天が落ちる
そして、大学に入学してからというもの、僕たちは授業でも、帰ってからも、暇さえあれば集まって遊んだ。
夜中まで話したり、少し足を伸ばして京都や福井まで遊びに行ったり、夏には東京に旅行にも行った。
直樹と梓は、大都会に興奮して、住みたいと言っていたけれど、僕は今ではこの田舎がどこよりも好きになっていたことに東京で気づいた。遊ぶ場所に恵まれていないからこそ、友情とか絆とか、そういうものを強く感じられる。一緒にいるだけで、とにかく楽しかった。
そして、葉には一緒に過ごす度にどんどん、果てしなく、惹かれていった。
そして、僕がやってきて半年が過ぎた、十月の終わり。僕たちはいつも通り、遊ぶ約束をしていた。
「で、どうなのよ?」
直樹が切り出す。
いつも集合場所にしている喫茶店には、直樹と梓と僕の3人が先に集まっていた。
「どうって、何が?」
唐突な質問に聞き返す。
「葉の事に決まってるでしょ。アホちゃうの」
目を細めて梓が威嚇してくる。
「幾太、お前ら付き合ってるんやろ? 言えよ、水臭いな。なぁ、梓」
「ほんまに。こんだけ毎日いるのに」
2人が幻滅した表情をする。
「いや、付き合ってないから!」
いきなりの不意打ちに呆気に取られた。
「絶対ウソ! あんたら入学式の日に手繋いでたんやで? そっから何も無いなんて言わせへん」
身体を乗り出しながら梓が僕を問い詰める。
「いや、だから、あれはおれにもよく分かんねーんだよ。あの日寒かったからじゃねーの?」
あの日に握った手は今でも僕は鮮明に思い出せた。
「葉も何も言わへんし……。直樹は葉から何か聞いてないん?」
「何も。あいつおれのことただのアホやと思ってるだけやろうし」
この会話を聞いて僕は正直、がっかりした。
「てか、お前らこそどうなんだよ?」
ニヤつきながら反撃に出た。
「アホか! 誰がこんなブス!」
直樹が大声を出す。
「ホンマに! 何言うてんの!」
梓が顔を真っ赤にして言う。
「お前ら顔真っ赤じゃねーか」
2人は少し黙って、そのまま、いつも通りの口論を始めた。
それを聞きながら、僕はなぜ、あの日、葉が手を握らせたのか考えたが、皆目検討もつかなかった。
その時、梓のスマホが鳴った。
「えー。葉、来れへんねんて」
梓の言葉に一気にテンションが下がる。
その後、僕たちは、喫茶店でしばらく話して解散した。
その帰り道、交差点に差し掛かった時、僕は葉を見た。
交差点の向こう側に白いマフラーをして歩いていた。
「おーい! 葉!」
僕は大声で葉を呼んだ。
葉が驚いた表情でこっちを向き、僕が駆け寄った。
「どうしたの? みんなは?」
「もう、解散したんだ。葉こそ今日は用事じゃなかったの?」
「うん。でも、もう終わった」
「じゃあ、半年前にした約束守ってよ。天国を見に行くっていう」
葉は少し困ったような表情を見せたが、小さく頷いた。
そして、僕は今日、葉の気持ちを確かめようと決心した。
その日は、無風で曇りだった。
30分ほど歩き、僕たちは湖に立つ桟橋に着いた。
そこには見たことのないような風景が広がっていた。
水面は一切、揺らぐのをやめ、周りの音をかき消すほどの静けさを目から伝えてきた。そして本当に巨大な鏡が、横たわるように、空を映し出していた。
「本当に、天国みたいだ」
僕が呟く。
「うん。本当に何度見ても綺麗」
僕は葉の声がかすかに震えているのに気づいた。
「どうしたの?」
「ううん。ちょっと感動しただけ」
それから僕たちは、しばらく、地上に落ちてきた天国を見ていた。
「ねぇ、葉」
僕は切り出した。
「出会って、半年が経つね」
「うん」
葉が頷く。
「ここに引っ越して良かった。葉に会えたから」
僕が葉の方を向くと、葉もこっちを向いた。
「葉。出会った時から、葉が好きだ」
自分でも信じられないくらいに、スムーズに「好き」と言った事に驚いた。恐らく、この景色がそうさせたに違いない。
沈黙が流れ、葉は湖に目をやりうつむいた。
「ありがとう。でも、ダメなんだ」
僕は全身の毛が逆立つのを感じた。
「どうして?」
「幾太くんのことが嫌いとかじゃないんだよ。でも、私の事は忘れてしまうから」
僕は葉の言っている事の意味が分からなかった。
「忘れるわけないよ。そんな馬鹿じゃないし」
少しヘラヘラしながら僕は言った。
「忘れちゃうの!」
葉の大きな声を初めて聞いた。
「どういう事だよ? だって現に、こうやって毎日遊んで、会ってるわけだし」
「それも、私は辛いの」
「何か、おれ、悪いことした?」
「違う。そんなんじゃない」
葉が涙を溜めながら言う。
「じゃあ何で、忘れるとか言うんだよ」
「私はみんなともっと一緒にいたいけど無理なの。柳と約束したから」
「柳? 何の事だよ」
僕は葉を真っ直ぐに見て聞く。
葉は少し間を開けて、口を開いた。
「1年って約束したんだ。だから無理なの。ごめんね。それが私達の決まりだから」
そう言うと葉は涙を拭った。
「ごめん、私達らしくないね。凄いでしょ。この景色。私、大好きなんだ」
いつものあの笑顔だった。何もなかった様に葉は笑ってみせた。
「これで、約束は守ったよ」
僕はまだ、ポカンとした表情で立ちすくんでいた。
その帰りは、気まずさでほとんど記憶が残っていない。