業火の責苦1

 治部たちを出迎えたのは、火事を見に来た野次馬でも、太閤殿下を心配して駆けつけた侍でもなく、手に武器を持った集団だった。十人はいるだろうか。
「どうして出口は数あるのに待ち伏せが出来ようか? どうやら我らは火によって知らぬ間にここへ追い立てられたようだ」
「!!」
 言われてみれば刑部の言う通りだ。せっかく火の回っていないところを上手く選んできたと思ったのに、それも敵の――火車の罠だった。
「儂は潜んでいる射手を必ず片付けてくる。治部殿は右衛門殿と共に殿下をお守りせよ。ここからお逃げ頂くのだ」
「あ、ああ! 分かった!」
 刑部が風のように去って行ったのと同時に二人の敵が刑部を追いかけていったが、あとはここへ残った。残った者同士、お互いがお互いの出方をじっと伺う。
「右衛門殿、殿下と共に行って、殿下を近くでお守りするのです。私はなるべく敵を引き付けます」
「しかし治部殿、おぬしは怪我を……」
 右衛門尉が心配になるのも無理はなかった。先ほど飛んできた矢を弾いた衝撃で、“使いの者”にやられた傷口が完全に開いた。見るに痛々しく、首に巻かれた包帯の上から血が滲んでいた。
「私のことは気にしないで、殿下のことだけを考えて下さい、早く!」
「う、うむ!」
 治部の真剣さに気圧され、右衛門尉は太閤殿下を庇うように連れて走り出した。
「佐吉! 死ぬな!」
「はい!!」
 太閤殿下の声に治部は元気よく返事をし、太閤殿下を追いかけようとする敵の前に立ちはだかった。
「殿下には指一本触れさせない。儂を倒してみよ」
 そう言っている間に一人、太閤殿下を追いかけて行こうとしたのを治部は目にも止まらぬ速さで斬り捨てた。
「さあ、何人でも来い」
 治部は血振りの動作で敵を挑発する。
 敵はいくらなんでも治部の太刀筋が速すぎたので少したじろいだ。
 治部はそのわずかな瞬間彼らの顔を見たのだが、それらの顔に見覚えがあるのに気が付いて驚いた。
(あれ、これは工員たちじゃないか!?)
 夢と現実で治部は人より多く彼らの顔を確認しているので間違いがない。確かに、今戦っているのは破壊された築地や石垣を直すために急いで呼び寄せていた工員たちだった。
(なんで、こんな)
 治部は受け入れがたい事実に思わず彼らの左手の甲を確認していた。だが皆一様に火車の紋が刻まれているではないか。
(工員たちも火車! ああ……なんということ!)
 破壊事件と火車による本丸侵入は無関係だとする当たり前にしてきた前提が大きく崩れて治部の中で新たな、真の構図が浮かび上がる。
(破壊事件がただの嫌がらせではないだろうとは思っていたが、本丸に侵入するための火車の自作自演だったんだ)
 忍は火車が雇ったのだろう。忍に本丸の中のものを適当に壊してもらえれば、あとは本物の工員たちに紛れて本丸に入り込める。
 その証拠に、“使いの者”を本丸御殿で見つけた日も、そして今日も、まず朝に破壊事件が発覚し、その日のうちに工員を呼び寄せていた。破壊事件と火車による本丸侵入はひとまとまりの関係だったのだ。
(一回目と二回目の破壊のときも、俺たちが気付かなかっただけできっと火車による侵入があったんだ。気付かなかっただけ……)
 城は広大であるために門をくぐれさえすれば意外と好き勝手出来てしまう。武器は持ち込めないが、中に入り込んでいる火車の一員が準備して、どこかに隠しておけばすぐに調達できる。本丸御殿にある部屋をあれだけ弄(いじ)っていたのだから、それくらいはたやすかろう。
 治部は壊れた築地や石垣がそのままなのはよくないと、まさか火車とは知らず工員を急いで呼び寄せていたために、真実に気付いた今、尚更悔しい。 
(何もかもが後手、完全に火車の掌の上で踊らされていた。そりゃあ、“使いの者”も俺らのやることなすこと滑稽に見えていただろう)
 普通、ここは落ち込んでしまうところだが、治部は己への怒りとして力に変えた。“使いの者”に斬られた傷、長崎で南蛮船の船員と戦った時の傷、それぞれが激しく痛んだがそれを忘れるくらいに治部は怒っていた。
(俺はどうなろうともいい。殿下だけは必ずお守りする……!)
 敵は、今残っている仲間を二手に分け、半分は太閤殿下、半分を治部を標的にすることを決めたようだった。
 一気に三人、治部に背を向けて走り出したのを治部が追いかけようとすると、それをあとの三人が阻んだ。
「邪魔させるか!」
 治部は立ちはだかる三人のうちの一番端にいた一人に目をつけた。この彼は先ほどから動きが鈍い。どこか負傷しているのだろうか、と治部は思いながら、走り出すと同時に手早く斬り捨てた。
 そして残る二人には、長浜で使用して以来だ、懐から唐辛子の粒が混ざった砂を取り出してまき散らした。
(これで時間をなんとか稼げるか!?)
 治部を追撃するはずの二人は突然の攻撃に面食らって完全に防御が間に合わなかった。まんまと治部特製の砂を顔に被り、もう涙が止まらない。激しい痛みに顔を覆った。
 治部はその様子を確認すると、次に殿下を追いかける三人の脚を狙ってそれぞれに礫を投げつけたが、礫は変な跳ね返り方をした。
「な、佩楯(はいだて)でもつけているのか!?」
 見た目には分からなかったので思わず声に出してしまうほど驚きながらも、治部は咄嗟に脇差を抜いて投げた。すると脇差は貫通して一人の脚を止めることができた。
(あと、二人。礫で止められるか……)
 脚には何か防御がしてあるとすれば、狙うべきは頭だ。頭の方は見るからに防御がない。
 ただ、初めに治部が頭を狙わなかったのは、礫が当たったときに相手の動きを止められる箇所が脚に比べて限られているため、万全の状態でない今、上手くいくか分からなかったからだ。逆に、脚の方は当たりさえすれば動きを遅らせることが出来るはずだった。 
(いや、何を弱気な。出来るか出来ないかじゃない、やれ!)
 治部は己に檄を飛ばし、覚悟を決めた。こと負傷している今、精神の力は偉大だった。
 治部が意識をしないうちに、頭は霧が晴れるように冴えわたり、どのように力を加えれば相手の急所に礫を当てられるのか感じられるようになっていた。
 治部は一呼吸だけおいて意識を集中させ、立て続けに礫を放つ。それらはまさに狙い通りの箇所に見事当たった。太閤殿下を追いかけていた二人はきゅうと頭を揺らして倒れる。
 だがどうやら時間がかかりすぎた。

江中佑翠
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江中佑翠

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