っているところを憲兵に聞かれたら、ただではすまんぞ」
「そやなあ、あんな藪の中には誰もいないと思っていたのやなあ。けどあの人たちが言っていたこと本当やろか。この戦争はほんまに勝てんのやろか」
「田舎の者は国の言うことや新聞に載ってあることをそのまま信じて日本が勝つと思っているが、町の者は違うなあ。ちゃんと自分で判断しとるわ。これだけ毎日空襲が続くと、あの人たちが言っていたように、この戦争に勝つことは難しいかも知れんなあ」
真蔵は町の者と田舎の者の考え方の違いをまざまざと知らされた思いがした。国の言うことを何の疑いもなく信じている田舎の者と違い、自分でよく考えて判断している町の人の考え方の進んでいることに驚いた。
その夜、雅彦たち五人の者たちが風呂に入りにきた。全員が風呂から上がったとき、またもや空襲警報のサイレンがけたたましく鳴った。真蔵は直ちに四十ワットの裸電球に黒い布を被せた。灯火管制が厳しく敷かれているからだ。黒い布の下から照らされるわずかばかりの明かりの下にみんな身を寄せて固くなっていた。やがてB二十九の爆音が悪魔の吠えるように響き渡った。突然誰かが窓の外を見て叫んだ。
「わっ、東の空が真っ赤になっている」
見ると東の山の向こうの空が真っ赤に燃え上がっている。伊吹山が夜なのに真っ赤な火の明かりを背景にくっきりと浮かんで見える。あれは岐阜か大垣の街が火の海になっているのだろう。
「怖いよう、大阪は大丈夫かなあ。いつまでこんなことが続くのかなあ。早く降伏するといいのに」
思わず誰かが声を漏らした。
「馬鹿なことを言うな。何てこと言うんや」
突然真治が居丈高に立ち上がって怒鳴った。
「真治、落ち着け、そんなに興奮するな」
真蔵がたしなめて静かに話し始めた。
「ええか、みんな落ち着いてよく聞くんやぞ。田舎では皆が国の言うことを間違いないことと信じてきた。今もこの村のほとんどの人が日本は必ず勝つと信じているやろ。それだけやない、どんなことをしても勝たなければいかんと思っているやろ。わしも今まではそう思っていた。しかしなあ、今日偶然町の人が話しているのを聞いて驚いた。町の人は田舎の我々とは違う。ちゃんと自分で現実をとらえて判断している。それが正しいか間違っているかは戦争が終わったらわかるやろ。ただひとつ、上から言われたことをそのまま信じるだけでなく、自分でよく考えて判断することは、とても大事なことやと思う。ここに居る大阪の子は大阪の大人の人の話を聞いているから、そう思うのやろ。しかしなあ、このことはここ以外では絶対に言うたらあかんぞ。もしも、こんなことを憲兵に聞かれたら、ただではすまんことになる。いくら子どもでも誰から聞いたか徹底的に調べられて、みんなのお父さんやお母さんまで刑務所に入れられるかも知れん。ええか、絶対に他所でしゃべったらあかんぞ」
子どもたちはみんな黙って頷いた。空襲警報も解除になって、五人の子どもたちは寺へと帰っていった。
「僕は日本が絶対勝つと思う日本が負けるものか」
真治は今までにない激しい表情で言った。
真治の母、政恵の弟の浩司が南方で戦死したとの知らせが入った。敵の銃弾の直撃を受けたそうだ。一番信じられない思いをしたのは真治だった。あの強い兄ちゃんが敵にやられるなんて。誰が死んでも兄ちゃんだけは死なないと思っていたのに。自分の親よりも慕っていた兄ちゃんが、あんなに自分のことを可愛がってくれた兄ちゃんが。真治の十二年の人生の中で経験したことのない衝撃であり悲しみであった。自分の人生が根底から覆された思いがした。しばらくはこの悲しみから立ち直れない状態であった。
「前、前、後ろ、後ろ前、突け、突け、突け」
「ヤアーッ、ヤアーッ、ヤアーッ」
神社の境内で国防婦人会の竹ヤリの訓練が行われていた。エプロンにモンペ姿の婦人たちが竹の先にタンポを着けた竹ヤリを持ち、初老の教官の号令通りに身体を前後させたり竹ヤリを突き出したりしているが、どうもあまり様になっていない。その側で真治が竹ヤリを持って一緒に訓練をしていた。初老の教官が言った。
「なんだ、なんだ、みんな、その突きかたは、そんなことでは敵が攻めてきたらいっぺんにやられてしまうぞ。もっと真剣にやらんか。おい、そこの坊、お前が一番上手や。おまえは感心な坊やのう。まだ小学生なのにおばさんらに混じって竹ヤリの訓練をやるとは。みんなこの坊を見習え」
「俺は早く強くなって小学校を上がったら立派な兵隊さんになるんや。そして南方に行って兄ちゃんの仇を討つんや」
「ほうーそうか、感心なことや、坊みたいな子がいてくれたら日本の国は大丈夫や」
褒められたくて訓練に参加しているのではない。何としても一日も早く強い兵隊になって南方に行き、兄ちゃんの敵討ちがしたいと本気で思っていたのだ。
「真治君、毎日竹ヤリの訓練なんかに行って本当に小学校を上がったら戦争に行くつもりなの」
「あたりまえや、兄ちゃんの仇を討つって言うたやろ。二十歳までも待っていられるか」
「僕、真治君が戦争に行くのは嫌だよ。寂しくなるもん」
「なんでや、おまえらも小学校を上がったら大阪へ帰ってしまうやないか」
「それでも君が元気でいてくれるだけでいいんだよ。君にはすごく助けてもらったし世話になったから、君のこと一番大事な友達だと思っているよ」
「俺もおまえのこと友達と思っているけど戦争にはどうしても行かなければ気がすまないんや。死ぬ気でいるんや」
あのころの真治さんってとても子どもとは思えないような気迫と信念があったなあ。おれは尊敬と畏敬の念で見ていたよ」
「そういう時代だったんだなあ。今から思うと我ながら恐ろしくなるよ。わずか十二歳くらいで本気で死ぬ気になっていたんだからな。友情よりも、親の思いよりも戦争に行くことを優先しようと思っていたんだからなあ。随分と馬鹿げてると思っただろうな」
「いや、あのとき戦争は勝てないと思っていたけど、そう思うだけで何をしょうとも考えない僕は君に比べて臆病で卑怯な人間じゃないかと悩んだよ。君の勇気と一途さが羨ましかったよ」
「その一途さが君と俺の友情にひびを入れたんだなあ」
「真治君、新聞読んだかい。広島と長崎に新型爆弾が落とされたって。そんなものが大阪に落とされたらと思うと心配で心配で、気が狂いそうだよ」
雅彦は早く降伏して戦争が終わればいいのにと喉まで出かかった言葉を抑えた。真治の気持ちがわかっていたからだ。真治も雅彦の気持ちは充分にわかっていた。立場からくる考えの違い。かける言葉がわからなかった。雅彦の横に座ると黙って肩を抱いて叩いた。
本日、天皇陛下の重大なお言葉があるということで村の多くの人々が寺の境内に集まった。真治も両親について行った。全員直立で整列するとやがてラジオから厳かに天皇陛下のお声が聞こえた。初めて聞く天皇陛下のお声をみんな頭を下げて聞いた。時々ピーピーガーガーと雑音がして聞き取り難かった。その上、言葉の内容が難しく、どういう話かよくわからなかった。ようやく長いお言葉が終わった。
「天皇陛下は何と言われたのやろ。分らんな」
「確か耐えがたきを耐えと聞こえたから、もっと耐えて頑張れと言われたんと違うか」
「ということはいよいよ本土決戦になるんか」
「そうなったらみんな何処へ立てこもるんや」
「山の中に立てこもって戦うんやろ」
みんなが思い思いのことを言っているとき真蔵がおもむろに口を開いた。
「いや、天皇陛下はポツダム宣言を受諾すると言われた。つまり戦争を終わらせると言われたのや」
「ということは勝ったんか」
「いや、負けたんや、それも無条件降伏や」
「無条件降伏、そんな馬鹿な。そしたら日本はこれからどうなるんや」
「どうもこうも、これからは全てこの国はアメリカやイギリスの言いなりにならなあかんということになるやろなあ」
「そんならみんな殺されるということか」
「降伏したんや。白旗を上げたものを殺すということはないやろ。しかしこれからは辛い厳しいことになるやろ。みんな覚悟しておかないとあかんやろな」
みんな騒然となった。中には泣き出す者も多くいた。真治は何が何だか分からなくなっていた。戦争に負けたということは、もう戦争に行くということは叶わないのだろうか。それにしても父はどうしてこんなに冷静でいられるのだろう。そのとき境内の奥の方で大阪の子どもたちがニコニコとしているのが目に入った。その中に雅彦の満面の笑顔があった。真治は急に怒りがムラムラと込み上げてくるのを抑えることができなかった。血相を変えて彼らのところへツカツカと歩み寄った。
「おまえら、何が嬉しいんや。おい雅彦、日本が負けたことがそんなに嬉しいのか」
「違うよ、日本が負けたことが嬉しいのじゃなくって戦争が終わったことが嬉しいんだよ」
「同じことやないか」
「違うよ、やっと大阪に帰れるようなったから喜んでいたんだよ。君に僕らの気持ちなんてわからないよ」
「何やと、いくら何でも負けた途端そんなに喜ぶやつがあるか。それでも日本人か」
「そんなに言わないでよ。友達なのに」
「もう友達やない、今日で終わりや」
吐き捨てるようにそう言うと、一目散にその場から走り去った。悔し涙が溢れた。
「今日は雅彦君たちが風呂に入りに来ないなあ。真治、何かあったんか」
真治は何も答えず黙っていた。
「どうした、喧嘩でもしたんか。何があった」
「あいつら、戦争に負けたのに嬉しそうにしていたから、腹が立って、それでも日本人かって言ったんや」
「何ということを言うたんや。あの子らは長い間、親の元を離れて遠い所まで来ていたんや。どんなに親が恋しかったことか。それがやっと帰れるようになって喜ぶのは当たり前やないか。そんな気持ち分かるやろ。今まで仲良うしてきて、これでいいのか」
いよいよ疎開していた子たちが大阪へ帰ることになった。みんなで見送ることになったが真治は家にいた。
「真治、おまえ見送りに行かんのか。いつまで意地を張っている。このままでは後悔するぞ。父さんも行くから、おまえも来い」
父に諭されて渋々ついていくと村中の大人も子どもも集まっていた。大阪の子どもたちはもう帰るため整列していた。双方一通りの挨拶も終わり、いよいよ帰るときお互いが声を上げ手を振った。父の後ろからそっと覗くと雅彦が激しく手を振っている。そして頻りに誰かを探している。その隣に大川玲子という女の子も手を振っていた。たまらなくなった真治は父の前に出た。雅彦が真治を見つけて声の限りに叫んだ。
「真治君―さようなら、ありがとう、君のことは忘れないからねー」
雅彦は涙を流していた。真治は声を出したくても胸がいっぱいになって出せなかった。ただ手だけを思い切り振り続けた。みんな帰ってしまう、段々遠くなっていく。真治は声をころして泣いた。
「ほんとうに戦争とともに何もかも終わってしまった。そう思ったなあ。雅彦君には本当に悪いことをしたと今も思っているよ」
「そんなことないよ、どれだけあんたには助けられたことか。あのとき思ったよ。おふくろのところへ帰れるのは嬉しいけど、あんたと別れるのはたまらなく辛かった。僕が生まれたときからこの村の人間だったら、どんなに幸せだろうって。大阪に帰ってから何度もここへ来たいと思ったけど、それどころじゃなかった。帰ったら家は焼け野原、父親は戦地から帰ってきたけど病気になって一年ほどで亡くなるし。それからというもの食うだけで精一杯だった。大人になるまで必死で生きてきて結婚してからも仕事と子育てに夢中になって、瞬く間に歳月が流れてしまった。まさかここへ来るのに六十五年もかかるとは思わなかったよ」
「苦労したんだなあ。俺の何倍も。あんたが帰ってから俺しばらくは気が抜けたみたいになったよ。戦争には負けて、もう行けなくなったし、みんなは帰ってしまったし。あんたとはあんなに仲良くなったのに、ひどいことを言ってしまって後味の悪い別れになってしまったし。あれからどれだけ後悔したことか。けど、あのわずか一年と三ヵ月の間に人生の喜び、悲しみ、怒り、寂しさとそれらが凝縮されていたように思うなあ。後悔といえば、あんたの気持ちを知りながら、あんな酷いことを言ってしまって、あんたの心をどれ程傷つけてしまったか、それでどれほど俺のことを恨んでいたかと、そればかりが後々まで気になっていたよ。今もはっきりと覚えているということは忘れることが出来なかったということだよ」
「そんなにあのときのことを気にしていたの。あれはこちらも悪かったと、あのとき思っていたよ。あれほどの信念を持っているあんたの気持ちを少しも考えなかったんだから。それより俺は人生の中で一番辛かったはずのあの一年余りを、なぜか今になるとたまらなく懐かしく思い出すのは、あんたと村の人に親切にしてもらったからだと思っているよ。その後の人生に大きな影響を与えたよ。あれから困難を乗り越えて来られたのも、あのときの思い出が心の支えになっていたからじゃないかと思うよ。本当に感謝してもしきれないくらいだ。今日会えて本当に嬉しいよ」
感極まった雅彦の眼に涙が溢れていた。真治も涙を流していた。夜も更けて十二時近くなったので萩野屋を出た。
「明日は雁が来るかなあ。まあ朝早く行こう」
そう言うともう雅彦の姿は闇に消えていた。
あれ、もう車の所へ行ったのかな。どこに車を置いてあるのだろう。そう思い家に帰った。
夜が明けると直ぐ西池に向かった。岸にカメラを構えると北の空に点々と鳥の影が見える。見る見る近づく影は間違いなくヒシクイ雁だ。グアッー、グアッーと鳴く声が大きく響いて来る。
「ついに初雁が来ましたねえ。わーっ、素晴らしい光景だ、感動しますねー」
いつの間にか雅彦が側に来ていた。雁の第一群は十八羽いた。池の真上に来ると大きく水飛沫を上げて次々と着水した。真治は夢中になってシャッターを切り続けた。
「真治さん、俺もう帰らなければならないんだ。あんたに会えて本当に嬉しかったよ。ありがとう、さようなら」
「なんだ、もう帰ってしまうのかい」
そう言いながらシャッターを何回も切り続けて振り向くと、そこにはもう雅彦の姿はなかった。あれ、もう帰ってしまったのか。あっけなく帰ってしまったなあ。昨夜は涙まで流してお互いに感激していたのに、最後に握手もせず勝手に帰ってしまうなんて、ありかよ。本当に彼は感激していたのかなあ。それにしてもどこに車を置いていたのかなあ。見たこともないし。と不思議に思った。
二か月程して一通の手紙が来た。読み進んでいくうちに見る見る真治の顔色が変わった。
拝啓、突然お便りをさせていただく失礼をお許しください。私は主人とともに戦時中、貴方様の村に疎開させていただき、大変お世話になった者です。主人、門田雅彦は特に貴方様に格別の御厚情を戴きました。昨年、貴方様のホームページを見た主人は居ても立っても居られないほどに貴方様に会いたくなり、どうしても貴方の村に行きたいと思うようになりました。そして同じ行くのなら当時疎開していたみんなで戦後六十五年ぶりに訪ねようと当時の同級生を捜すことにしました。しかしそれは並大抵のことではありませんでした。戦後の混乱期から六十五年の歳月を経た今となっては殆んどの人が散り散りになっていたからです。しかし主人はあらゆる手を尽くし奔走しました。その甲斐あって今年の五月頃には二十五人の仲間を探し当てました。直ちに全員が久しぶりに集まりました。その中には会社の重役となられている方や商売で成功されている方など様々でしたが、子どもや孫に囲まれ当時からは考えられない幸せな日々を過ごしておられました。そして満場一致で懐かしい貴方様の村や小学校を訪ねることに決まりました。予定として今年の十月一日にと考えていました。ところが運命とはなぜこうも残酷なものでしょうか。主人は突然病に倒れました。それも不治の病でした。奇しくも行こうとしていた十月一日の前日にこの世を去りました。亡くなる間際まで行きたい、行けないのは残念だ。貴方にだけはどうしても会いたいと無念の涙を流していました。私も主人を亡くして、しばらくは悲しみにくれて何も手につかない状態でしたがどうしてもそちらに赴き、貴方様に主人の思いをお伝えしたいと思い、二十五人の方々と十二月十五日に、そちらの地にお邪魔させていただくこととなりました。師走のお忙しい中、誠に恐縮ですが、貴方様だけには、どうしてもお会いして主人の思いを伝えたいと思います。どうか曲げて私の願いをお聞き下さいますようお願い申し上げます。また当時お世話になった同級生の方々にもお会いできるよう声をかけていただければ幸いと思います。 どうか宜しくお願い申し上げます。 敬具
平成二十二年十二月一日
門田玲子(旧姓 大川)松村真治様
真治の手紙を持つ手がワナワナと震えた。そんな馬鹿な。雅彦は確かに九月三十日に西池に現れた。そして二人で萩野屋に飲みに行った。そこで昔の思い出を語り合い、彼は涙を流して感謝の思いを語った。その翌日に二人で間違いなく初雁の渡って来るのを見た。その雅彦がその日に亡くなっていたなんて。それに旧姓大川玲子という名前にも驚いた。昔、真治が胸をときめかせた少女ではないか。彼女が雅彦と結婚していたなんて、まるで作ったような話だ。これは誰かのいたずらではないか。しかしなんのために誰がこんないたずらをするのだ。それともこの間来た雅彦と名乗った男が偽者だったのか。どうもおかしいと思った。そういえば幼いころの面影など何も無かったし。しかし何のためにそんなことをするのか理解できない。しかしよく考えると妙なこともあった。彼は現れるときも、どこからか急に現れたし、去るときも急に居なくなった。最後に帰るときもカメラのシャッターをほんの一分間ほど切っている間に居なくなってしまった。何か夢でも見ているのだろうか。それとも自分に認知症の症状が出たのだろうか。そうだ萩野屋に行って確かめれば何かがわかるだろう。慌ただしく萩野屋へ行った。
「おい、妙な事聞くけど九月三十日の晩、俺ここへ来たよな」
「ええ、九月三十日・・・・ああ、思い出しました。あの日は月末なのに特に暇な日でしたから覚えていましたよ。確かにあなただけがおいでになりましたよ、それが何か」
「もう一人図体の大きい男と二人で来たよな」
「いいえ、あなた一人でしたよ」
「冗談いうなよ。図体の大きい髭モジャの男と一緒だったろうが。夜中までいたし」
「何を言ってるんですか。間違いなくあなた一人でしたよ。そう言えばあんた、あの晩少し変でしたねえ。何だかわからないけど、そこの机の所に一人で座って飲みながら延々と独りしゃべりばかりしていましたね。いくら酒が入っていても少しおかしいと思いましたよ。それだけでなく時々笑ったり最後は泣いていましたよ。今まであんたが泣き上戸だなんて知りませんでしたよ」
真治は狐につままれたように思った。こんな馬鹿なことがあるもんか。いったいどういうことなのか。今まで霊とか魂などというものは全く信じてこなかったのに、このようなことがこの世にあるものか。こんなこと誰に言ったって信じてもらえないに決まってる。誰にも言わないでおこうと思った。
その日がやってきた。真治は声をかけた八人の同級生とともに小学校に待機した。やがてバスが来た。二十数人の初老の男女が降りて来た。髪が真っ白な者、すっかりと禿げ上がっている者など様々である。一行はやおら近づくと丁寧に挨拶をした。
「お忙しい中お邪魔して申し訳ありません。わざわざお出迎えいただきありがとうございます。あの当時は大変お世話になりました本当にありがとうございました」
「ようこそ遠い所までおいで下さいました」
お互い六十五年も経てば変わっているし記憶も薄れているのでほとんどの人はわからなかったが、ただ一人一目でわかった人がいた。色白でスラリとした、とても七十代半ばとは思えない女性である。真治はその人の前に近づいて言った。
「大川、いや門田玲子さんですね。面影があります。すぐにわかりましたよ。この前のお手紙、拝見しました」
「松村真治さんですね。私もすぐにわかりました。この度は本当に無理なお願いをして申し訳ありませんでした。本当に今日はありがとうございます」
「雅彦さんに会いたかったのに残念です。六十五年ぶりに会えたら良かったのに」
「ありがとうございます。私もそのことだけが残念で仕方ありません。あの人の今までの苦労と願いを思うと運命を恨めしく思います。主人は亡くなる直前まであなたのことを言っていました。思えば終戦後あれから主人も私も大変な苦労をしました。主人の父は復員後間もなく亡くなり、その後筆舌に表せない苦労をしたと言っていました。でも私はもっと悲惨な目に遭ったんですよ」
「どんな目に遭われたのですか」
「終戦の一日前に空襲で家も無くなり、両親も幼い妹も亡くなっていたんです。やっとお父さんやお母さんや可愛い妹に会えると帰りの汽車の中で胸をワクワクさせながら帰ったのに、それを知らされたときの驚きと悲しみは今も癒えることはありません。せめてもう一日早く戦争が終わっていればと、どれほど悔やんだことか。それは胸が張り裂けるような嘆きと悲しみでした。あの戦争は私の人生の全てを奪ったように思いました」
「そんな大変なことだったのですか、お気の毒に。それでどうなさったのですか」
「幸い和歌山に叔父がいて私を引き取り育ててくれました」
あの時の少女がそんなに辛い目に遭ったのかと真治の胸が痛んだ。
「私たち田舎の者には想像もできない苦労をなさったんですね。それでどうされました?」
「ええ、中学を卒業するまで和歌山に世話になり卒業とともに懐かしい大阪に就職しました。そこで主人と偶然会ったんです。主人は私の身の上を聞いて哀れみ、とても親切にしてくれました。そして結ばれたんです。貧しい中、形だけの結婚式でした。主人の母も両親のいない私を実の娘のように可愛がってくれました。ですから母が歳いってから認知症になっても恩返しのつもりで懸命に世話をして看取ることができたんです。そしてようやく静かな余生を送れるようになって主人はあなたのことや、この地のことを懐かしそうに話すようになり、どうしても会いたいと思うようになりました。そしてやっとその思いが叶うという矢先にこんなことになり、どれほど心残りだったかと思うと残念でなりません。せめて主人にこの地を見せてやりたいと思い写真を持ってまいりました」
玲子はバックの中から二枚の写真を取り出した。
「これが子どもの頃の写真です」
手渡された写真を見ると、あの懐かしい雅彦の子どもの頃の写真である。ニッコリとこちらに向かい微笑んでいる。
「そしてこれが去年写したものです」
その写真を見た真治は息も止まるほど驚いた。それは正にこの間会った雅彦そのものだったのだ。
「これは、これは、奥さん、実は私は雅彦さんが亡くなられた九月三十日の夜に長い夢を見ました。雅彦さんが私に会いに来てくれたんです。そのときの顔とまったく同じです」
実際に会ったと言わず夢だと言った。それでも玲子の表情が変わった。見る見る涙が溢れてきた。
「きっと主人が会いにいったんです。それほどまでに会いたかったんですね。そして会えたんですね。これで主人も満足して心置きなく旅立ったでしょう」
そのあとは声にならなかった。ハンカチで顔を押さえしばらく嗚咽していた。真治も涙をこらえることができなかった。
一行は懐かしそうにこちらの一人一人と名乗りあい寺や村の中をあちこち散策して歩いた。瞬く間に時間が過ぎ夕方になり帰ることになった。玲子が真治に言った。
「ありがとうございました。こちらへ寄せていただいて本当に良かったと思います。あなたに会わせていただき思いもよらぬことを聞かせていただいてとても感激しました。主人があなたに会えなかったことが心残りでしたが実は夢の中で会っていたことを知り安心しました。これで何の心残りもありません。どうかあなたもいつまでもお元気でお暮しください」
「あなたも悲しみを乗り越えて、いつまでも元気にお暮しください。雅彦さんも、きっとそう願っておられると思いますよ。どうか体をご自愛されて、これからは明るく生きてくださいね」
一行がバスに乗り、帰るとき双方が手を振って別れを惜しんだ。しかし終戦のときのような悲痛な別れではなく爽やかな別れだった。もう何も言うことはなかった。六十五年のわだかまりが解けたような思いがした。
真治はその足で家には帰らず西池に向かった。池の観察小屋の東屋に立つと二千羽以上の鴨の群れと数十羽ほどの雁が見られた。このあいだ雅彦と初雁の来たのを見たことを思い返していた。確かに彼は自分に会いに来てくれたのだ。彼の写真を見てそう確信することができた。夕暮れだというのになぜか池の面が殊の外美しく輝いて見えた。そして雁の回りを多くのカモ類が水面の餌を啄ばんでいる。雁は鴨たちの数倍の大きさだが鴨たちを苛めたり追い払うことはしない。種類の違いや力の違いで他を支配しょうとか、争うことはしない。あの戦争がなかったら大阪の人たちもこんな苦労をすることはなかっただろうに。いや、大阪の人だけではない。日本中、いや世界中の人が苦しまなくても済んだのに。戦後六十五年経った今も世界中に紛争やテロが絶えない。人間は人と争い支配することを考えるが雁も鴨もそんな意識はない。鳥たちは本当に偉いなあ。人間は何かといえば争うことを繰り返している。何が万物の霊長なものか。そう思った。雅彦は心の中で池の鳥たちに言った。
「お前たちは本当に偉いなあ、他と争ったり力で押さえつけようとしないんだから」
池が夕闇に包まれ、辺りが冷え冷えとしてきた。それでも何故かその場を去りがたい思いがした。初雁が渡ってきたときに雅彦は会いに来てくれた。この場で現れ、この場で消えたのだ。今は何処にいるのだろうか。
冷たい北風が吹き、枯れた葦の葉の擦れあう音がした。また雅彦がどこからか現れてきてくれるような気がした。真治の頬を温かいものが伝っていた。また夢でもいい、会いに来てくれないか。いつでも待っているから。
もう、すっかりと闇に包まれていた。
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