3火竜

 それからの日々は、それまでとは全く違った忙しさを経験する事となった。
 公演を境に、僕の存在は邦楽業界で一躍注目を浴びる事となり、次世代を担う期待の新星として
新聞や雑誌各社からの取材が相次いだ。それはとても嬉しいことではあったがその反面、
今後かなりのプレッシャーがのしかかって来る事を意味していた。

 そんな取材攻勢もようやく収まったある日のこと、父は僕を稽古場の奥にある一室に呼び出した。
そこには初代の大きな肖像画が飾られており、僕はその前に正座させられた。
 初めに公演の成功に対するねぎらいの言葉をかけた後、親父は小一時間ほど創始者の掲げた理念やこれまでの
活動の歴史を語って聞かせ、その上であらためて後継者としての使命、あるべき心構えなどを話した。
そろそろ足の痺れに限界が来たかと思っていたとき、親父は僕に向かって見せたい物があると言って、
背後に用意していた物を取り出した。

 それは、漆黒の細長い筒型の箱に入っていた。
蓋を開ける前に親父は両手に白手袋をはめ、慎重に中の物を取り出した。
目の前にそれが置かれた時、僕は息を呑んだ。炎のような緋色の本体に艶やかな金の龍が蒔絵で施された
それは、年代物の龍笛だった。

「どうだ?美しいだろう?」
「は、はい。こんなに見事な龍笛は、これまで見たことがありません。」
「そうだろう?この笛はな、名手として謳われた初代、橘弥一の愛用の品だ。
生前、彼の演奏に感銘を受けた、さる名家の奥方様より特別に賜った我が家の宝でもある。」
(な、なるほど。それでこんなに華麗な装飾がなされているのか?それにしてもこんな名品、
恐れ多くて気軽に吹いたり出来ないよな・・・)
 そんな事を考えていた僕の胸中を見透かしたように、父は命じた。
「音弥、これを手に取って見なさい。そして吹いてみるのだ。さあ、やってごらん?」
(えっ、じょっ冗談だろ?)
うろたえる僕には構わずに、親父は僕の両手をグッとつかむとその笛を握らせた。観念した僕は、
恐る恐るその笛を口元に持って行った。
 
 ピーッ!
 僕の最初のひと吹きに、その笛は瞬時に反応して音を出した。
その音は、長い年月使用されていなかったとはとても思えない鋭く、明瞭なものだった。と同時にその笛に触れたとき、
まるで静電気が走った様な感覚を覚えて、僕は戸惑った。しかし親父は気にも留めずにただ頷くと、先を促す仕草を
して見せた。そこで僕は背筋を正して座り直し、気を取り直して再びその笛を口に当てた。

 初めその笛は、深夜の夜汽車の汽笛のように、細く高い音を鳴らしてみせた。その澄んだ、どこか物悲しい音色は
僕に一年前の満月の夜を思い出させた。そのイメージが自然と湧き上がって来たとき、僕はいつの間にかあの日、
即興で作った菊石姫への鎮魂歌を奏でていた。すると僕の想いが込められたその曲に共鳴するかの様に、笛は厳かに、
かつ清らかに見事に表現して見せたのだった。

 パチパチパチッ
 気がつくと、親父がそばで手を叩いていた。
「音弥、素晴らしいじゃないか!その曲は一体どこで覚えてきたんだ?」
笛との思いがけない一体感に興奮を覚えている僕に、親父は興味津々で尋ねてきた。
「えっ今の曲ですか?えーっとこの曲は、僕が作りました」
「な、何だって、お前がか?一体いつの間に?」
「それは、去年余呉に帰った時にです」
「何?そうなのか。それは知らなかった。そういえば音弥、お前確かあの頃は演奏の事でかなり悩んでいるように
見えたが、戻ってからは別人のように回復して笛の音色も一段と冴え渡っていたから、私は随分と驚いたもの
だったんだぞ。まあそれはともかく、今の曲は実に良かった。切ない調べが胸に響いて、笛の音色とよく合っている。
フーム・・・」
 父はそう言うと腕を組み、しばらく何か考え込んでいるようだった。
それから数分後、閃いた様にそのギョロッとした目を向けてこう言った。

 「決めたぞ、音弥。次の演奏会にはお前、その笛を使って今の曲を披露するんだ。
よく聞け音弥、実はその笛はな、今では伝説となった幻の名工が製作した貴重な逸品なのだ。この箱書きに
記された通り、銘は”火竜”という。初代はこの笛は吹く者を選び、一度で吹きこなすのは難しいと語っていた。
従って自ら亡き後は、然るべき後継者が現れるまで封印しておくようにと言い残してこの世を去ったのだ。
その後私は密かに幼い頃から龍笛に魅せられているお前が、その跡を継ぐ者になるのではと予感して、特別厳しく
稽古をつけていたのだ。長い道のりではあったが、それがどうやら功を奏した様だな・・・
 おめでとう、音弥。お前は見事にこの笛を吹いて見せた。今、私はお前をこの火竜の正式な奏者として認めようと
思う。どうだ?お前はこの大役を引き受けてくれるな?」
父、文弥は真剣な眼差しを僕に向けて尋ねた。
 
 名笛、火竜
その燃えるような朱塗りの笛に描かれた金龍の眼がその時光を放ち、僕をしっかととらえた気がした。その瞬間、
僕の心は決まった。
「はい、承知しました。僕はこの火竜の後継者と成ります。
そして今後、初代の名に恥じぬよう、一層の精進を重ねて参ります!」
 この日、僕は百パーセントの自信を持って宣言したのだった。ところが・・・

 「こ、これはマズイ!」
 それからわずか数日後、僕は火竜を前にして頭を抱えていた。
何と、この伝説の笛は新人の僕をあざ笑うかのように、あれから全く音を出さなくなってしまったのである。
 「この笛は吹く者を選び、一度で吹きこなすのは難しい」
初代の残したその言葉の意味を、皮肉にも僕はようやく理解していた。
 しかしだ、それならば何故初めて吹いたあの時には、難なく音を出すことが出来たのか???
しかも僕が作ったあの曲を、完璧なまでに表現して見せたのに・・・
「くそ、もう訳わかんないよ!」
僕は頭を掻きむしると、これ以上演奏を試みるのは無駄だと思い、気分転換に外出することに決めた。
                                                                         



神倉万利子
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神倉万利子

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