星斗をつかむ2
「ただいま戻りました」
大きな声がかかって、作業場の扉が開くと藤兵衛が顔を出した。作業を停めてそちらに目をやる。七年ぶりということもあってか髪に少し白いものが混じっていたが、まごうことなき藤兵衛だった。髷の形が、この辺りでは見かけない形なのであとで「坂東かぶれ」したとからかってやろうと思った。
「佐平治、作業中だったか、すまなかった。つづらは届いていたな」
「ああ、家の方にある」
「つづらと一緒に帰りたかったが、気砲の件で加賀に寄らねばならなかったゆえ。ひと段落したら、母屋に顔を出してくれ」
気砲とは、空気銃のことで、この江戸での滞在中に舶来のものを参考に藤兵衛が作り出したものの一つだ。種子島(火縄銃)の発注は下がっているものの、江戸で、あちこちの藩からこの気砲の注文を貰ってくれていたため、国友村に少しずつ活気が戻ってきていた。
夕方、いつもよりも早じまいをして母屋に向かうと、藤兵衛が子供たちにつづらから出したものを見せながら、江戸の土産話をしているところだった。藤兵衛は、こちらを向いて、「飯も食っていくだろう」と尋ねた。うなずくと、台所の方に消えた。
近く、藤兵衛の帰村が分かっていたためだろう。食卓は、鮒ずし、鯉こく、鰻(うなぎ)の塩煮をはじめ山海の豪華なものだった。
食事が終わり、囲炉裏の周りには私と藤兵衛二人になった。
「江戸は、得ることが多かったようだな、一貫斎」
藤兵衛は越後の本間平八から一貫斎の名を継いでいた。湯呑から酒を飲みながらうなずいた。
「今まで通り、藤兵衛と呼んでくれ。村に帰って真っ先に思ったのは、各家から槌音が当たり前に聞こえるということだ。帰参の途中に、そこの日吉様の中の伊都伎島様にもご挨拶をしてきた。なぜか境内の内堀を見た時に、故郷へ戻って来たと実感したがなあ」
国友一貫斎の家から北へすぐ。札の辻を東へ曲がるとすぐに小さな神社がある。茅葺の本殿には大山咋神(おおやまくい)をはじめ二柱の神様が祀られている。日吉神社が村内にあるのは比叡山延暦寺領であった頃の名残だ。境内の伊都伎島(いとぎしま)神社が鉄砲の守護神としてあがめられており、海中に立つ安芸の厳島を模して、周りには水を引いた内堀がめぐらされていた。
藤兵衛の好物の塩煮を私も口に運び、話の続きを促した。鼻へと山椒の香りが抜ける。
「江戸は、人も物も知識も集まる場所だ。ここにいては見ることさえかなわない気砲や望遠鏡を直接手に取ることもできた」
「それが、新たな国友の生業にもつながっている」
舶来の空気銃を参考に、その作り方や仕組み、用途について記した『気砲記』を藤兵衛が記したのは、三年前のこと。事細かに製法を記した制作の手順書も届けられ、減った鉄砲の穴を埋める形になっていた。
「気砲は、空気圧を使った鉄砲ゆえ、鉄を鍛えて熱で張りたて、台木を削り、カラクリと合わせる。原理さえわかればこれまでの応用で国友で作ることができた。実際、手間は小筒を張りたてるのに比べれば数倍はかかるが、価格は一〇倍を下らない。しかし、今必要とされているのは、さらなる火力だ。杉板を打ち抜ける程度のものではいずれあきられてしまう」
「どうすればいいというのだ」
「これだ」
懐から出された紙には、ねじが付いた太い筒が描かれていた。各部位には細かく計測した数字が書き込まれており、上に望遠鏡と大書されている。
「遠眼鏡か」
「そうだ。ただ普通のものとは違うぞ。月や明けの明星(金星)、お天道様まで手を伸ばせばつかめるくらいに見える優れものだ。気砲がひと段落する前に、これを国友で作れればと思う。金属を鍛えて筒にし、中を磨き上げるというのは、ほかのどの鍛冶よりも鉄砲鍛冶に分があるはずだ。それに、必ず必要とされるこまかいカラクリも、お前を筆頭に金具師には作りこなせるはずだ」
「しかし、それほどまで遠くを見ることのできる遠眼鏡にしては、寸足らずじゃないか」
「そこよ。今までのものは、ギヤマン(ガラス)を磨いて、遠くのものを大きく見るような仕組みだった。しかし、この望遠鏡は、鏡を使っているんだ。それも二枚」
こうなると、藤兵衛は止められない。子どもの頃からの癖だ。おかげでこちらも知識が増えるのだが。鏡の磨き方が難しく曇らない金属を作る手段も皆目見当がつかないという所に差し掛かったところで、廊下から奥さんの声がかかった。