1 事件

 予感は的中した。
携帯からは、興奮した轟氏の声が飛び込んで来た。

「もしもし、音弥君か?夜分に申し訳ない。だが一刻も早く君に知らせたい事があって」
「一体どうしたんですか?」
 思わず僕の携帯を持つ手に力がこもった。
「それがな、ひどいことが起きてしまったんだよ。例の目玉石の場所が、
何者かの手によってひどく荒らされてしまったんだ」
「えーっそんな!一体誰がそんな事を?」
「それはまだわからない。だが最近湖の周辺には、頻繁に暴走族が現れるようになってな?
目玉石には派手な落書きもしてあったから、恐らく連中の仕業じゃないかと皆で話している所だ」
「暴走族ですか?あんなのどかで平和な町にまで押し寄せて来るなんて。
しかも神聖な場所に落書きまでするなんてどうかしていますよ!それで?
他にも被害はあったんですか?」
「ああ、石にかけられていた注連縄が外されて、湖に投げ捨てられていたよ。
全く罰当たりな事をしてくれるよ、けしからん!」
 いつも穏やかな轟氏が声を荒げて怒鳴った。

「それで、今はどういう状態なんですか?」
「うむ、取りあえずロープを張って、人が立ち入れないようにしてあるよ。
それに暴走族達は週末の夜にやって来ることが多いから、
土日は町の消防団が交代で見張りをすることにも決まった」
「そうですか・・・?」
 答えながらも僕は胸中ではこう考えていた。
(もしこれが都会で起きた事ならば、監視カメラの映像で、犯人はすぐに特定出来るのに
・・・くそ!)
僕の腹わたは、怒りで煮えくり返りそうになった。

「とにかく今は、周辺に住む人たちが、石に描かれた落書きを消そうと必死に
頑張っているよ。それが済んだら僕は出来るだけ早いうちに祈祷を行って、
新しい注連縄を掛けようと思っている」
「轟さん、それならば、僕も出来るだけ早くそちらに帰れるようにしますから」
「そうか?ありがとう。だが無理はするなよ、君も忙しい身だからな?
それじゃあ今夜はもう遅いから、この辺でな?」
「わかりました。教えて下さってありがとうございました。またいつでも連絡を下さい」
「うん、わかったよ。それじゃあお休み」

 電話が切れたあと、僕は早速スケジュール帳を開き、
出来るだけ早く帰れる日程を考えてみた。
しかし7月は稽古以外でも、神社からの依頼による出張演奏や秋期演奏会の
準備等が入っており、とてもすぐに動ける状態ではなかった。
「よーし、こうなったら父さんに交渉してみるしかないな?」
 それから僕は何とか親父を説得して、夏休みを少し繰り上げてもらい、
盆休み前の新幹線のチケットを確保したのだった。

 余呉までの行程は、まず東海道新幹線で米原駅まで行き、
そこからJR北陸本線に乗り換えた後30分程で到着出来るので意外と近く、負担は少ない。

当日、僕は朝食もそこそこに愛用のリュックに身の回りの物を詰めた。
更に今回は滞在が長引く事を考慮して、もうひとつキャリーバッグも持参した。
もちろん、その中には大切な龍笛が収まっている。

通常、移動の際には携帯用の小型の笛だけを持参するのだが、今回は特別に、
あの火竜も持ってきた。(これには理由がある。乎弥神社の神主の轟氏より、
今年の夏祭りの神事の奉納の際に、ぜひとも龍笛を演奏してほしいと依頼されたのだ。
そこで僕は親父の許可を得たのだが、それならば火竜に挑戦してみる良い機会だと命ぜられたのである)
 難題を突きつけられた僕は、そこでこっそりと上野の弁天堂で購入した龍神様のお守りを忍ばせてきた。
滋賀の最強パワースポットとして名高い、琵琶湖の龍神様とゆかりのあるこのお守りのお力と
ご加護が頂ければと密かに願って・・・

 車窓から美しく見える富士山を眺めながら、僕は今回の旅に期待をふくらませた。
その後、時刻の正確さでは世界一を誇る新幹線は、定刻ピタリと米原駅のホームに
滑るように到着したのだった。
乗り換えまでには余裕があったので、僕は構内に併設された飲食コーナーでカレーを
平らげるとコーヒーをテイクアウトして、JR北陸本線の車内に乗り込んだ。
 
 窓の外には一年前と全く変わらない、のどかな田園風景が広がっていた。
僕は熱々のコーヒーをすすりながら、ちょうど一年前、余呉湖のほとりで体験した
不思議な出来事を思い出していた。
 
 僕の前に突然姿を現した、1柱の美しい龍。その姿には気品があり、
化身する前の人間の娘であった頃の面影が感じられた。
またテレパシーで語られたその言葉には、人に対する思いやりがあふれていた。
その大切な聖域を、何も知らない乱暴な若者達によって踏み込まれ、汚されてしまうとは!?
 僕の胸には再び怒りがこみ上げてきて、思わず飲み干したコーヒーの紙コップを
グシャッと握りつぶしていた。

 「たかつきー、間もなく高月駅に到着しまーす!」
その時、車内アナウンスが鳴り響き、僕は我に返りホームに目を向けた。
その途端、ギョッとして思わず身を乗り出してしまった。
ホームに降りた乗客達の中に、見覚えのある人物の姿を発見したからだった。
 「あ、あのデカいメガネに団子頭!あの子は前に多摩川神社で会った子じゃないか?」
 
 忘れもしないあの日、境内で初対面の僕にアレコレと参拝の仕方について説教をした
娘である。彼女は真っ赤なリュックを背中にしょい、目立つピンクのキャリーバッグを
重そうに引きずって改札口に向かおうとしていた。間違いない、絶対にあの子だ!

「お、おーい、ちょっとーこっち向いてくれよ-!」
 僕は立ち上がって懸命に窓を叩いてみた。しかし、当然彼女がこちらに気付くはず
もなく、電車はそのまま走り出してしまった。
 
「ハアーッ」
僕は溜息をつくと仕方なく、彼女の小さな後ろ姿を見送って、背もたれに倒れ込んだ。
(それにしても一体どうして、こんな所に彼女がいるんだよ???)
 偶然にしてはちょっと有り得ない場所に現れた彼女への疑問で一杯になり、
それまであった怒りは、いつの間にか消え失せてしまったのだった。





神倉万利子
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神倉万利子

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