「あるいは」とか「もしも」と言い置いて、昔のあやまちを取りつくろう発想は、いつごろから生じたのだろうか? 時間が不可逆だと人びとが気づいて、もう時間が不可逆だってわかってるのに「仮定」することによって、今と違う未来を想像できるようになったのは?


 アクラはこめかみに疼痛を覚えながら、自分がこんな深みまで泳いできてしまったことを後悔していた。湖面から黄金の光を見て、正体を確かめようと仲間と騒ぎに騒ぎ、リーダー分のアクラが潜ることにしたのだ。決して陽の反射じゃなかった。異質の光沢だった。時々光る石が村はずれの懸崖に散見されるが、そのような弱い光ではなく、光量はアクラたち、集落の子供を熱狂させるほどだった。

 アクラが、その光る石を拾うために潜ったのは、勇を示したいというリーダーの沽券もあったが、これをレイにやってレイの愛を奪い返したいという動機が、まずあった。レイは幼なじみだった。レイと、和邇の首長の婚儀は、明日あさってにも開
かれる。その前にレイを奪い返したかった。

 雨が降れば、その翌日に婚礼を行うのがアクラの属する坂田や息長、和邇、伊香の庄、ひいては淡海一帯の原則だった。雨が、人々の関連性、恨みや執着や因縁をも洗い流し、新たな絆を結ぶことが出来るという謂われだ。雨季が近かった。

 降れよ、雨、みんなみんな流して湖へ浸かれ!とアクラは気を昂らせていた。そんな焦燥の坩堝で、あの水中からの光に出くわしたのだった。

 

 アクラの生きた時代は、現代の区分で言えば弥生時代末期から古墳時代の初期にあたる。農耕文化が浸透し、大陸との交流が盛んになり豪族が台頭、各地での勢力争いが始まっていた。農耕流通により貧富の差が生まれたことが一大要因だが、そ
れをさらに伸長させたのは、農具として、そして武具として鉄の生産が始まったことだった。この時代の原料は砂鉄が主流となりつつあったが、湖北湖西地方では鉄穴(鉱山)で産出される良質の鉄鉱石、磁鉄鉱を用い製鉄されていた。和邇の地名の由来となった和邇氏は、大陸系の製鉄集団だったとの説が現在有力である。




 アクラが後悔という念に囚われていた僅かの間に、湖底の光がフツと消えた。おかしい!といぶかるのと、肉体が酸素を求めて水面へと手足を掻くのが同時だった。水温が低い。息が持つだろうか?と、怖気が奔った。浮上を急ぐと血の巡りが不調になり、時には死に至ることを知っていた。潜水病で弟が死んだのは去年のことだった。

 急に視界が暗くなった。雨雲などではない。硬質の何かが頭上に現れた。利き手でそっと触れる。木だ。刳り船らしい。今曳航してきたのか。アクラが潜るまで、そんな気配は全くなかった。潜水してから近づいてきたとしても浜で見守っている仲間が、大声で騒ぎ立てているはずだ。

 息が苦しい。思考の回転が鈍る。そのような制限下でアクラは、このフネは別の岸から俺らの想定を超える速度で航行してきたのだと結論した。

 ガツ、とアクラの伸ばした腕が太い指で掴まれた。ワツと肺の残りの息を吐きだしてしまった。しかし同時に水上に掴み上げられ、アクラは生気を取り戻した。眼前に大きな顔があり、その髭もじゃ顔がアクラの顔を凝視して、ばははははと大口を開けて笑いはじけた。

 両脇を抱えられていたアクラは船端に降ろされ、男はその対面の渡し板に座り「おまえ、あぶなかったな」と片言で話しかけてきた。アクラは、ようやく男が渡来人であることを悟った。同じように、ぎこちなく腰掛けると、男が貫衣を投げ寄こした。真っ裸だったアクラは黙ってそれを首から着込んだ。男は皮製の衣をまとっていた。

 男の背後には、白い布が柱に括り付けられて翻っていた。
「帆をみたこと、ないか?」
 ホ、という言葉自体が聴き慣れないので「え、え」とアクラは戸惑う。
「櫂、漕ぐだけではない、風で進む。風を受けるため布を張っている。風で漕いだ方が早い。わかるか」

 アクラは理解した。浜では仲間たちがこちらを凝視して固まっていた。アクラは右手を大きく挙げた。心配ない、待機しておいてくれ、という意味の手信号だった。そして男に向き直って、「俺は湖底に光を見つけて、泳いでいたのだ」と、沖合
で素潜りをすることになった事情を話した。

「黄金の光、それはわしの魚だ」
と男は言った。
「魚?」
養殖しようと思って、国から運んできたのだ、と男は片言で説明した。
「ワシの国でも、めずらしい種だ。パアチという鯰の一種でな、ヤマトへの供物として使えんかと、湖岸に生簀を拵えてるうちに逃げられてしまった。この辺りまで泳いできたのだな」
「はあ、魚だったのか」
 アクラは正体を知り、安堵したもののガクリと気が抜けた。男は自分をソガノウルカと名乗った。蘇我氏の一族だったのか。

 蘇我氏は、文明をもたらす開明的な渡来人の一派だった。近年彼らの主導下、山の麓に製鉄の工廠が建てられていた。この髭の男の仲間たちであろう、大陸から来た男たちが技術指導し、新しい産業道路も開拓されている。ヤマは後に製鉄のふいごの名残を残し、後年伊吹山と呼ばれるようになった。

 帆を操って、ウルカはアクラを岸に送り届けた。そしてそのまま上陸してアクラたちの村に案内してくれと申し出た。
「子供の俺らが使いでいいのか?」
アクラは躊躇した。

 ウルカの背後から、「そんな正式な挨拶じゃねえから、いいのだ」と甲高い女の声が応じた。アクラは意表を突かれて凍り付いた。ウルカの背中から小柄な女がひょいと顔を出した。

端正な顔立ちの、15歳ぐらいの眼尻に入れ墨を施した女がニヤリと笑った。アクラをびっくりさせたのが嬉しかったらしい。
「わしの師だ」
 ウルカが、女を紹介した。名はサル。サルはアクラの隣にベトッと腰を抱くように座った。アクラはどぎまぎした。二人は、アクラの村と商談がしたいのだと言った。アクラは磁石を欲しがっているのか、とすぐに得心した。アクラの村では磁鉄
鉱を加工し方位磁石を作っていたのだが、このことは内密事項で周到に隠されていたので、この渡来人の諜報の能力の高さに少年ながら危惧を抱いた。

「おまえ、さといね」
 警戒を顔に出したのをサルはすぐに察した。
「でも、心配するな。攻略に使う、ない。私たちはそれ、旅に使う。冒険に出たい。宝探しの冒険。それが私たちの目的」

 アクラはサルの眼に真剣の色を感じた。そして左手を挙げてグルグルと大きく3度回した。
「なんだ、それ?」
ウルカが不審がった。
「了解、の合図だよな」
サルがニカっと笑った。
「まあ、そうだよ」
 
 アクラ2回目の手信号は、正確には害意無し、警戒解除の合図だった。岸辺では石打ちの名手のトリデが、アクラの援護のために投石器を構えていたのだ。船上の二人への用心だった。

 サルが帆を操り、船はあっという間にアクラの仲間が見守る浜に到達した。一部が深くなっていて、船は迷いなく、その入江になっている処に泊められた。ウルカが手ごろな太さの松の幹に係留した。

「おまえ、良い面構えをしてるな」
とおもむろにサルが、トリデに笑いかけた。トリデはどぎまぎした。石で狙っていたことに、女は気づいていたのか。
「長の息子守る、おまえ勇者」
ウルカも敬意のこもった目でトリデを讃えた。

 その二人の余裕にアクラは圧倒された。寸鉄も帯びてなかったが、たとえ数百の石で狙っても、彼らはそれを避ける術を持っているのだろう。アクラが村長の一子だと知っているし、アクラたちの親が掘った人工港の位置も把握していた。渡来人
の潜在能力は計り知れない。アクラは呆然とした。

「そんなに構えるなよ、少年」
「そうだ、おまえも大物になるぞ。あんな深い所、綱もつけずに潜ったのだから」
サルは破願して、村への案内を乞うた。ウルカは歌いだした。景気づけのようだったが、歌はふつう儀式の時にしか歌わない。トリデたちは戸惑ったが、開明的なことだとアクラは思った。


 外つ国の者が集落に来るときは、日の高いうちでなければいけないとか、言葉に通暁した仲介者が立ち会うとか、礼にこだわった正装が必要とか、武力衝突を避けるために幾つもの取り決めがあった。
 しかしアクラの村は規模が小さくて、かつ首長は30代と比較的若い。また磊落なウルカとサルの人となりも、警戒心をアクラたちに抱かせなかった。

 村首(むらのおびと)、アクラの父は船の近づくのを丘から観察していたため、村の入り口まですでに出迎えに来ていた。片手になめし皮の紐を輪状に括り付けた樫の棒を、ゆるく握っている。

「ほう、工夫されたものだな」
 ウルカはすぐに首長の紐付き棒の潜在威力を悟った。紐のたわみに鉄製の礫をくるみ、棒の遠心力を利用し飛ばすことの出来る強力な投石器だ。アクラたちやウルカ、サルの立ち位置からは見えなかったが、簗で作った塀の裏側でも4基の石弓に人が配置されている。

「敵意は無い。商談をしたくて来た」と笑顔を向けた。首長もつられて少し表情が緩んだ。

「助けてもらったんだ」とアクラも助け舟を出した。襲撃するつもりなら、サルの一族の軍事力からすれば、とっくに殲滅されているだろう。首長も害意のないことは察知していたが、投石棒は習性として身から離さなかった。それほど、この時代の豪族間の対立、攻防は激しかった。

 ウルカと首長は集会所となっている村中央の家に入って、3人で話し合いを持った。日が暮れてきたため、アクラや仲間はめいめいの家に戻ることにした。

小高い丘の上に築かれた村落からは、湖が良く見える。日が沈むと対岸の火が星のように小さく視界に入る。篝火だ。和邇の集落が勢力誇示のために焚いているのだろう。

 湖面に風が吹き、灯の反射が、右へ左へと震え揺曳しているのがアクラには美しく思えた。

「あの石のこと残念だったな」
 仲間の一人、同年代のヨミが別れしなにアクラに声をかけた。村へ帰る道すがら、アクラはあの光が大陸産の鯰だったことを説明していた。ただ、それもウルカの話の受け売りであり、どんな魚なのかは茫洋としていた。仲間の少年たちも同じく
興味を持った。いつか岸の方にやって来るだろうか?

ヨミに声をかけられるまで、アクラはレイのことをすっかり忘れていた。あんなにも思慕していたのに。あの柔らかい肌への未練は、ずっとアクラを苛んでいたのに。

 帆船!!あれにまた乗って、沖に出たいとアクラは思った。そして外海へも。
 ウルカとサルはすぐに帰るだろうか?ここに泊まっていくだろうか?俺を気に入ってくれたみたいだったが、また船に乗せてくれるだろうか?アクラの関心は完全に彼らが企てている、冒険の旅へと傾いていた。

 完全に日が沈み、アクラは強烈に眠くなってきた。いつ寝たのか、覚えてない。夢の中で、アクラは黄金の魚を追っていた。


                

                  完

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