2 湖の異変

 「こ、これは一体どうしたことだ?」
余呉駅に到着した僕は、目の前に広がる光景を見て、悄然と立ちつくした。
湖の様子が去年とは全く違っているのだ。
 
 鏡湖とも呼ばれ、その澄んだ水の美しさを讃えられてきた余呉湖が
暗く濁り、中が全く見えない。
また、いつも水辺で愛らしい姿を見せてくれていた、沢山の水鳥たちの姿も見当たらない・・・
明から暗へと、印象がまるで変わってしまった湖の姿に僕はショックを受けて、
暑い盛りだというのに、寒気さえ感じてしまった。
 その後気を取り直した僕は、ビジターセンターに向かって歩き始めた。
その時、向こうから歩いて来る集団の中に轟氏の姿を見つけた。

「轟さん!」
僕が声をかけて走り寄ると、彼は僕に気付いて驚いた顔をした。
「おお、音弥君、驚いたな。もう来てくれたのか?」
「ええ、実は親父に頼み込んで、休暇を少し早めてもらったんです。
あれから心配でいてもたってもいられなくて・・・」
「そうだったのか?それは心配をかけたな」
 
 そう言うと彼は、一緒にいた人達に声をかけると、僕を自分の車に乗せて
祖父母宅まで送ってくれる事になった。
助手席に座らせてもらった僕は、真っ先に気掛かりだった事を質問した。

「ところで目玉石のほうは、今はどうなりましたか?」
「ああ、お陰様で落書きのほうは、何とかきれいに落とすことが出来たよ」
「それは良かった」
「ところが少し問題もあってな、落書きを落とすのに特殊な溶剤を使ったため、
一部が少し変色してしまったんだ。そこを削り落とす事になったから、
結局石をまた少し傷つける事になってしまったんだ」
「そうだったんですか?それは残念でしたね。ところで犯人のほうは見つかったんですか?」
「うん、それもお陰様でね。思った通り、例の暴走族の仕業だったよ。
奴らは他の集落にも出没して、似たような事件を起こしていたんだ。
地域の神聖な場所を汚したり傷つけたりする行為は大罪だからな?
警察のほうの捜査も本格化してね、まあ見つかるのは時間の問題だと思っていたがな」
「そうですか?それは良かった。これで地域の人達も安心ですね?」
「ああ、こんな事件はここでは滅多に起こるものではないからなあ・・・」

 車はそのうち湖岸の道をゆっくりと通り過ぎて行った。
僕は事件が無事解決したことに一安心しながらも、先ほど感じた湖の異変について
触れられずにはいられなかった。

「ところで轟さん、僕さっき久しぶりに湖を見ていて驚いてしまったんです。
なんだか暗い印象に変わっていて水位もかなり下がっているようなので・・・」
 すると彼は真剣な表情で、僕を見た。
「そうか、やはり君も気がついたか?実はさっき君に会う前に漁協の人達が話して
いたんだよ。最近とみに魚の量が少なくなっているから、近いうちに湖の調査をして
原因を探る必要があるだろうとね」
「そうなんですか?」
 僕は答えながら、おばあちゃんから来た手紙のことを思い出していた。
地元の人達にとってこれは切実な問題に違いないだろう。
去年ここを訪れた時にはこんな心配事など全くなかったのに・・・

「さあ、間もなく到着だぞ。
自慢の孫の帰りをおじいさん達は指折り数えて待っていたようだから、
せいぜい孝行してくるんだぞ!」
轟氏はそう言って、僕の肩をポンポンと叩いた。
 
 間もなく見覚えのある木造の二階建てが見えてきて、僕は懐かしさで一杯になった。
彼は別れ際、肝心な事を伝えるのを忘れていたと言って、僕にメモを渡した。
そこには夏祭りの式次第と準備要項、また日程などが細々と記されていた。

「今回君には色々とご足労頂く事になったが、どうかよろしく頼むよ。
詳しいことは追って連絡するから」
 そう言うと轟氏は僕を降ろして再びエンジンをかけ、赤く染まりはじめた山の方に
向かって走り去って行った。

 その晩の夕食は賑やかだった。
おばあちゃんは僕の初舞台の成功を祝って、刺身や近江牛のステーキ等の
ご馳走を用意してくれていた。
中でもちらし寿司は死んだ母さんが時々作ってくれたものとそっくり同じ味で、
僕は食べながら涙が出そうになって困ってしまった。
 一方、おじいちゃんは僕が成人になり飲酒が解禁になったことを大いに喜んで、
その夜は遅くまで一緒に晩酌を重ねることになってしまった。

 「母さん、ただいま。久しぶりだね?」
ご機嫌になり、そのまま和室で眠り込んでしまったおじいちゃんを起こさないように
注意しながら僕はそっと仏間に移り、線香を手向けた。

「今の僕にとっていつでも温かく迎えてくれるおじいちゃんおばあちゃんの存在は
かけがえのないものになっているよ。だからこっちに居る間は母さんの分まで、
出来るだけ孝行するからね?」
 そう言って手を合わせると、立ちのぼる線香の煙が僕のまわりをしばらく
円を描くように漂って、やがてゆっくりと消えて行った。 


神倉万利子
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神倉万利子

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