1龍王の谷
二柱の龍王達は僕達二人が承諾の返事をしたことに、
とても満足そうだった。そして背後にずっと控えていた
菊石姫に呼び掛けた。
『余呉湖の龍神よ、これから二人には禊ぎをせねば
ならぬ。我はその役目をそなたに託したいと思うが、
引き受けてくれるか?』
『はい、勿論でございます。それでは今からこの者達を
龍王の谷に連れて参ります』
『うむ、ご苦労だがよろしく頼んだぞ』
間もなく僕達は菊石姫の後に従って、大広間を出た。
宮殿の外に出た僕達はしばらく進むと、大きな門の前に
出た。そこからは城外になり、姫についてそこを抜けると
その先には古い鳥居があった。
更に進んで行くうちに段々と周囲の雰意気が変わって行っ
た。辺りは岩場となり、両側を岸壁に囲まれた峡谷が出現
したのだった。
『ここから先は禁足地となっており、特別な神域となります。
道は少し険しくなってきますが、頑張ってついてきて下さい』
菊石姫はそう言うと、長い肢体をくねらせて前に進んで
行った。僕と珠里は黙ってその言葉に従い、半時間程歩いた。
間もなく菊石姫は見上げるほど大きな岩の前で止まった。
その岩の入り口には注連縄が張り巡らされており、中央には
ポッカリと穴が空いていた。
どうやらそこは洞窟らしかった。
中に入ると真っ暗で急に温度が下がったので、僕は
ブルッと身震いをした。
『暗いので、足元には十分気を付けて下さい』
幸い壁面には所々松明が取り付けられてあったので、
僕達はその灯りを頼りにゆっくりと進んで行った。
道は険しく、所々上がったり下がったりしていたので
僕と珠里は互いに手を貸し、助け合いながら慎重に
進んで行った。
やがて微かに水の流れる音が聞こえ初め、空気が
徐々に濃厚な水の匂いに包まれて行くのがわかった。
すると辺りは急速に明るさを増して行き、しばらくすると
天井の高さが倍になった。そして僕達はいきなり、
広い空間に出たのだった。
そこは、巨大な鍾乳洞になっていた。
石灰岩に囲まれたその場所には、所々天井まで届くほどの
鍾乳石やつららが林立しており、僕と珠里は神秘的なその
光景に足を留め、しばし見とれてしまった。
しかし、僕達を心底震え上がらせるものが、その直ぐ後
に待ち受けていた。
『音弥、珠里、さあもうひと頑張りですよ。
その先の石段を上ってここまで来てご覧なさい』
菊石姫の言葉に我に返った僕達は、言われた通り
すぐ先に見える長い石段を注意深く上って行った。
そして最期の1段目を登り切った所で顔を上げた僕は
その途端、仰天して腰を抜かしそうになってしまった。
何と、そこにはとてつもなく大きな龍が、口を開けて
待っていたのだ。
「キャーッ!!」
後ろから来た珠里が悲鳴を上げて、僕に抱きついた。
その声に驚いた僕はバランスを崩し、そのまま後方に
倒れ転げ落ちそうになってしまった。その瞬間、
菊石姫が素早く跳躍し、間一髪で受け止めてくれた。
「ふうーっ、助かった!!」
ホッと胸をなで下ろしている僕達に、姫がすまなそうに
言った。
『二人とも、驚かしてしまってすみません。
私が先に説明しておくべきでした。ですがどうか恐れずに
もう一度、あの龍の姿を見てみてください』
そこで恐る恐る僕達は顔を上げ、先ほどの怪物を
改めて見上げてみた。するとさっきは今にも
飛びかかってきそうに見えたその龍が、実は全く動かず
石のように静止していることに気付いたのだった。
「アレ?あの龍、もしかして・・死んでるの?」
僕の問いに、菊石姫は大きく頷いて答えた。
『音弥、その通りです。あの龍は、既に死亡しています。
それも何万年も前に・・・実はあれは、この日の本の国に
最初に天界から遣わされてきた、初代龍王なのです』
「初代龍王・・だって?」
『ええ、そうです。彼はその昔国中を飛び回り、
多くの神々のご指示のもとに、この国を整える様々な活動を
しました。その結果、この国は緑豊かで水源にも恵まれた
素晴らしい土地となり、この国は繁栄する事となりました。
その偉大な功績によって彼の遺骸は朽ちることなく、こうして
終の住処であったこの場所に永遠に留まる事となったのです・・・』
「そうなのか?・・って事はこの龍が国の成り立ちを陰で
支えていたということになるんだ」
「それどころかその懸命な働きのお陰で、私達の国の基盤が
出来上がった事になるのよ。全く驚きだわ!」
僕と珠里は顔を見合わせて、知られざる自分達の国の
裏側にある、もうひとつのヒストリーに思いを馳せた。
そして改めて化石化した初代龍王の遺骸の前で、手を合わせた
のだった。
『さあ、それではいよいよ聖なる泉にたどり着きました。
こちらに廻っていらっしゃい』
菊石姫が龍王の遺骸の載った石舞台の向こう側から
呼んだので、僕達は急いでそこに行ってみた。
するとそこには石垣で丸く囲まれた一角があり、その中央
にこんこんと湧きでる泉があった。
『この場所こそが、初代龍王が最初に掘り当てた泉なのです。
さあ、中を覗いて見てごらんなさい』
姫に促され水盤の中をのぞき込んだ僕達は、驚いた。
水底がキラキラと宝石のように輝いているではないか?
「アレ?何か光ってる!」
「ホント、何かしら?とっても綺麗!」
『気付きましたか?実はこの泉の底には純度の高い
クリスタルの鉱石があるのです』
「ク、クリスタル?つまり水晶って事か?」
『ハイ、正解です。水晶には邪気を払い、気の流れを
清らかにする特別な作用があります。そのためそこから
湧き出てくるこの水は、生命を蘇らせる効果があるのです。
さあ、二人とも、試しにこの水をすくって飲んでみてご覧なさい』
そこで僕達は恐る恐る、その神性なる泉の水を両手で
すくって飲んでみた。その直後、それが普段飲んでいる
どの水とも違っている事に気付いた。
「うわ、この水なんか違う!スーッとしてすぐに身体に染み
込んでゆく。こんな水は初めてだわ」
「同感だ。これ、確かにただの水とは違うよ」
姫はこの水には病気やケガを治す力もあり、さらに
細胞を若返らす抜群の効果があるという事だった。すると
珠里は興奮して、「持ち帰れればいいのにーっ」と
口惜しげに言って、僕と姫をあきれさせたのだった。
『さあ、それではもう一度、今度はあなた方の中にたまって
いる不純物が全て洗い流されて、新たな活力で満たされる事を
願いながら、飲めるだけたっぷりと飲んでみて下さい』
「はい、わかりました!!」
僕と珠里はこうしてその神秘な霊水を、心ゆくまで
味わうことが出来た。そして飲み終わる頃には僕達は
生まれ変わったようにすっかり元気を取り戻していた
のだった。
『あなた方は大変幸運なのですよ。何しろこの水は私達でさえ
滅多に飲むことは許されない、貴重な水なのですから・・・』
「エッ?そうだったんですか?」
『ええ、これは黒龍王様からあなた方への特別な思し召しなの
ですよ。ですからこの後広間に戻ったら必ず感謝の意を
お伝えしてくださいね?』
(うっ、そうなのか?これで帰れるわけじゃないんだ・・)
内心ガッカリしながらも、泉の力によって元気を取り戻した
僕達は気を取り直し、姫に従って再びもと来た道を急いだ
のだった。
広間に戻った僕達に黒龍王はすぐに尋ねてきた。
『おお、お前達、神水の味はどうであったか?』
僕達は姫に言われた通り、直ぐに礼を述べた。
「ハイ、大変結構でした。お陰様で心身共に元気を回復する
ことが出来ました。ありがとうございます」
「私も同じです。黒龍王様の特別なお計らいに感謝します」
『そうか?それは良かった。神界の高い波動を含んだ泉の
水は邪気を払い、命の源に栄養を与えることが出来る。
今、お前達の身体は輝いて見えるぞ。のう?お前』
『ええ、貴方の仰言る通り、二人を包んでいるオーラは
先ほどの何倍も輝いて見える。これで帰途の際も時空の衝撃
を無事に乗り越える事が出来るであろう』
『うむ、それではこれにてお前達の禊ぎは完了した。よって
そなた達はめでたく神の使い手となる資格を得た』
僕達はその言葉を受けて深く低頭し、承諾と感謝の意を
表明した。すると二柱の龍王達は天を仰ぎ、
揃ってウオオーンッと雄叫びの声を上げたのだった。