それぞれの願い
刑部はこの不思議な夢が、恐らく自分の所為であることに気が付いたのだった。
治部や主計頭が寝ようが起きようが続いているこの夢は、現実にはずっと眠り続けている刑部が見ているものであることに他ならない。
また、熱で動くことのできないはずの刑部がこの夢の中では元気でいることは、刑部にとって都合のいい、まさしく刑部の“夢”であることの重要な証拠の一つだった。
刑部が恥ずかしいのは、これだけの情報がそろっていてこのことに治部が気付かないはずがないということだ。他人(ひと)に自分の欲望が露わとなった夢の内容を知られることは、誰だって恥ずかしい。
実際、治部はこの夢が刑部のものであるということに今までの会話から気が付いていた。
しかし元来、あまり人のことを気にしない性格なのもあり、治部の中でそこはほとんど意識されていなかった。
それよりなにより、治部にとっては刑部もまだ知らないこの夢の特性に自分の命が救われたことの方がずっと大事だ。
「俺はまだおぬしらに話していないことがある。聞いてくれ」
治部の声の調子が真面目なものだったので、それぞれ気になることがある刑部も主計頭もぱっと治部の方へ注目した。
「今、俺たちは夢が共有されていることに気付いたわけだが、この夢にはまだ不思議な点がある。この夢は、ほぼ予知夢なんだ」
治部は現実に体験してきたことをつぶさに語った。
この夢の中で起こったことは「目が覚めた」次の日、もう一度あるということ。そのおかげで、現実には治部は怪我をすることなく“使いの者”も確保できたということ。
「この夢がなかったなら、破壊事件もある中であんな怪しいやつについての手がかりがもう得られないところだったし、俺自身も命が危なかった」
治部は言外にだけ「ありがとう」という気持ちを滲ませた。
「そうだったのか」
刑部は治部の気遣いが有難く、そしてなにか報われた気持ちになった。
「んじゃあ……佐吉の話からすると、“ほぼ”予知夢だっていうのは俺が名護屋にはいないことと、紀ノ介が熱を出していないことが違うからで他は一緒ということだな」
「あと、俺が意図的に行動を変えた影響で変化した結果もあるから、“ほぼ”だ」
治部は静かにうなずいた。
「ほーお。不思議なことがあるもんだな。俺は今、本当は漢城にいるけどよ。ちょうど『一回そっちに戻りてえなあ!』って本気で思いながら寝たんだよ。今は連戦連勝、うまく行きすぎなくらいでさ、そっちのことがむしろ心配で気になったんだ。きっと釈尊がこういう形で願いを叶えて下さったんだな」
主計頭はうんうんと満足げだ。
「釈尊が、か」
刑部はふふと笑った。まるで今昔物語に載っている話のようなことが、実際に起こっていることになる。
しかし、本当に釈尊のおかげなのかはともかく、このような不思議なことが現実に起こりうるということに関して刑部は何の異論もなかった。
特に体調を崩しているときにはどうも「不思議なこと」が起こりやすい。そのことは刑部自身が感じていることだった。
「俺はあの不届き者の正体を暴くこと、そして破壊事件を解決することが何よりの願いだ」
治部は刑部と主計頭の願いをそれぞれ聞いたことになるので自分も何か言わなければと思って口にした。
「佐吉は真面目だなあ」
刑部は目を細めて微笑む。その微笑みが少し治部をからかう要素を含んでいたのに治部は気付いて「もうっ」と肘で刑部を小突く。
「なあ、さっきから破壊事件って聞くけどそれは何なんだ? 俺の知らねえやつだ、それ」
「あっ、そうだったな。まだ時間がある。虎之助にも知ってもらおう」
治部の話が長くなりそうなのを察して主計頭は待ったをかけた。
「俺から聞いといて悪いが、その前にちょっと待ってくれ。なんか腹すかねえ? 大したもてなしは出来ねえと思うけど色々持ってくるぜ」
「それは助かる。俺も実は言うと腹がすいていた」
「俺も」
治部と刑部が口々に言って、主計頭は立ち上がった。
「じゃあちょっと準備してくる」
「待て、虎之助が本当に持ってきてくれるのか?」
刑部が疑問に思って主計頭の動きを止めた。
「ああ。それがさ。こっちで新しく厨(くりや)に入った子がまだ慣れてなくてさ。かわいそうだし俺からもなるべく教えてあげるんだ」
「そういうことか。それは手間をかけさせるな。ありがとう」
「いやいや」
主計頭は照れて笑いながら部屋を後にする。確かに唐入りにあたって人手不足が深刻になっている。そのため現地の、そういったことに不慣れな人でも雇っていることは多い。
刑部には殿さまから話しかけられて余計に焦る厨の子の姿が容易に想像できたが、主計頭の、そのような分け隔てない人への接し方は微笑ましかったし、好ましいと思った。
三人はそれから、主計頭が準備してくれた食事と共に、様々な情報の共有を行った。
時にはふざけ合いながら話すこの時間は、誰にとっても久しぶりに心の落ち着く時間になった。
そしていつの間にか眠ってしまうまで、「この日」は何も起きなかった。