ようこそ鶏足寺へ そして こちらは古橋です

今年の紅葉は三度も直撃した大型台風の影響で葉に傷が付き少し元気がない。
 それでも、近年のいつまでたっても終わらない夏のような変な気候からはなんとか免れて、色は悪くない。
 それでも温暖化の影響は受けていて、全体が暖色系のグラデーションとはならず、若干の碧を残し、人の口に「まだ早かったねぇ」と言わしめる。

 鶏足寺は、今年も人の波が押し寄せる11月を受け止めていた。

 木之本町古橋。
 長浜市の北東に位置する谷間の村落だ。己高山の麓の、昔のままの景色を残した「まほろばの里」というのがキャッチフレーズで、正直に田舎である。
 古橋で生まれ育ち、他所在所に嫁いでいるあきみは、今年初めて実家の母と実家の刈田でテントを建ててお店を開いた。
 毎年十万人が紅葉の名所として鶏足寺・石道寺を訪れる。ここ数年で実家の方は様変わりしてしまった。あきみが嫁ぐ前は「どこやそれ?」という静かにこっそりとある村だったが、隠れた紅葉の名所はもはやなんにも隠れていない。
 押し寄せる観光バスと自家用車は駐車場に割り振られ、シャトルバスまで出る始末。地元の人々も手作りの野菜や小物などを各々がテントを作って販売し、持て成している。
 子育てもある程度手が離れ、義父母を看取り、あきみは自分でやりたいことを始めようと動き出していた。だから、今年から実家の方で売れる物を販売しようと思ったのだ。

 今、あきみは「いらっしゃいませ」とも言わずにぼんやりと人の流れをテントの中から見ていた。
 たまにお客は立ち止まって商品を物色したり、気に入れば買ってくれたりするので、それは貴重なひとときである。
 だが、それは本当にまれで、話に聞いてはいたが、現実に直面して途方に暮れているというのが正直なところだった。

 あきみ自身、生まれ育った村の全てを知り尽くしているわけではない。けれど、少なくとも今は鶏足寺と呼ばれている寺跡は小さな頃から「飯福寺」と呼んで、ドングリや落ち葉を拾い、探検したりする遊び場の一つだったから、昔はどんな獣道を通り、途中にはどんな景色があり、お寺跡がどんなだったかは覚えていて、そして、戸岩寺の境内に建つ己高閣、世代閣に、飯福寺だけでなく、百幾つもあったと言われる己高山のお寺のご本尊が降ろされて収蔵されていることは知っている。

あきみのお気に入りは魚藍観音様だ。
珍しい観音様で、大抵は肩から衣をかけておられるお姿なのに対し、ここの観音様は上半身が裸である。
等身大に近い大きさの観音様だが、これがあきみも知らない昔、オコナイの時に塔人の家を回っておられたというのだから驚きである。どうやって運んだのだろう。

それはさておき、あきみはテント販売を通して人々をじっと観察していた。
観光客は有名な紅葉を観に来られているのだ。それはわかる。わかるのだけれど。

(まるで軍隊みたいや)

 先頭には添乗員かガイドが旗を持ち先導するのだが、その早さで歩いて大丈夫かしら、ここから飯福寺、もとい鶏足寺までは歩いて十五分かかるし、その後ろをついて歩くのはどう見ても五十代以上の方々ばかりである。その人々が、前に合わせて早足で、それも二列縦隊で必死についていくのだ。
 時々ちらちらといろんなお店を覗いては、「あら、あれ安いわぁ。後で買おうかしら」なんてお友達と話しながら通り過ぎていかれるのだが、どっこい帰りは案の定疲れ果てて目はまっすぐ前しか見えていない様子。自分が乗り込むだろうバスや車にとにかく戻りたい一心で、帰りたい気持ちを原動力にして笑顔もなく足を引きずっていかれる。
 買い物どころの余裕がない。
 時間に余裕があってお店を覗いても、田舎が売るものだから、カブラだとか大根だとかお米など、農産物が多く、「安い! けど重いから持てない!」と、諦めて行かれる。
 もっぱら人気なのは鷹の爪のブーケで、お料理に使うも良し、魔除けに使うも良し、場数を踏んだ売り子のおばちゃん達は大量の鷹の爪を栽培してこの期に一気に売り出す。飛ぶように売れるのだ。
 それも無人販売で百円。カンカンの貯金箱が無造作に置かれていて、観光客はブーケを手に取り百円をチャリンと投げ込む。

(ふむ……)

 あきみは紅葉の観光期間にじっとその様子を見ていて、ひたすら考えていた。
 始めは頑張って観光客に声を掛けていたのだ。「こんにちはー! 気を付けて行ってきて下さいね!」「お疲れ様でした! 結構な坂で大変でしたでしょう?」と。観光客は、行きはほとんど無視で、帰りは苦笑いで大変だったことを弾む息で伝えてくる。

 休憩場所が必要なのかしらとも思った。けれど、バスの時間が決まってしまっていてじっとしていられない。とにかく、到着したら一直線に鶏足寺へ。そして、一直線にバスへと歩くだけのパターンが多いのだ。

 なんだか悲しかった。見所を回れば一日費やせてしまう古橋をこんな風に訪れるもったいなさ。せっかくこんな遠い所に来られたのに、何を持ち帰って下さったのだろう。いや、質量の問題ではなく心の問題である。紅葉で胸一杯になっておられるように感じられない。

 あきみは、自分のテントに張り紙をしてみた。三枚の張り紙である。
「ようこそ古橋へ」
「奈良時代から続く山岳信仰の霊場 己高山鶏足寺 その数ある寺のご本尊が収蔵されているのが己高閣・世代閣」
「石田三成公が辿り着いた敗走の地 法華寺三珠院 オトチの洞穴
 三成公の句 残紅葉 散りのこる 紅葉はことにいとおしき 秋の名残はこればかりぞと
 木製の句碑が鶏足寺の入り口近くにあります。探してみて下さい」

するとどうだろう。観光客の中にはその張り紙を写真に収める人も出始めた。じっと足を止めて読み込む人もいる。興味がない人はキーワードだけが目に入り
「へえ、ここ古橋っていうの」
「石田三成? 何か関係があるのここ?」
「だい……だいだいきち……何これ」
 そう言いながら通り過ぎていく。
 ショックを受けなかったわけではない。ここが古橋だということを全く知らないまま来ておられる人もいるということを目の当たりにした。そしてそれがほとんどなのだ。
 鶏足寺を知っていても、この地がどこなのかわからない。
 でも、あきみは自分も猛烈に反省することになった。なぜなら、自分が他の観光地に行ったとき、その場の何をどれだけ知っているというのか、と言われると全く自信が持てない。奈良の法隆寺に行って、そこが法隆寺町だとして、それ以外に何を知っているのか。

 観光客にこの地のお土産物をすすめてもダメだ。何故なら、鶏足寺の紅葉、石道寺の仏像くらいしか観光客は予備知識がなく、その他のことを求めていない。いらない。
 思い出を欲しいと思ってもらうには、「なんかすごいみたい」という何かを感じてもらえるようなおもてなしが必要なのだ。

 それがまずは簡単なキーワードを書いただけの張り紙だったり、マークだったり、まずはそこから少しずつ印象づけていくしかない。
 あきみはそう思った。
 お土産物を、思い出を手にして帰ってもらえるようになるまで、気が遠くなるような道のりが待ち構えていると感じた。古橋だけではない。湖北は、そんな歴史の、まだ磨ききれていない原石がごろごろしている地で、そして、うまく伝えられていない。
 鷹の爪やカブラやお米を安く手に入れて家に辿り着いたとして、その人の心に何が残っているのだろう。
 今はなんでも手に入る時代である。だから、きっと欲しいものは物質的なものではないとあきみは思っている。思い出。圧倒的な思い出。

 それが何かわからないまま、あきみはテントでずっと頭を抱えてもがいていた。
 地域を売る。その難しさ。
 ふと、視界の端に走り去る男の姿が見えた。
 商品に出しておいた多肉植物をしゃがんで覗き込み、一個一個吟味していた人だった。一つ手に取ると、すくっと立ち上がりそのまま走り去ったのだ。ここまでくれば大丈夫と思ったのか、その人は足を弛めた。何気なく歩いて人混みに混じっていく。
 あきみはじっとその人の背中を冷たく見つめ続けながら、哀れさを感じていた。
 彼は、たった百円のその多肉植物が、全力疾走をしなければならないほど欲しかったのか。紅葉を見に来て、何で心を満たしたのか。ただで手に入れたというそれが彼の満足なのだろうか。
 無人販売所に百円ではなくゲームセンターのコインや一円玉などを入れて商品を持って行く人もいると聞く。
 心を満たすとはどういうことなのか。
 観光とはなんなんだろうか。心を満たすために楽しむためにあるのではないのか。お金をかけて出かけてきて、そしてたった百円の物をただで全力疾走で持ち去って、それが観光の中で得る満足なのか。

 時間ができたのか、ふらっと立ち寄った添乗員らしき若い男性があきみの店に立ち寄った。商品を眺めている彼に、あきみは思い切って尋ねてみた。
「おにいさん、ツアーの団体さん連れて来やあったん?」
 すると、彼は少し驚いたようだがまんざら迷惑でもなさそうに「はい」と答えた。
「おにいさん、ちょっと聞いてもいい? ツアーのお客さん、ここに来る時にバスの中でどういう説明聞いて来てやあるん?」
 あきみがそう問うと、彼は「いや」と反応して、身を起こした。
「特に説明というのはないですね」
「え、鶏足寺の紅葉を観に行くということは知ってやあるんやろ?」
「ええ、それはご存知ですけれど、そのくらいです」
「その他のことは?」
「特にないですね」
「……」
 あきみは悲しくなった。観光客はやはり、何も知らないのだ。紅葉がきれいというだけで、へたをすれば鶏足寺という名前すらちゃんと目に入っていない可能性がある。
 どこかの旅行のついでに立ち寄っただけで、ただのトイレ休憩場所なのかも知れない。それにしては都会の人なら山歩きさせられたようなしんどさを感じる坂と距離があるし、時間制限なのか早歩きで往復させられてお店を覗く余裕もなくて、ゆっくりくれば光るクリスタルな川の水や段々になっている田んぼの美しさやうっかり間違えて咲いてしまった一輪の菖蒲や綺麗に整えられた茶園などを、鳥のさえずりとか猿の鳴き声とかそういう自然のBGMに包まれて楽しむことができるのに、あんまりではないか。
 奈良時代からある寺院の石垣や、一つのお寺がこんなにたくさん坊を抱えていたのかとわかる跡地など、見えるわけがない。
 興味がなくても紅葉は観て頂けているはず。楽しんで頂けているはず。けれど、もう一つや二つや三つや四つ、思い出を持ち帰って心を満たしてもらいたいと思ってしまうのは、あきみのエゴなのだろうか。

 どういう場所に来たのか。心や知識を満たせるものをお土産にできないか。
 ふと、あきみはそう思った。
 物を売るのではなく、場所を見せる。見落としがないよう、もったいない旅行にならないようにおもてなしをする。それを第一に持ってくることをして初めて、観光客は思い出になる、それこそ「物」を買うのではないか。

 今年は準備と経験不足で試行錯誤が多かった。
 来年は、商品は二の次にして、とにかく観光客が観て楽しめるものを展示したりお話したりしてみるか。
 少しは興味を持っていただけるかも知れない。
 そして、こちらが話すばかりでなく、観光客からもご当地自慢をしてもらえばいいのだ。それが物々交換というものだ。

 来年まで一年ある。それまでに、あきみは体験したことをもとに、しっかりとしたおもてなし計画を練ろうと決心したのだった。

古橋 童子
この作品の作者

古橋 童子

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