長浜はおいしいところ

 気がつけば十月。ビジネス街に人が少なくなる連休日に合わせて僕は休みを取り、長浜に向かった。
 滋賀県を代表する観光地である長浜は元々観光客が多いが、日曜日の今日は機関車がやってくるそうで、一目見ようとより多くの人が集まっていて、うっかりエスカレーターで左側に立って後ろから舌打ちされてしまった。
 東京と関西の差にはどうにも慣れない。
 祥子さんとの待ち合わせ時間にはまだ早いので、せっかくだから長浜一の観光地である黒壁へと向かうことにした。

 滋賀といえば江戸時代に全国で活躍した近江商人が有名だが、北国街道と琵琶湖水運の拠点だった長浜は、古くから商売の町として栄えていたという。そんな商人文化を伝える黒壁の町屋街は、現在も様々な業種の店が集まる観光スポットとして大いに賑わっている。昔ながらの郷土料理のお店があれば、町屋の風合いを活かしたおしゃれなカフェもある。東京生まれ東京育ちの僕にとっては古いものと新しいものが入り交じる光景はとてもおもしろく、興味深いのだ。
 賑わう町並みを歩けば、至る所からおいしそうな匂いが漂ってくる。テイクアウト、お土産品、気がつけば両手は食べ物でいっぱいだ。
 ホカホカのきんつばをつまみながらブラブラと一周回る。ぐぅと腹の虫は食欲を訴えるが、店舗の中に入って食べるほどの時間はない。次、来るときは近江牛を食べようと心に誓って、駅に戻る。
 途中、豊国神社にも立ち寄ってみる。豊国神社の祭神といば、豊国大明神こと豊臣秀吉だ。長浜城は秀吉が初めて手に入れた城で、ここから秀吉の天下取りが始まる。経済に明るかったとされる秀吉の遺徳から、豊国大明神は商売繁盛と出世の神様とされる。
 これでも経営を任されている。ここは手を合わせておくべきだろう。
 ……ちなみに歴史知識は祥子さんの受け売りである。
 
 駅に戻って、四つ目のきんつばを片手に「豊臣秀吉・石田三成の出逢いの像」を眺めていたところで電話がなった。
「きんつば食べてるだけなのに、絵になるもんねぇ…」
「わざわざ電話でいうことじゃないだろ、それ」
「あはは、確かに! 女の子たちがキミに声をかけられなくて困っているから、どいてあげなよ」
 振り返るとカメラを持った女の子が確かにこちらのほうを見ていた。指でこの像?っと確認するとすごい早さで頷くものだから、ごめんねっとジェスチャーで返して慌てて場所をあける。
 随分熱心に写真を撮っているから「一緒に撮りますか?」と聞いたら、これまた全力で拒否された。思い出の写真に自分はいらないらしい。女心はまったくよくわからない。
 駅の車寄せを見ると、この様子の一部始終を見てたのだろうか爆笑している祥子さんが、オンボロな軽トラから手を振っていた。
 時間が経ってしっとりとしたきんつばを食べるか聞いたが、いらないとのことだったので、もう一個食べる。イモ違いで全種類食べたがどれもうまさが違って甲乙つけがたい。
「トースターで焼き直すとおいしいわよ、それ」
「先にいってくれよ。全部食べちゃったじゃないか」
「それは失礼」
 ふと見ると、先ほどの秀吉と三成の像の前では別の女子グループが写真を撮っている。
「あの像、有名なんだ」
「え」
 知らないの? と祥子さんは目を丸くした。
「芸術には疎くて」
「あの像の芸術的価値は私もわからないけど、あの像、秀吉サマと三成の出会いの像だから、三成ファンは必ず立ち寄るのよ」
「あぁ武将のファンなのか」
「三成、ここからちょっと東に行った石田町出身だから、三成ファンにとって長浜は聖地みたいなものなのよ。で、秀吉サマと三成が出会ったっていう観音寺が近くにあって、最初は冷たい茶で、次は温め、三杯目は熱いお茶で出したっていう話がモチーフ」
「それってお湯が沸いてなかっただけなんじゃ?」
「んもう、いいの、歴史はロマンが大事なんだから」
 車は琵琶湖畔を北に向かう。
 日本一大きい琵琶湖だけども、滋賀県のほとんどが琵琶湖と思っていたら六分の一ぐらいしかないらしい。長浜があるのは琵琶湖の北東部、湖北と呼ばれるエリアだ。以前は細かい町に分かれていたが、平成の大合併でエリア一帯が長浜市になったのだそうだ。
 長浜駅前の市街地を離れるとだんだんと家よりも畑のほうが多くなっていく。都会の人が想像する田舎の風景――日本の原風景とかいうやつだ。
 湖岸の道に信号はほとんどないが、オンボロ軽トラはスピードが出ない。助手席側の風景はずっと琵琶湖だけども、僕はそのキラキラと輝く湖面と、釣り糸を垂れる太公望たちの姿を飽きずに眺める。
「そうそう、父が小鮎のシーズンに来たら、釣りを教えるって。冬だけど」
「寒いのムリ」
 冬、釣りという単語に間髪入れずに答える。
「啓吾くん、ホント、長浜に向いてないよね」
「都会の過保護もやしっ子を舐めたらあかんよ」
「誇るところじゃないでしょ」
 いくつか橋を渡って、進路を東へ。田畑の中の道を進む。
 高低差なく続いている田畑、視界いっぱいに広がる空と大地、そしてそびえる山。
  
――あぁ、平たいなぁ。
 
 地平線は北海道にでも行かないと見られないものだと思っていた。夕暮れが迫るあかね空が一層風景を引き立てる。
 祥子さんは貧弱な僕は長浜では暮らせないと笑うけども、 僕はこの風景がこの上なく好きなのだ。
 田んぼの中を見ると、ほとんどの田んぼで稲刈りが終わっていて、ツンツンと茎だけが残されている状態である。このエリアの収穫シーズンが終わっていることは明白だ。僕が稲刈りを手伝うことになっている田んぼは、僕の休みに合わせてわざわざ残しておいてくれたものだ。
 横山父はそういう人だ。いわぬ優しさに感謝しかない。
「お父さんがそういうなら、教えてもらおうかなぁ」
「ホントに? 父、本気にするよ?」
「僕も父とはいい思い出がないからさ」
「そっか」
 窓を開けると冷たい秋の風が入ってくる。
 あぜ道を抜けると横山家だ。

 代々この地で農業を営む横山家は農家らしい大きな倉庫が並ぶ一軒家だ。周辺に広がる田んぼが横山家所有の田畑である。一部、自宅用の野菜やフルーツも育てているのだそうだが、主力作物は米だ。
 はっきりいって近江米はうまい。
 近江米がおいしい理由には、気候条件や水環境、そして琵琶湖と近隣都市との関係が大きく関わってくるのだが――。
「はい、とうちゃーく」
 僕の薄ぼんやりとした思考は、軽トラの急停車で打ち切られた。
 祥子さんは黙っていればそれなりにかわいいのに、口は悪いし、運転は荒い。そして気が強い。初めて会ったころはもう少し遠慮があった気もするのだが、配慮という言葉を忘れているのではないかと思う。
 ちょうど畑仕事を終えて帰ってきたトラクターが軽トラの横に停まって、横山父が降りてくる。
 そして、僕を見るなり口をへの字に曲げて、
「戦力にならないやつが帰ってきた」
 と、わざとらしくいう。
「せいぜい自分の食い扶持分ぐらいは収穫してくれよ」
 ドンっと五キロ米袋を押し付けるものだから、その重さに僕はよろめく。
「はは、少しは役立つようがんばります」
 

 琵琶湖に夕日が沈んでいく。
 平たい大地全体が赤く輝いている。
 風の音だけが聞こえる。

――人の目が怖かったら目をつむってればいいんだ。好きな音を聞いているうちに悪夢は去っていく。


「今年もその音を聞きに来たよ」
 今は亡き恋人にいう。
 この地が故郷と呼べる場所になって三年が過ぎようとしていた。

きゆう
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きゆう

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