ちゃんと跡取りとして申し分ない人間だったのなら、堂々と生きていけたのではないかと思い続けていた。
そんな時、ふと耳にした葛葉の存在。側妻の娘にして、術者であり、人に好かれ敬われ、慕われ……。女であるが故、跡を継げないからと自分を利用してその地位を得ようとしているのではないかと。父も、それを望んでいると信じていた。葛葉には期待する。しかし、自分には絶望の目しかない。どんなに武芸にたけようと、ここは武家ではないのだ。
しかし、実際の葛葉はどうだろうか。自分と変わらない子供であって、そこまで跡継ぎに執着している気がしない。
今度は、葛葉を気遣って度々休みながら先を急いだ。お陰で、進みは遅かったが晴明の体力は十分だった。
着いた小さな村の茶屋で、団子を食べた。
「晴明殿は、甘い物はお好きなのでしょうか? 私は大好きです。迷いますね」
「好きなものを食べればいい」
葛葉が心配そうな顔をした。
「案ずるな、待っていてやるから。それに、また野宿は御免だ。今夜はこの村に泊まるつもりだし」
葛葉の表情が明るくなった。
よく見れば、面白い娘かもしれない。ころころとよく表情が変わる。
一方、葛葉は葛葉で思うところもある。あんなに冷たかった晴明が、少しずつでも優しくなった。それと同時に、心強くなった。この先、何があるかもわからないし、わからないことばかりの旅だけれど、その不安が少しでも軽くなったように思えるのだ。
葛葉が団子を追加した時、茶店の女将が声を掛けてきた。
「どちらに行かれるんですか? 今夜は天気が崩れそうですけど、明日には晴れるといいですね」
何気ない世間話の筈だった。
「この先に、良い湯の出る湯治場があると聞きまして、そちらに行くつもりです 」
言ったそばから、女将の顔が青ざめた。
「それは、お止めになった方がよろしいですよ。湯治場はもう無くなったと聞きますし、それよりもこの先に死人の通る道があるといいます。湯治場は、どうしても野宿でそこを通らないと行けない場所なんですよ。上手く回避できればいいですけど、そうでなければ黄泉に連れていかれてしまいます」
「死人の道?」
「昔からある道ですわ。村の者は、誰も近付きませんよ」
「では、あちらに行きたい時はどうするんです?」
「迂回する道がありましてね、ずっと長くなるけど。ただ湯治場は迂回すると通り過ぎてしまうので、行けないのです。一説にはその湯治場を守るための道だとも言われていますけどね」
面白いことを聞いたなと、葛葉は思った。
「湯治場までは、ここからあと5日程もかかると聞きました」
女将は首を振った。
「迂回してから戻る道を通れば、そのくらい掛かるかもしれませんね。もしかしたら、真っ直ぐ行ったとして……死人の道を抜けるのにそのくらい掛かってしまったのかもしれませんけど。時折お坊さんが尋ねてこの村に立ち寄られますから、そう言った方が通る道は半々ですしね」
「特に変わらんということか。もしすんなり通れたとしたら、どのくらい掛かりそうですか?」
「そうですね、おそらく二日もあれば」
「そうですか、ありがとうございます。我々はどうしてもこの先に行かねばならりませんので、迂回しようと思います」
「そう、野宿になってしまいますよ。お止めになった方がよろしいと思いますけどねえ」
そう言いながらも、女将さんは迂回ルートを教えてくれた。
晴明から、ため息が出た。また、野宿か。この先もずっと。そう考えると、うんざりしかしない。
いっそ、母富子が言うように、葛葉を殺してしまえば全て切り上げて家に帰れるんじゃないかと思った。
が、いや、だめだと頭を振る。
茶屋で代金を払うと、今日泊まる旅籠を探した。シーズン的なものなのか、すぐに見つかった。特に他の客もおらず、のんびりできそうだ。1番良い部屋に夕餉の卵と鰻を用意するよう伝え、同時に湯浴みの準備と洗濯もさせた。
それを黙って見ていた葛葉であったが、これでは帰る前に金が底を付きそうでならない。
「晴明殿、差し出がましいようではございますが、もう少し節約なさった方が……」
葛葉と晴明は別に部屋を取った。それも、晴明からの申し出だった為だ。葛葉は1番安い部屋に、雑炊を頼んでいた。
「俺は、板の上では眠れぬ」
羨ましいのか、と晴明はムッとした。そうではない。
「どうせ、旅籠泊まるのも今夜限りだ。葛葉殿も同じようにしたらいいではないか」
「ですが、この先のことや帰りもありますし」
「うるさい、俺に指図するな」
晴明は、部屋に閉じこもってしまった。
基本的には何不自由なく育てられた、領主の若様である。本人が自覚している以上に、ストレスが溜まっていた。かくいう葛葉も、代わりないと言えばそれまでかもしれないが、側室の娘であるからこその我慢もあっただけに、晴明程苦痛に思ってはいなかった。それより、元々好奇心旺盛な性格が幸いしたのか、晴明が優しさを見せ始めてからは、少なからずワクワクすら感じていた。
「旅路の相談を致しませんか?」
葛葉は、襖越しに声をかけてみた。
「お前が先程勝手に決めたではないか」
それも気に入らなかったのかと、葛葉は反省した。
「申し訳ございません。あの場はああして流しただけですから、決めたわけではございません」
「死人の道等と言っていても、誠のところは山賊のことやもかもしれん。先程お前が決めた通り、迂回すればよかろう。俺はさっさと休みたいのだ。明日も早い、姫様もさっさとお休みください」
姫様とは、嫌味だ。
しおらしく演じていても、本来気丈な性格の葛葉である。流石に彼女もカッとなった。カッとして、晴明の部屋の襖を乱暴に開いた。
「若様、この旅が辛いのはわかりますが、こう我儘ばかりで当り散らすのもいい加減にしてくださいまし。まして、今は母上や父上や松兵衛がいる、居心地のいいお屋敷とは違うんです。それとも、たった2日で情けなくもホームシックにでも?」
晴明の方も血が昇る。あながち、間違ってはいないのが、心底腹に来た。
「ホームシックな訳あるか! 侮辱する気か!!」
「侮辱? おかしなことを、私は事実を述べたまでです」
暫く、二人の激しい言い争いが続いた。旅籠の主人と女将が間に入るほど、二人の喧嘩は凄まじく。腹に据えかね頬を叩いた晴明に向かって、葛葉も負け時と叩き返すから、遂には殴り合いの喧嘩にまでなっていた。
子供と言えども男女の喧嘩は喧嘩。ようやくおさまった頃には、晴明も葛葉も髪も服もヨレヨレだった。
「女子の分際で、いい加減折れたらどうなんだ」
晴明の左頬が熱い、腫れているのが自分でもわかる。目の前の葛葉の頬も赤いが、それ程でもないのは多少加減したせいか。
「若様が、わからずやだからです!」
息を切らしながらその場に座り込む二人に、落ち着いたのを見計らって女将が冷えた手拭いと水を差し出した。
「何があったかはわかりませんが、今夜はもうお休みください。続きがあるなら、明日外でやってくださいませ」
呆れながらも、女将と主人はその場をあとにした。今度喧嘩したら出て行ってもらいますよと、一言付け加えて。
葛葉もそれに続くよう、晴明の部屋を飛び出し、自分の部屋に篭ってしまった。残された晴明は、腫れた頬を冷やしながら深い溜め息を吐いた。
同時に、やり場のないモヤモヤとした感情に「畜生」等の悪態しかでない。
翌日になっても晴明の頬の腫れが引くはずもなく、茶屋の女将が言った通り朝は雨が降っていた。なんとなく、雨が止みそうな気配もあったので、朝餉を済ませると、晴明と葛葉は旅籠を出た。
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