2継承

 その声は大広間全体に響き渡って行った。
すると頭上にあった八角形の天窓が、再びゆっくりと開き
始めた。そして広間には来たときと同様に、柔らかな
虹色の光線が射し込んで来た。
 ゆっくりゆっくりとその光は広間全体を染め上げて行き、
僕達はまたなんとも言えない心地良さに満たされて行った。
 
 しばらくすると変化が起こった。
上空から白く輝く大きな球体がひとつ、こちらに向かって
降りてくるではないか?
(あれは一体なんだろう?)
 そう考えながらその物体を凝視していると、それは僕達の
目線の少し上の辺りで動きを止めた。そこで突然、黒龍王は
命じた。
『余呉湖の龍神よ、こちらに参れ』

 菊石姫は言われた通り中央に進み出て、その丸い物体の
真下で留まった。すると球体はそれを感知したかのように、
突然グルグルと廻り始めたのだった。

 初めその物体の表面は卵の殻のようなものに包まれている
様に見えた。それが回転を続けるうちにその色は徐々に
薄くなって行き、そのうち球体の中に何かうごめくもの
があるのが見えて来た。すると菊石姫は自らの長い髭を
伸ばして、殻の両側にピッタリとくっつけたのだった。
 その途端、球体は動きを止めた。
そこで初めて、その中にいる物体が何なのか認識することが
出来た。

・・それは一匹の小さな龍だった。
その龍はパッチリと目を開けると、菊石姫のほうをジッと見た。
そして小さな身体を思いっきり伸ばして見せた。するとその身体を
覆っていた殻に少しずつヒビが入って行き、ベキベキと音を立てて
砕け散った。
 そこに現れたのは、菊石姫とよく似た真珠色の輝きを放つ、
美しい龍だった。それは菊石姫に向かってクオーンッと
ひと声鳴いて見せた。
 その小さな龍を見つめる菊石姫の表情はとても温かく、
まるで母親のようだった。僕と珠里はその親子のような
二柱の姿にすっかり魅せられていた。するといつの間にか
黒龍王がそこに近付き、思いがけない言葉を告げたのだった。

『余呉湖の龍神よ、その子龍こそがそなたの後継者となる
ものじゃ。我等が天界に赴き、そなたに最も近い魂の色を持つ
新たな珠を選び出し、連れ帰って参ったのだ。どうじゃ?
そなたの跡を継ぐものとして、不足はないであろう?』

 それは僕にとって寝耳に水の話だった。
黒龍王は今、この小さな龍が菊石姫の後継者になるのだと言った。
それはつまり姫に代わってこの子龍が余呉湖の龍神になると
いうことではないだろうか?・・・まさかそんな!
ならば菊石姫はこれから一体どうなってしまうというのだろう?
 驚きを隠せない僕と同様に、珠里もショックを受けているよう
だった。そんな僕達の様子に気が付いたのは、姫龍王だった。
『王よ、そなたの申した言葉に、この者達が動揺しておるぞ。
二人が理解出来る様に、この事態を説明してみたらどうか?』

 姫王のその言葉に、黒龍王は振り向いて答えた。
『おお、そうであった。そなたの申す通りじゃな?
音弥、珠里。心してよく聞くのだ。そち達に伝えなければ
ならない重要な要件がもうひとつある。ここにいる余呉湖
の龍神は、間もなくその使命を終える事になった』

「使命を・・終える?それは一体どういう意味なので
しょうか?」
 嫌な胸騒ぎを覚えつつ、僕は緊張気味に質問した。
少しの間を置いて、黒龍王は静かに告げた。

『音弥よ、ならばその意味を教えてやるとしよう。
実は、神の使いである我等にも、人と同じく寿命があるのだ。
天界からの使命を全て全うした時、その龍の寿命は終わる。
残念だが、それが運命なのじゃ』
「待ってください!それじゃあ菊石姫は、いえ余呉湖の龍神は、
これからどうなるっていうんですか?」
思わず声を荒げてしまった僕に、珠里がそっと手で制した。
 重苦しい空気が辺りに漂い始めた時、口を開いたのは菊石姫
だった。

『音弥、あなたが私のことを気に掛けて下さるのはとても
有り難い事です。ですが人の子からこの姿に化身して早、
数百年の月日が経ちました。この頃はその力も急速に衰えて、
以前のように湖を守り、豊かな恵みを与え続けて行くのが
難しくなってきました。この事は、あなたも既に
お気づきなのではありませんか?』

 !! 姫の言葉は確かに、思い当たる事があった。
 それはつい先日、帰京したばかりの僕が余呉湖を見て
感じた印象だった。1年前に比べるとその水は濁ってかなり
減少しており、僕は衝撃を受けたのだった。また轟氏から
漁獲高も激減しているとの話も聞いた。
・・ひょっとするとそうした事が全て、菊石姫に起因している
という事になるのか!?
 返す言葉を無くした僕は、うなだれて頭を垂れるしか
なかった。

『音弥、もうおわかりになったでしょう?
私にはもはや、余呉湖の守護神としての役目を果たして行く
だけの力はないのです。残念ですが、私の使命はもう
終わりました・・・』
 力なく告げる姫の言葉は、完全に僕を打ちのめした。
僕にとって菊石姫の存在は絶対であり、それは愛する故郷の
余呉のシンボルとして、永遠なものだと固く信じていたから。
それがこんなにも早く、突然断ち切られてしまうとは!!
 「ウソだ、嘘だろう・・!?」
 
 大声で叫ぶ僕の目からは涙が溢れ出し、止まらなくなって
しまった。そしてその場に崩れ落ち、突っ伏して泣くほかは
なかった。慌てて珠里が駆け寄って何とか慰めようと
してくれたが、僕の気持ちは一向に静まらなかった。

 クオーンクオーンッ
 その時、背後から小さな鳴き声が聞こえてきた。
何と、それはさっき姿を現したばかりの、幼い龍の声だった。
彼?は僕のすぐそばまで来ると、その鼻ずらをネコのように
押し付けてきた。驚いている僕の耳元にその瞬間、声が
響いて来た。
『泣カナイデ!!』

 それは念話(テレパシー)だった。
驚いて顔を上げた僕は、その声の主が目の前にいる小さな
龍であることに気付いた。すると声は再び聞こえた。
『ネエ、聞イテ。僕ハ菊石姫ノ跡ヲ継グモノナンダ。
ダカラ安心シテ。今度ハ僕ガ余呉湖ヲチャント守ッテ行クカラ!』
 幼い龍は、そこで澄んだ瞳をじっと僕に向けた。

「ホ、ホントに?」
 思わず僕は声に出して叫んでしまった。
すると黒龍王は言った。
『音弥、その小さきものの言う通りじゃ。そのように
嘆くことはない。それはそなたの慕う余呉湖の龍神の魂を
しっかりと受け継ぐ事の出来る、正当な継承者なのじゃ。
今は小さい成りをしておるが、そのうち成長して立派な
水神となるであろう』

『黒龍王様の仰る通りです。音弥、どうか信じて下さい。
私は間もなく天に還ります。ですが、この子龍が今後余呉湖を守り、
また人々の導き手となったあなた方をサポートし、新たに希望を
与える存在になる事は、間違いありません。ですからどうぞ安心
して私を旅立たせてください・・・』
 そう告げる菊石姫の声は弱まり、その身体からは急速に光が
失われて行った。

 ウオオオーンッ!!
 その瞬間、黒龍王が天に向かって雄叫びを上げた。
すると再び銅鑼の音が鳴り響き、間もなく八角形の天窓が
ゆっくりと開き始めた。
『さあ、いよいよ出発の時が参った。二人とも、我等の背中に
乗るがよい。そして余呉湖に戻り、我等とともに余呉湖の龍神の
旅立ちを見送ってやる事にしよう。
音弥、わかったな?』

 もう僕には返す言葉が見つからなかった。
そこで涙をこらえつつ、首を縦に振ったのだった。
 間もなく僕達二人はそれぞれ二柱の龍王の背にまたがった。
そして菊石姫の倍以上あるその身体から振り落とされぬよう、
しっかりと黄金色の角を握りしめた。 
 一方菊石姫も、自らの身体の横に子龍をピッタリと
寄り添わせた。

 こうして僕達は様々な経験をした龍神界を去り、
四柱の偉大な龍神達と共に故郷を目指し、飛び立ったのだった。






 

神倉万利子
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神倉万利子

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