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りん、と風鈴が口遊む。
黒壁スクエアの通りには風鈴が並んでいて、風に煽られるたびに思い思いの音を弾かせている。水遊びに興じている子どもたちの奇声も混じり、人通りが少ない割には賑やかに感じる。
わたしは、夏の暑さと参考書を詰め込んだ鞄の重さに辟易としながら、無邪気に遊んでいる子どもたちを横目に羨む。わたしは生まれて間もないけれど、この子どもたちくらいに経験を積めば、安心して今を謳歌できるようになるのだろうか。
黒壁スクエアを素通りし、商店街にある自宅の玄関扉を開ける。靴を脱ぎ、靴棚の上に置かれている髭と冠を装着する。女性が使うには随分と刺激的なファッションアイテムだけれど、わたしの身体の由来によるのか、装着していると自然と落ち着く。もっとも、家の外では人目もあるので、髭も冠も着けずに普通の女子高生の振りをしているけれど。
普通の女子高生。
わたしは内心で自嘲しながら居間に入る。
「よー、おかえりー」
おじさんがわたしを出迎える。冷房の効いた部屋で寝転がりながら、アニメ観賞に洒落込んでいる。いつも通りの光景だった。
「おまえも大変だな、夏休みにわざわざ塾なんてさ。おれが若い頃にはツークール一気見とかしてたんだぞ」
「……それ、偉そうに言うことなの?」
わたしは溜め息を吐き、鞄から一枚の紙を取り出す。
「そんなことより、これ見て。緊急事態」
「へえー、まじかよ」
おじさんは焦った様子もなく、わたしから紙を受け取る。
「……なんだこりゃ。これが緊急事態ってか?」
おじさんは怪訝そうに紙をはたはたと振る。
進路希望票。
第一希望から第三希望まで記入してください。
人形のわたしにはそれを埋めることができない。