3・海無県J、国宝から人生を語る
姉川古戦場を写真に収めた桜は、健司と共にバスに乗り、河毛駅へとやって来た。
「さて資金もまだあるし、せっかく長浜にいるんだから高月の観音様でも見に行こうか」
桜が時刻表の前で時計を見ながらそう言うと、健司は首をかしげた。
「かんのん?何だそれ」
「知らない?お寺の仏像のことだよ。如来とか明王とか色々種類があるけれど、観音様は菩薩っていう仏様の一人だね」
「ふーん」
「ふーんって……お寺とかでよく見るでしょ?お盆とかに行かないの?」
「寺なんて、お正月くらいにしか行かないよ。父さんは天涯孤独で無宗教って言っているし、母さんはお盆なんか面倒くさいって、ジイちゃんの家には正月くらいしか連れてきてくれなかったし」
キョトンとしながらそう言う健司を見て、桜はなんとも言えない気分になった。
「アーッ!」
自分の頬をバチンと叩き、気分を入れ替えた桜は、目の前の挙動不審な行動に驚いている健司の手を握った。
「見に行くよ!観音様!国宝!」
一時間後、桜達は向源寺の前に立っていた。境内には仁王門があり、左右に金剛力士像が一体ずついる。
「おお~デッカイなあ。ムキムキだ」
「こういうの好きなの?」
「うん。俺、運動するの結構好きなんだ。父さんの転勤が多いし、母さんパートに行くから、サッカーとか野球のクラブに入りにくいけれど」
「へえ」
「嫌いなスポーツもあるけどさ、勉強より体育がいい」
「うーん、私は勉強でも美術と歴史は好きだな」
桜には、ゲームや漫画の設定がより深く分かるようになる授業は、健康になる授業よりも好感度は高かった。
「落語とかのお笑いも、歴史を知っていたらすごく面白くなるしね」
「ふーん」
「それに此処の観音像、千年以上前に作られたすっごくキレイな仏像で……」
「ふーん」
興味なさげに聞く姿を見てイラッとした桜は、健司の頬を摘まんで伸ばした。
「何するんだよ!」
健司が叩いた手を腰に当て、桜は眉をしかめた。
「アンタ、本当に絵日記を完成する気あるの?」
「あ、あるに決まっているだろっ!」
「でもね、夏休みは今日と明日しかないのよ。同じ場所でいくつもネタを探さないと、色々描けないでしょうが」
「同じ寺で二回も描けないだろっ!」
「そんなのねぇ、『近くに行ったからまた寄りました』だの『前に全部見れなかったからまた行きました』だの付け足せば、同じ場所でも描けるに決まっているでしょうが!」
「……へっ?」
桜は過去の一日で書き上げた夏休みの絵日記を思い出しながら胸を張った。
「同じような文章や絵を二回描いたら評価が下がるかも知れないけどね。違う内容なら、場所が同じでも教師は気になんかしないわよ。調べられないんだから!」
「威張って言うことじゃ……」
「大体ねえ、此処の観音像はキレイなだけじゃなくて、すっごくムカつくって有名なのよ!」
「……なにそれ」
少し興味を持ったのか、聞き返す健司を見て、桜はニヤリと笑った。
「ここの観音様は、頭の上に小さい頭をいくつもつけているんだけれど、後頭部に『お前等、何にも我慢できないんだな。バーカバーカ』って笑い飛ばす顔があるんだよ。どんなにムカつくか、ちょっと見てみたいと思わない?」
健司はしばらく考えた後、頷いた。
「思う」
「でしょう?興味がないと思うことでも、探せば一つくらいは面白いことがあるもんよ」
桜も、自分がスポーツをすることには対して興味がないが、スポーツ漫画を楽しむ為にルールを覚えることは嫌いではない。体育の授業を思い出しながら言う桜を、健司はジッと見つめた。
「…………何?」
「なんか姉ちゃん、色々知ってるなあって思って。俺の父さんも母さんも、そんなこと教えてくれなかったし」
健司が真面目な顔でそう言うのを聞いて、桜は八重の事を頭に浮かべた。
「ああ、アンタの両親って厳しそうだからねぇ。意外と人生の知恵的な事って教えてくれないかもしれないね」
「姉ちゃんは教えてもらっているのか?」
「うん、今の母さんにね」
「……今の?」
「私の母さん、二人目なんだ」
キョトンとした健司を見ながら、桜は腕を組みながら斜め上を見た。
「私の本当の母さんって、優しかったらしいんだけれど病弱でさ。小さい時に死んじゃったんだよ。で、実の父親が遊び人の駄目男で、一人でまともに子育て出来ない人間なんだよ。離婚訴訟するには時間が足りないって心配した母さんが、親友で弁護士の今の養母さんに相談した訳。本当の母さんが死んだ後、養母さん、クソ親父を口説いて後妻になったんだよね。私と養子縁組する為に。手続き終了後、すぐに離婚したんだけどさ」
驚きすぎて、空いた口が塞がらない健司を見つつ、桜は八重の事を思い出していた。
「私の育ちって複雑になっちゃったから、世間一般的な育ち方だと変に捻くれるって考えたらしくって。養母さんが、物事をどう捉えるかっていう方法を、少しずつ教えてくれたんだよ」
まだ空いたままの健司の口を摘んだ桜は、ニヤリと笑った。
「ま、せっかく特殊な育ちの私と出会ったんだからさ、ちょっとは賢くなってお家にお帰り」
健司は顔をしかめた後、桜の手を叩いた。
「ば、馬鹿にするなっ」
「ふふーん。年の差とは中々埋まらないものなのだよ」
桜はドヤ顔をしながら、本堂を目指して歩きだした。
「ホラ、先に行くからついてきなよ~」
「フンッ」
ヒラヒラと頭の上で手を振る桜の耳に、後ろから足音と共に小さな呟きが聞こえてきた。
「…………でも、なんか良いなぁ」