⒈再会

 
 初め、それは微かな雨音のようだった。
 雨はやがて流れる川となり、さざ波となって僕の耳に押し寄せてきた。
閉じていた目をそっと開けた時、ようやくそれが自分に向けられた満場の拍手であることを理解した。

 僕は、橘音弥。二十歳の誕生日を迎えたばかりのこの日、雅楽橘流四代目継承者として初の、単独公演のステージに立っていた。
 雅楽とは、古来中国及び朝鮮から伝わった最古の楽舞で、平安時代に貴族社会を中心に我が国独自の発展を遂げた。
以来千年以上、宮廷や神社仏閣にて盛んに演奏されてきた。明治以降、一般にも門戸が開放されて多くの新しい流派が誕生した。僕の曾祖父の橘弥一は宮内庁楽部出身であり、新たな志を持って流派を立ち上げた一人である。
 平安時代からほとんど変わる事のない古楽器を用いて奏でられるその雅やかな曲調は、悠久の時を超えた現代でもなお、
人の心を惹きつける不思議な魅力を持っている。
 
 僕はまだ母親の胎内にいる頃から、その古風な音楽を聴いて育った。物心つく前から、その不思議な音色を醸し出す古楽器に手を伸ばしては遊んでいた。中でも龍笛と呼ばれる横笛には強く興味をひかれて、片時も離そうとはしなかった。
そんな様子を見ていた祖父は、徐々に僕に稽古をつけるようになり、やがて素質有りと認められて本格的に龍笛奏者の道を歩む事となった。
 幼少期から、こうしていわば英才教育を施されてきた僕は、通常の奏者たちよりも数年早く初舞台を踏むという幸運に恵まれた。しかしその陰には、妥協を許さぬ厳しい指導に耐えうる忍耐力と、日々の辛い練習を重ねる地道な努力があったからに他ならない。

「でかしたぞ、音弥。演奏は見事だった。お父さんは鼻が高いぞ!」
 幕が降り、まだ熱気が残る舞台に一人佇んで感慨に耽っている僕に、両手を広げて迎えてくれたのは親父だった。
 祖父亡き後、事実上師匠となった父は、まさに鬼教師となって僕を指導した。
一切の口答えを許さぬその一方的な指導法に、僕はこれまで何百、何千回と反発してきた。(高校時代には、密かに友人たちとロックコンサートに足を運び、憂さ晴らしにバンドまがいの活動もしていたくらいである)
そんな父から手放しで褒められるという想定外の事態に、僕は戸惑った。しかも親父は感動のあまりむせび泣きをしつつ、
僕の身体をしっかと抱きしめてきたのである。

「ちょ、ちょっと待ってよ親父、く、苦しい!」
 その半端でない熱い抱擁から逃れようと、僕は必死になって抵抗を試みた。しかし親父のその太い両腕は、一向に緩まる気配を見せない。
「音弥さーん、楽屋のほうにお客様がみえてますよー!」
 その時、タイミング良く女性係員の呼ぶ声が高らかに聞こえた。天の助けとばかりに僕は親父の手を振り切って、一目散に廊下に向かって駆け出した。

「お待たせしてすみません。あれ?あなたは・・・」
息着せ切って楽屋の扉を開けた僕の前に立っていたのは、意外な人物だった。
「やあ、音弥君、久しぶりだね?」
浅黒い肌に精悍な顔立ちをしたその人の名は、轟宗次郎。忘れもしない、僕の故郷の長浜で神社の神主をしている人物
だった。彼は満面の笑みをたたえて言った。

「おめでとう、音弥君。いやあ、実に見事な演奏だったよ。僕はずっと鳥肌が立ちっぱなしだった。
君の奏でる笛の音は、人を別世界に連れて行ってしまうような魔力があるよ。それにまた、その古式ゆかしい装束も
バッチリ決まっていたぞ」
「ホントですか?それはもったいないお言葉をありがとうございます。演奏中は無我夢中でしたから、まわりの事は
何もわからなくて・・・だから演奏を終えた時にはすごい拍手をもらえて、正直ホッとしています」
「そうか?とにかく大成功で良かったよ。君からメールで公演の知らせを受け取って、何とか都合をつけて上京したいと
思っていたところにタイミング良く神社関係の会合の案内が届いてね?これ幸いと思って参加する事に決めて来られた
んだよ」
「そうだったんですか?まさか来て頂けるとは思っていなかったので感激です。こちらにはいつまで滞在されるんですか?」
「ああ、明後日までだ。そこでなんだが明日の午後あたり、ちょっとばかり時間を取れないかな?
 久しぶりに君と語り合いたいと思ってね?」
「明日ですか?明日なら大丈夫ですよ。ちょうど休みにしてありますから」
「そうか、良かった。それなら時間は午後2時にするとして、待ち合わせ場所はどうするかな?」
彼はそう言うと、ちょっと考える素振りを見せた。
「ウーン、そうだな。場所は後でメールで知らせることにしておくかな?実は君を連れて行きたい場所があるんだよ」
それはあとのお楽しみ!彼はそう言って意味ありげに笑うと、楽屋を去って行った。

神倉万利子
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神倉万利子

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