"人食い"

 朝、柔らかい陽の光が部屋の中に射しこんでいる。
 治部はすっかり目を覚ましていて窓の外の景色を眺めていた。刑部はぐっすり眠り込んでいて起きる気配すら感じられない。
 つまり治部は刑部をもう少し寝かせてあげようと思って静かに景色を見始めたのだが、眼下を通っている道には既に人の往来が多くあり、昨日の夜とは比べ物にならないくらいせわしないからこれが見ていてちっとも飽きなかった。
 街の奥に見える海も治部はとても気に入った。昨晩真っ黒に見えていた海は今では青の濃淡の律動があり、揺れるたびに細かな輝きを振りまいている。
 そんな海の上に南蛮船は三隻泊まっていた。治部のいるところからだとそれらは黒豆のように見えたがいずれも日本のものと比べれば随分と大きいということは知識として知っていた。
(俺らが追っている南蛮の者も今、船上にいるのだろうか。それとも街の中? どちらにせよ……)
「お早う、佐吉」
「わっ……お早う」
 後ろから聞こえてきた声に驚いて振り向けばさっきまで熟睡していたかのように見えた刑部が大きく伸びをしていた。
「なんだ、もう起こしちゃったか」
「分かるぞ」
 刑部はさっきまで眠り込んでいたとは思えないしっかりした口調で言った。
「何だ、急に」
「この街に、自分が見ている景色の中に、長浜へ仇なした元凶がいるかもしれないと思うと景色を楽しむことなんてできない。そう思っていたのだろう?」
「紀ノ介は……本当に何でもお見通しだな」
 治部は参ったとばかりに眉を八の字にしてみせた。
 刑部は治部の微妙な声の調子と治部が窓の外に見たであろうものから類推して治部の気持ちをぴたりと言い当てたのだった。
(一体、どうしてこんなに紀ノ介は俺の考えていることが分かるんだろう)
「はは、簡単なこと。俺と佐吉で考えることが一緒だというそれだけのことだ」
「えっ」
 刑部はふざけて言ったのだが、それがまた治部の考えていたことの答えになっていたので治部はその言葉を真にうけてしまった。
「じゃあ、逆に紀ノ介の考えていることが俺にも分かるっていうことか?」
「そういうことになる」
 これは面白くなってきたと思って刑部は次こそ誠実そうな眼差しでうなずく。
「そうか……」
 治部はしばらく黙ったあと、おそるおそる言った。
「今、かすてらが食べたい?」
「ん? どうして」
「……?」
 治部はここでむっとしたような、あれっ?とでも言いたげなような不思議な顔をした。刑部はその表情に耐えられず、ふふっと吹きだした。このころには治部も真実に辿り着いていた。
「もう! 考えていることが一緒だなんて嘘か!」
 治部はどうせなら絶対刑部が知りようのないことを質問してみようと張り切ってしまったのが恥ずかしい。不本意ながら窓の方へ再び視線をやらざるをえないほど刑部の顔をまともに見ていられなかった。
「すまないすまない。だがおもしろいことを知った。佐吉はかすてらが食べたいのか? こんな朝に?」
「……」
 治部はせめてもの反攻として無言に徹して刑部を無視することに決めた。
「俺は腹が減っているからまずは美味しい朝餉が食べたいな」
「……」
「ははは! だからすまないと!」
 不貞腐れてむくれた治部がおかしくて愛しくて、これだから佐吉はいじりがいがあるなあ、と刑部は大いに満足した。それでこれ以上はかわいそうなのでこのことではもう笑わないことにした。
 刑部が急に静かになったのでうっすらと横目で刑部の方を見た治部だがそこでばっちり刑部と目が合い、そしてその眼に絡め獲られてしまって目が逸らせなくなった。
 刑部はそうして治部の眼を引きつけたまま、愛敬の相とでも言うべき笑顔でにこりとする。
 それで毒気を抜かれた治部はまあいいかという気持ちになり、ついつられてあははと笑った。平和な朝のひととき。


 刑部は結果として茶化したのだが実際、今回の事件について調査する方法に関しては治部と全く同じ考え方をしていた。
 まず街中を歩きまわって情報を探したり船をしらみつぶしに調べたりするのは時間と手間がかかりすぎる上、目的に達するまでに自分たちの噂が立って逃げられる可能性が高く、あまり良策ではない。
 その点、特定の地元の人から協力を得ながらある程度的をしぼって動くのが一番安全で、その地元の人というのにはこの宿を経営している夫婦が一番適任である、というものだ。宿屋には情報が集まりやすいし、昨日の一件で少々こちらに不自然な点があっても信用してもらえるのではないかと考えたからだった。
 だが治部と刑部が話を持ちかけようとする前に、助七から奇妙な話がもたらされた。それは朝餉を食べ終わった後のことだった。


 助七は膳を下ろしに来ていて、かちゃかちゃと手を動かしていた。だが助七の表情は妙にぎこちなく、どこか落ち着きがない。
 治部と刑部は(何かあるんだろうか)と思いながらも、その何かの想像がつかず助七の真意を分かりかねていた。
 部屋には微妙な無言の空気が充満して気まずいことこの上ない。それに耐えきれなくなった治部がつい口を開いた。
「……助七どの、何か、あるのか?」
 助七はおそるおそる治部の方を見た。
「あ……すみません、お気づきになりましたか……その……」
「助七どのが腹に一物抱えたままじゃこちらも落ち着かない。これも何かの縁だ。話してくれ」
 治部の真っすぐな瞳に射抜かれたようになって、助七は動かしていた手を止め二人の方へ向き直り、改まった様子でちょんと座った。
「あの、妻が、言うんです。佐吉さまと紀ノ介さまはただのお人ではないわ、事件を調査しにはるばる長崎までお越し下さったのよ、と。手前も妻に言われるうちそんな気がしてきて……」
(……あ、あっている……)
 治部は冷や汗が出るような心地がした。自分たちでは巧妙に隠しているつもりが昨日初めて会った麻に既に正体を見抜かれていたのだ。そう思うと恥ずかしさも出てきた。
 だが刑部の方をちらりと見ると刑部は朝餉を食べているときと何も変わらない顔をしていたし、助七は自分が話すのに精一杯で治部の様子には気付かず言葉を続けた。
「それで……佐吉さまと紀ノ介さまは、あの“人食い”の事件を調査しに京(みやこ)から長崎へお越しになったのですか?」
「“人食い”?」
 治部はすかさず聞き返した。聞き捨てならない単語である。刑部も先ほどよりやや真剣な顔になって、その答えを待つ。
「ええ。最近特に噂になっております。長崎に来ていたはずの人がいつの間にやら消えていると。それは長崎に人が来るのを喜ばない鬼が来訪者をとって食っているからだ、と」
 治部はこれを聞いて助七に色々と打ち明けなければならないと思った。
「助七どの。確かに俺たちは京の者で、ある事件を調査しにも来ている。しかし俺たちの反応を見て分かったと思うが、その“人食い”の事件とやらを俺たちは今初めて知ったんだ」
 助七はがっかりした様子こそ見せなかったが、少ししゅんとして見えた。
「そうでございますか……もし“人食い”の話であれば手前どもでも少しはお力になれましたが……」
「いいや、それで、だ。その話、ぜひ知っているだけ詳しく聞かせてくれないか。聞いてしまった以上そんな話放っておくわけにいかないだろ。な、紀ノ介」
 治部から急に話を振られた刑部は慌てることなく、落ち着いた声で言った。
「そうそう。場合によっては俺たちで解決出来るかもしれないぞ」
「本当、ですか?」
 助七が驚いたのは、刑部が解決出来るかもしれないと言ったこともそうだがそれより、この身分の高いお武家さまたちがこのよく分からない噂話を本当に信じて自分の話を聞いてくれようとしていることだった。
「あ、ありがとうございます。手前どもとしてもかなり気になっておりましたもので、実際に鬼が人を食っているかはともかく確実にいなくなっているのです、人が」
「ほう。そこまで言うには、何か理由があるんだな?」
 刑部の問いに助七は固くうなずいた。
「はい。実際に手前は夫を探しに来た女性から相談を受けたことがあるのです。『長崎に来ているはずの夫が消えてしまった。何か知っていることを教えて欲しい、そうでないと訴えに出ることすら出来ない』と。……結局、手前では何も協力して差し上げられなかったので、その女性は本当に泣き寝入りするしかありませんでした」
 思っていたより具体的な話が飛び出してきて質問を投げた刑部は少し驚いた。助七はそのまま話を続ける。
「うちは梶屋さんから少し離れているのでそのお一人しかお相手したことがありませんが、それが手前だけでなく他の者も……人によっては複数の人から、そういう話を聞いているのです」
「ちょっと待て。梶屋さん、とは?」
 急に割りこんできた新しい言葉を治部は鋭く聞き返した。助七はつい、口を滑らせてしまったようで少し口ごもった。
「あぁ、はい。その梶屋さんなのですが……ここからは特に確証のある話ではございませんので……」
「よいよい。大丈夫、大丈夫」
 刑部の声に押されて助七は声をひそめて話し出した。
「噂ではその梶屋さんが人食いの鬼を飼っているということなのです。梶屋さんも手前どものような宿屋で、あ、手前どもよりもっと立派な宿屋なのですけれどもね」
「それはまた、すごい噂だな」
 治部は思うところがないわけではないがもう少し助七の話が聞きたくて相槌を打つにとどめた。助七もそれを察して話しだす。
「……ここからは手前の勝手な考えなのですが、梶屋さんが人食いの鬼などを飼う利点が思いつかないのです。だから手前としては鬼がいるかいないかで言えばいないと思っております。けれど……」
「その梶屋とやらに泊まった客が消えていると言うのは事実だと考えている、そういうことだな?」
 助七はその結論を言いたくなさそうに思われたので刑部が代わりに言ってやった。助七はしぶしぶとうなずく。
「……はい。梶屋さんでお客様が消えてしまう理由も結局、手前にはさっぱり分からないのですが……手前が相談を受けた女性も、まさに『夫は梶屋に泊まると言っていた』と言っていたのです」
「なるほど。分かった」
 助七は実際、梶屋という宿に泊まったらしい夫が消えてしまって情報を求めに来る人を相手しているし、自分以外の人が同じような事例を経験した話も複数件知っている。
 このことから“人食い”の噂は「梶屋に泊まった客が消える」という意味においてはほぼ事実なのだろうと治部はひとまず判断した。だがそれには一つ不自然な点があった。
「このような噂話がたって梶屋はさぞかし迷惑だろう。だが梶屋は奉行所へ訴えには出ていないよな?」
 少なくとも俺はそんな話聞いていないぞ、と心の中でつぶやきながら治部は尋ねた。重大、奇特な事件については中央へ知らせが来る決まりになっているからだ。
「はい。その通りでございま……あっ……」
 質問の意図に気付いたらしい助七にうなずいて治部は続けた。
「梶屋が人食いの鬼を飼っているという噂で一番困るのは、間違いなく梶屋だ。もし本当に梶屋の意図せぬところで人が消えているのなら疑惑を払拭するためにも積極的に奉行所に相談するはずじゃないか?」
「それは……」
「助七どのが話を聞いた女性は証拠がなく訴えに出られなかったが梶屋は違う。梶屋で客が何人も消えている事実は何より梶屋が一番分かっているはずだ。少なくとも訴える努力くらいはするのが自然じゃないか?」
「それなのに梶屋さんは一度も、訴えようともしていない……」
「“人食い”には梶屋が一枚噛んでいる」
 治部がはっきりとした口調で言った。
「……」
 助七は梶屋での“人食い”についてはある程度確信を持っていた。
 とすると治部に筋道立てて説明されるまでもなく梶屋が“人食い”に不関与であると考えられる材料が出てきていない現状、梶屋が“人食い”に何らかの形で関係していると本当は分かっていたも同然だった。
 だが梶屋はやはり同じ街に住む仲間なのであり、それを受け入れがたい自分がいた。助七は自分の考えを否定してもらいたい気持ちもあって治部と刑部にこの話を持ちかけたのだった。
 それがかえって間逆の結果となってしまった。助七はもう引き返せないと腹をくくった。
「……では、梶屋さんは一体何をしているというのですか?」
 治部も刑部もその答えについておおよその見当がついていた。それを言ってしまうのは酷だとも思ったが、はぐらかされる方が不安が募るかと治部は思い切って言った。
「宿泊客を、売っているんだろう」
「え、ま、まさか、そのようなご冗談……」
 腹をくくった直後に聞いた答えとはいえ、その言葉は助七には重たかった。苦笑いする助七に治部もつられて心が苦しくなった。
「もちろん確証はない。だから梶屋に直接、確かめに行こうと……」
「あの、今、人を売ったり、買ったりするような者が……人買いが人食いの鬼の正体だと?そんな者が本当にいるのでしょうか?」
 この助七の疑問はもっともだった。太閤殿下が特に最近、熱心に人身売買を禁じているということを知っていたからだ。これには刑部が淡々と答えた。
「鬼が殿下の御触れなど知らない存在であれば?梶屋は鬼を飼うどころか鬼に弱みを握られたり、そそのかされたりしているとすれば?」
「え?」
 刑部の発言に困惑した助七は治部の方を見たが、治部は窓の方に視線をやって疑いを向けている存在を暗に示した。
「この日の本に住んでいない者は殿下の御触れを知らないだろうな」
「……南蛮人……!」
 助七の脳裏に豊臣と島津が戦ったとき、その戦場となった豊後(大分県)の人々がたくさん買われ……買い手の中には南蛮の商人もいたという話がすぐに浮かんだ。
 そしてまさに太閤殿下はこのとき非常に心を痛められたのがきっかけで人身売買の禁止に本腰をお入れになっているということも。
「だがさっきも言いかけたがこれはあくまで推測でしかない。ただ、助七どのが言ったような、人買いが絶対起こっていないというようなことは言えないという、それだけなんだ」
「それでそれを確かめるために梶屋さんへ行かれるおつもりなのですね?」
「そうだ」
 治部も刑部もそろってうなずくのを見て、助七は(なんて行動力のある方々なんだろう)と目を見張る思いがしたが、そもそも長崎にやって来ている時点でこの二人は相当に行動派なのであった。
 二人とも政権下ではいわゆる「頭を使う」立場にある分、考えて答えの出る問題と出ない問題を判別するのも速かった。そしていくら考えても埒の明かない問題については直接確かめるのが一番ということもよく知っていた。
「助七どのの話で大変助かった。ありがとう」
「いえ……!本当は別の件について長崎にお越しになられたとのこと、ご負担を増やしてしまったのではないでしょうか?」
「大丈夫だ」
 梶屋のことと長浜のこと。なぜだか分からないが治部には何か関係がある気がしてならなかった。

江中佑翠
この作品の作者

江中佑翠

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