3昇天

 黒龍王の跳躍力は、凄まじいものだった。
それは太くて長い胴体とはアンバランスなほど短くて
細い前後四本の手足の動きから生み出されるもので、
ひとかき毎に大きく上昇して行った。
 間もなく七色の光の世界を抜け出して、辺りは急に
色彩のない荒涼とした世界に変わっていた。僕はこの時
龍神界を完全に抜け出したのだろうと考えていた。
 すると黒龍王は言った。
『音弥、異界にも様々な世界がある。中には悪しき想念を
持つ者達が集まって出来た世界もある。そら、右下に
見えてきた赤黒く漂うものが、まさにそれじゃ。あれに
近づくのはとても危険なのだ』

 僕は急いでその方向に目を向けた。
するとそこには確かに不気味な雰囲気が漂う暗いモヤの
ような存在があり、よく見るとその中心はドロドロとした
溶岩のようなものが渦巻いているようにも見え、僕は
ゾッとした。
 クオオーンッ!

 そこで黒龍王は合図を送るようにひと鳴きして見せた。
すると少し後ろにいた姫王と珠里、そして菊石姫と子龍が
すぐそばまで集まって来た。その後連隊を組むようにして
僕達は更にスピードを速め、その不穏な存在から一気に
遠ざかったのだった。
 
 その後も僕は様々な色や形をして漂っているものを見た。
黒龍王の説明によるとその存在の善し悪しは、主に光の明度
によってわかるのだそうで、善なるものほどその存在の
明るさと輝きは際立っているという事だった。異次元の世界
においても、思いや行いの善し悪しによって居場所が異なる
というのは驚きだった。
 その話を聞いた僕は考えた。これから僕達人類が直面する
次元上昇という大きな変化は、様々な困難に直面した時に
人々がどのようにその事態を受け止めて立ち向かって行く
かが指標となって、その後どんな世界に移行出来るかが
決まってくるのではないか?と・・・
(そうだ、帰ったらこの件を轟さんに話してみよう!)
 この時僕の頭には真っ先に、神道だけでなく、精神世界
にも詳しい轟宗次郎氏の顔が浮かんだのだった。

『音弥、良いか?間もなく時空間の扉に到着する。
そこを通る際には衝撃があり、呼吸が苦しくなると思う。
だがそれはほんの数秒の事じゃ。突入の前に大きく息を
吸い込んでおけば問題はないぞ』
 風の中で僕は黒龍王の言葉を聞き、「了解です!」と
大声で返事をした。
 その数分後、台風の目にも似た光の渦が間近に迫り、僕は
思い切り深く息を吸った。その直後、ゴーッという轟音がして、
言われた通りに呼吸困難になったが、音が去ると間もなく
呼吸は正常に戻った。

 『皆のもの、異常はないか?』
時空の嵐を抜けた後、黒龍王は後ろを振り返って、後続の者達の
無事を確認した。僕も急いで振り返ると、珠里が笑顔で手を
振っていた。その後気流は安定し、黒龍王は身体を水平に戻すと
雲の波間をぬうように飛び続けて行った。その後しばらくたって
から、黒龍王は言った。
『ご覧、眼下に余呉の地が見えてきたぞ。間もなく湖に到着だ』
 首を伸ばして下を見ると、そこには見覚えのある山々の稜線が
見え、その向こう側には静かに水を湛えた、懐かしい余呉湖
があった・・・

 その後黒龍王は、徐々に速度を落として行った。
それによって視界はより鮮明になって行き、余呉湖がいよいよ
目前に迫ってきた。ところが僕の予想とは違って、王は湖では
なく近くの山の頂上に降り立ったのだった。

『ここからは、湖が一番美しく見えるのです。
化身する前人間の娘であった私は、この場所が大好きでした』
 菊石姫は山の頂に立ち、感慨深げにそう語った。
僕もそこに立って見て、その場所がどこであるかが分かった。
 
 そこは戦国時代に、羽柴秀吉が柴田勝家と織田信長の後継者を
争って激しい戦いをした、有名な”賤ヶ岳の合戦”の舞台となった
賤ヶ岳の山上であった。約400年前にここで死闘が繰り広げられ
余呉湖が血で真っ赤に染められた話を、僕はお祖父ちゃんから
聞いて知っていた。今ではその名残は全くなく、湖を見下ろす景勝地
として人気のこの場所が、まさか菊石姫の思い出の場所だったとは!?
 そうだったのか・・それを知った僕の胸には熱いものが込み上げて
来て、しばらくの間姫の横で黙ってその光景に見入ってしまった。
すると黒龍王は言った。

『さあ、もう夜明けが近い。朝日が昇る前に早く儀式を行って
しまわなければ。姫龍よ、そなたは珠里に例の件を頼んでおいて
くれたかな?』
『王よ、もちろんじゃ。珠里はすぐに自分のすべき仕事だと
理解し、承諾してくれたぞ』
『そうか?それは良かった。珠里よ、それではそなたにこれから
ここで、龍神祝詞(りゅうじんのりと)を捧げて欲しいと思う。
これはあの者のたっての望みでもあるのじゃ。引き受けて
くれるな?』
「はい。私は水神の巫女として生まれた者です。
まだ弱輩の身にも拘わらず、そのようなお役目を引き受ける
のはもったいない事。ですが余呉湖の龍神様のご要望
とあれば、謹んでお引き受けしたいと存じます」
 
 そして珠里は、朝焼けに染まり始めた湖を背にして立つ
菊石姫の前で、深く一礼してひざまずいた。それから両手を
天に向けて大きく広げると、龍神祝詞を厳かに唱え始めた
のだった。

「高天原にましまして天と地に御働きを現したもう龍王は、
大宇宙根源の御祖の御使いにして一切を産み一切を育て、
萬物を御支配あらせたもう・・・・・・・・・・・・・
・・・大願を成就なさしめ給えと恐み恐み(かしこみかしこみ)
申すうー!!」

 「恐れながら、申します」と言う意味の祝詞の締めの言葉を、
珠里は天に向かって最後、高らかに言い放った。その瞬間、
菊石姫の身体が宙に浮き上がった。その身体はもはや向こう側が
透けて見えるほど透き通っていた。やがてそれはキラキラと輝く
光の粒に変化して行き、間もなく人の形を取り始めた。
 その後、僕達の前には着物を着た美しい一人の娘が現れた。
その娘はこう言った。

『この姿は龍に化身する前の、もとの私の姿です。
慈悲深い神は天に還る前にこの姿に戻り、故郷のこの余呉の
地に別れを告げる事を、許して下さいました。まずは偉大なる
黒龍王様と姫王様に、龍神となった私をこれまで育て、
お導き下さったことに深く感謝申し上げます』
 ここで菊石姫は龍王達に向かって深々と一礼をし、それから
僕と珠里のほうに向き直って言った。
『珠里、そして音弥。私はあなた方に出逢えて幸せでした。
ここまでついてきて下さって本当にありがとう。
これからは天から授かったその才能を、多くの人々を救うために
使ってください。私は今後天界よりいつもあなた方を見守り、
沢山の光を送り届けて行きますから・・・』

 そこで姫の言葉は途切れ、その姿はフッと消えてしまった。
あとには白く輝く光の玉が現れて、僕達一人一人の上を何度か
旋回した。その後名残惜しそうに留まった後、長く尾を引き
ながら真っ直ぐに天に向かって昇って行った。
 
 間もなく山々の間からは朝日がゆっくりと昇り初め、
辺りは神々しいほどの美しい光に包まれていった。
 その光は僕達一人一人の顔を優しく照らし、惜別の悲しみを
和らげてくれるようだった。やがて光は眠っている全てのものを
目覚めさせて行った。木々は、その梢を長く伸ばして葉を揺らし、
花々はゆっくりと、そのつぼみを開かせて行った。
 間もなく光は湖にまで到達し、それまで濁っていた水は
澄んだ輝きを取り戻して行った。そして湖面には周囲の物が
鮮やかに映し出されて行った・・・
 僕はただ黙ってそれらの光景を見つめながら、これはきっと
夢に違いない・・と考えていた。
 ところがそんな想いは背後から聞こえてきた黒龍王の言葉に、
たちまち打ち消されたのだった。

『これで、あの者の魂は無事に天に還って行った。
あれには龍となった後でも、人の心が変わらずに残っておった。
それ故に、お前達を自然と自分の所に引きつける事が出来た
のであろうな?』
『我もそう思う。しかし最後は元の姿に戻り、人の子達に
見送られる事になったのだから幸福なことじゃ。
そう思わぬか?お前たち』
 姫王はそう言って優しい目を僕達に向けた。
「はい、仰言る通りだと想います。僕はいつでも彼女のことを
菊石姫と呼んでいました。それを彼女は否定せず、いつも
嬉しそうにしていました」
『ああ、それもそうであろう?あの者はそなたによって
長い間閉じ込めておいたもう一つの心を取り戻すことが出来た
のじゃ。そのお陰であれの魂は輝きを増し、残された使命を十分に
果たすことが出来たのだと思う。音弥、そなたには心から礼を申すぞ』
 思いがけない龍王からのねぎらいの言葉に、僕は慌てた。
「そんな、お礼なんて恐れ多くてもったいない事です。
僕の方こそ菊石姫にはたくさん助けられ、生きる勇気まで頂いた
のですから」
 汗をかきつつ、僕は答えていた。

『王よ、もうその辺で良いであろう?我等にはまだする事が
残っておる。そら、子龍が先ほどから痺れを切らして待って
おるぞ?』
 見るとその通り、幼い龍は手持ちぶさたな様子でモジモジと
していた。
『おお、そうであった。悪かったな?子龍よ。それではこれから
そなたを余呉湖へ連れて行くとしよう。さあ、音弥と珠里は
もう一度、我の背中に乗るがいい』

 それから僕達はアッという間に湖畔に到着した。
一方、子龍は姫王とともに湖上に着水していた。
『ごらん、子龍はああしてしばらくの間、姫王に付き添われて
湖の新たな守護神としての指導を受けるのじゃよ』
「ハハッ、なるほどそうなんですか?」
「それにしてもあの子、とっても嬉しそうだわ。ほら見て!
あんなにはしゃいでる」
 見ると子龍はピョンピョン跳ねながら、そばに寄ってきた
水鳥たちを追いかけていた。その和やかな光景を見て、
僕は思った。
 この湖に、これからまた新たな歴史が始まるんだと・・・
見上げるといつの間にか夜はすっかり明けていた。
澄み切った青空のもと、どこかでピーッとヒバリが鳴いた。
それは新しい朝を迎えた僕達を祝福してくれるようだった。







 
 

神倉万利子
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神倉万利子

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