4 星月夜

 その後、祭りの準備は着々と進んで行った。
神社には氏子さん達や地元のボランティアの人々が入れ替わり立ち替わり入っては、
ステージやテントの組み立て作業が行われた。
僕と珠里は特別ゲストとして練習のための一室をあてがわれて、
度々顔を合わせる事になった。
 
 ある日、少し早く到着した彼女は、僕の演奏を聴いて率直な意見を述べてくれた。
それはさすが由緒ある神社の娘である事を思わせる的を射たもので、僕は大いに感心して
しまった。これに返して僕は、雅楽における独特な舞楽の特徴について教えた。
これがきっかけとなって僕達の距離は縮まり、次第に打ち解けて行ける様になって行った。

 いよいよ祭りが数日後に迫ったある夜、湖上に浮かぶ月が満月になった。
その夜は空気が澄み渡り、星々が月のまわりで宝石のようにきらめいて、
極上のシンフォニーを醸し出していた。

「星と月、星月夜か・・・これは眠るには惜しい夜だぞ!」
 僕は空を見て呟くと、着ていたTシャツの上にパーカーをはおり、月夜の散歩と
洒落込む事に決めた。
もちろん、龍笛の入った袋を持つことも忘れずに・・・

 爽やかな夜風が吹く中を、僕は心躍らせながら歩いて行った。
いつか観たプラネタリウムを思わせる満天の星空に見とれながら、
僕の足はいつの間にか目玉石のほうへと向かっていた。
(そう言えば昨年、菊石姫に会ったのは、ちょうどこんな満月の夜だったっけ?)
 あの劇的な一夜の出来事がまざまざと胸に蘇ってくるにつれ、
いつしか僕の歩く速度は速くなり、やがて小走りに変わった。

 シャンシャンシャン・・・
すると何処かから、鈴の鳴る音が聞こえてきた。
何だ?と思って耳を澄ませると、それは目玉石のある方角から聞こえてくる様だった。
その途端、僕の第六感が騒ぎ出し、そこから一気に目的地までダッシュした。

 そこには、先客がいた。
その人物は、片手に持った鈴を鳴らしながら舞を踊っていた。
白い着物の下には紅い袴を着けており、その姿からどうやら巫女であるらしい事が
わかった。踊りながら揺れている、腰まで届きそうな黒髪が
月光に照らされて艶々と黒真珠のような輝きを放っている。
「な、何てきれいなんだろう!」
僕は感動のあまりに声を上げ、その姿に釘付けになってしまった。
 
 そのとき、彼女が僕に気が付いて、こちらを振り向いた。
彼女のほうも驚いて、僕のほうをじっと眺めている。
そして何秒間が過ぎた後、僕は信じられない事に気がついた。
月光に浮かび上がったその顔は・・・
 雨宮珠里、その人ではないか!!

「き、君はもしかして、雨宮珠里・・さん・・・だよね?」
僕の問いかけに彼女は一瞬戸惑いを見せたのち、はにかむように頷いた。
 団子頭に黒縁メガネ、その下に隠されていた素顔は何と、世にも可憐な美少女だったのだ。

(う、うわあ、超可愛い!!)
僕の心臓は、途端に早鐘を打ち始めた。しかし一方では照れ臭さが込み上げて来て、
気の利いた言葉が全く出てこない・・・
僕達はお互いに気まずさを感じて、しばらくその場に突っ立ったままだった。
 数秒後、先に沈黙を破ったのは、彼女のほうだった。

「橘君、あなたもここにいる龍に逢いに来たんでしょう?」
彼女が発した言葉は、更に僕を驚かせた。
「そんなに驚かないで。今から私のことを、話して聞かせるから・・・」
彼女はそう言うと、そばにあった流木を指した。そこで僕達は並んでそこに腰掛けた。
 そうして彼女は語り始めたのだった。自分が何者で、何故ここにいるのかと
いうことを・・・

 彼女はまず、自分が特殊な能力を持って生まれてきた事を話してくれた。
それは”天眼”と呼ばれる能力で、その力を持つ者は普通の人には決して視ることが
出来ない、いわゆる異世界に存在するものたちを実際に視ることの出来る能力だと説明した。
その上で、この力は自分の先祖代々の、特に女性に多く現れるのだと言った。
中でもこの力に秀でているのが曾祖母で、自分は彼女からその力の使い方を幼い頃より
伝授されたのだと言って、現在は巫女として近い将来自立して行けるように、
多摩川神社で修行中の身なのだと語った。
 
 そこで僕は率直に尋ねてみた。
「どうして今その事を、僕に打ち明けてくれたの?」
すると彼女は微笑みながら答えた。
「だってあなたの後ろには、いつも龍の姿が視えていたもの・・・」
「エッホント?マジで?」
驚いた僕は、ギョッとして後ろを振り向いた。しかし、無論そこには何の姿も見えない。
彼女はそんな僕を見てクスッと笑って見せた後、話を続けた。

 「わたしね、夢をみたの。少し前に、毎晩続けて・・・
その夢には一柱の龍が出て来たの。その龍はとても美しかったけれど、
何故か悲しそうな表情にみえたわ。そのうち私の耳元に、自分のいる所に来て欲しい
というメッセージが何度も聞こえてきたの。それで私曾祖母ちゃんに、その事を
話したの。するとしばらく目を閉じて考えていたおばあちゃんはこう言ったわ。
「珠里、お前は近いうちにきっとその場所から呼ばれるよ」って・・・
そうしたらある晩、父のもとに電話が掛かってきたの。そして父は私にこう告げた。
「滋賀にある、余呉の湖に行きなさい。そこに棲む湖の神の為に、お前は水神の舞を
捧げるのだよ」って。そうして私はここにやって来たというわけ・・・」
 
 珠里はそこで大きく息を吐くと、濡れたような大きな瞳を僕に向けて言った。
「さあ、今度はあなたの番よ。ここにいる龍神とあなたの関係を教えてくれる?」

 そこで僕は打ち明けた。
去年、この場所で起こった事の全てを・・・巫女である彼女なら、そして
天眼という特別な能力を持った彼女なら、人智を超えた不思議な体験をした
僕の話をきっと理解してくれると信じて。
 珠里は僕の話を最後まで黙って真剣に聞いてくれた。目を輝かせ、
時折うんうんと頷きながら・・・
そして話し終えるとこう言った。

「話してくれてありがとう。やはり私がここに来たことは間違いではなかったわ。
だって夢の中で私を呼んだ龍は、菊石姫に違いないもの」
 彼女はそう言って、あらためて目玉石を見上げた。
ところが僕は彼女の話を聞いて新たな疑問を持ってしまった。
一体どうして菊石姫は、珠里をここに呼び寄せたのか?
目玉石が傷つけられた事以外にも、もっと重大な問題があるのかもしれない・・・
静かな湖面を見つめながら、僕は考えに耽った。
すると珠里がいきなり立ち上がり、思いついた様に言った。

「ねえ、橘君、今私ひらめいたんだけど、
ここでもう一度去年のように龍笛を吹いてみたらどうかな?」
「え?今ここでまた?僕が?」
すると彼女は苦笑して続けた。
「そうよ、あなたが。だってさっきあなたは言っていたじゃない?
昨年の満月の夜、ここで龍笛を吹いていたら姫が現れたって。
あなたの吹く笛の音色にはきっと龍神を呼び起こす特別な力があるんだと思う。
だからもう一度挑戦してみるのよ。龍笛、持ってきているんでしょう?」

 そうだ、確かに彼女の言うとおりだ。
一年前のあの日、ちょうど今夜と同じような美しい満月の夜、僕はここで姫のために
龍笛を吹き、そして奇跡のような出来事が起こったんだ。僕は顔を上げて、
夜空を仰ぎ見た。すると神々しいほどに輝く満月と、きらめく小さな星たちが
僕を見守り勇気づけてくれるような気がした。

(よーし、一か八かやってみるか?)
僕は天に向かって両手を伸ばし、気持ちを奮い立たせると、勢いよく立ち上がった。
「良かった、その意気よ!それじゃあ私は今から水神のための祈祷を行ってみるわ。
それが終わったら、演奏を初めてね?」
「うん、了解!」

 こうして僕は龍笛を、首に掛けていた袋から取り出して見た。
ところが驚いた事に中にあった龍笛は練習用の笛ではなく、
あろうことかあの火竜ではないか?
(うわ、嘘だろ?・・・)

「どうかしたの?」
急に固まってしまった僕を見て、珠里が不審そうな目を向けた。
「ううん、何でもない。大したことじゃないよ」

 答えながらも僕は、この予想外のハプニングにはきっと何か意味があるのに
違いないと直感した。そこでもう一度、天を仰ぎ深呼吸をすると心に決めた。
(よーし、僕はもう一度奇跡を起こして見せるぞ!
この名笛、火竜を使って菊石姫を再び目覚めさせるんだ!!)
 
 星降る夜に、こうして僕は再び目玉石の前に立ち、演奏を始めたのだった。
このあと僕達二人に大きな試練が待ち受けているとは、夢にも知らずに・・・


                           第三章に続く







神倉万利子
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神倉万利子

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