夢の終わり
遠目から見ても満身創痍な治部ならすぐに倒せるとふんでいた二人の敵だが、新しく来た侍が治部の前に立ちはだかるのが見えると、小走りに走ってきた。
先に刀を振り上げたのは敵のうちの一人だったはずなのだが、刀が相手に届いたのは主計頭の方が先だった。
主計頭の刀は通常の打刀よりやや長く、身幅広く、反りが浅い。また重心が鋒(きっさき)の方にあり、振ると遠心力を増した。
逆袈裟斬りに勢いよく、ずばりとやられた敵は刀を振りかぶったまま、まるで巻藁が斬られたときのようになった。
残りの敵は主計頭がもう一人を相手にしている間に後ろから斬りかかろうとしていたが、それも失敗に終わった。
主計頭は背後からの敵の攻撃を、逆袈裟斬りのため振りあがっていた刀でそのまま受け止めて弾き飛ばすと、すぐ後ろへ振り向いて一歩踏み込み、鋭く刀を横に払った。胴斬りだ。また、斬られた巻藁のような敵が出来上がった。
「お、わぁ……」
主計頭の戦いぶりを少し離れたところから見ていた治部は、一度は敵に殺されることを覚悟していたのに、主計頭が助けに来てくれたおかげで急に立場が逆転したため、気持ちがまだ追い付いていなかった。主計頭が来るのがもう少し遅ければ、ああなっていたのは自分だった。
「ありがとう」
助かったとは言っても大怪我を負い、息も絶え絶えに治部は言葉を絞りだした。
そんなぼろぼろで健気な治部を、主計頭はいとおしく見つめて唇を少し噛んだ。
「礼なら後だ。まだあと一人いる。佐吉はとにかく安静だ。じっとしとけよ」
主計頭はまさに「あっ」という間に二人の敵を倒したが、まだ満足はしていなかった。刑部と戦っている、強敵が残っている。
天守はいよいよ轟音を立てて燃え盛り、火の粉は飛散し、瓦は落ち、崩壊が始まっていた。
「急がねえと、ここも危ねえぞ」
「ああ」
刑部とその敵の戦いはやはり実力が拮抗して、膠着状態が続いていた。だが、つい先ほど、その膠着状態は悪い形で崩れたところだった。
敵はいつの間にか、刀と同時に鎖を手にしていた。その鎖の先には銅のおもりがついており、鎖分銅と呼ばれる武器だと分かる。
それが刑部の右手首にがっちりと巻きついていた。
「っ!」
ぎりぎりと引っ張られ、このまま敵の刀の間合いに入ってしまったらまずいと思った刑部は、握っていた刀を素早く手放し、あえて鎖を右手に搦めとった上で左手を添えて鎖を引っ張った。
すると敵はすぐに鎖を手放したが、敵には刀がある。刑部は右手も刀も使えない。
「紀ノ介!!」
このときちょうど駆けつけたのが主計頭だった。敵の気を自分へ向けさせるため大声を出し、敵に斬りかかる。
だが初太刀は躱(かわ)され、次の一撃も空を切った。それどころか、敵は反撃してくる始末だ。今度は主計頭が敵の鋭い攻撃を避け、避け切れないところは刀で受けた。攻撃に転じることが中々できない。
そこへ鎖が解けた刑部が加わった。
「やるぞ!」
「応!」
二人は息を合わせてそれぞれ激しく斬りかかり、敵を追い詰める。
しかし決定打に欠けた。
敵の力すさまじく、刑部の攻撃も主計頭の攻撃も避けられ、弾かれ、ときにひやりとする攻撃さえ飛んでくる。
「なんという……」
ずっと戦っている刑部は汗だくで、息も上がってくるほどだが、敵はまだまだ体力が残っている。主計頭が加わっても続く膠着状態に、刑部は驚きを隠せなかった。
どうするべきか攻めあぐねていたところ、敵の斜め後ろへゆっくりと近づく治部の姿があった。
刑部も主計頭も治部が何をするつもりなのか分からなかったが、視線で敵に悟られないよう全く治部の方を見ることは出来なかった。
ただ、治部は立っているのがもうやっとなのに、その上で何かしようというのだから無謀極まりないし、二人にとっては気が気でない。
二人の心配つゆ知らず、敵が大きく刀を振り上げたとき、治部にとってはそれが待ち望んだ瞬間だった。治部が手にしているのは、鎖分銅だ。大きく勢いをつけた分銅は、敵の刀を鎖に搦めた。
「鎖分銅なら、儂も持っている」
敵は刑部と主計頭のことに全ての集中力を傾けていた上に、まさか治部が参戦してくるとも思っていなかったし、鎖分銅を持っているのも、それを扱えることも、全く理解できなかった。
あるいは理解しようとする前に、事切れてしまったかもしれない。
治部が作った好機に、刑部と主計頭は素早く反応した。
刑部の刀は敵の体を貫き、主計頭の刀は敵の体を断ち切った。
「…………」
敵がどさりと倒れると、立っているのは治部と刑部と主計頭だけだ。
「城が……」
敵は全員倒せた。だが、天守はどうすることもできなかった。炎に包まれる天守を三人は呆然と眺めた。
「……あとは任せたぜ」
主計頭が少し寂し気な顔で言うと、治部ははっとした。
「そうか、もうお前には会えないのか」
この不思議な夢は、この最悪の未来を現実のものにしないためにあったのだと、このとき三人ともが理解していた。それは泣いても笑っても今日、目が覚めればその日が運命の日であり、その次の日を夢で見ることはもうないということだった。
「虎之助、ありがとな。ちょっとの間だったのに、沢山世話になった。大変なことばかりだったし、こんなことを言うと不謹慎かもしれないが、お前と過ごせて楽しかった」
治部がにっこり笑って言うと、主計頭はやはり照れてしまった。
「たーけ。よせ、そんな、真面目に言うな。俺も……楽しかったけど」
「次は朝鮮で会おう。俺たちもじきにそちらへ行くはずだ」
「そうか。待ってる」
主計頭との会話を一通り終えると、治部はまた膝をついた。
「あっ、おい!」
「だめだ、気が……遠く……なる」
刑部と主計頭に両脇から支えられながら、治部は夢の終わりが近づいていることを悟った。この夢は、夢の中で眠るか気を失うかすれば、覚めてしまう。
しかしまだ、治部にはやることが残っていた。
「紀ノ介……!」
「な、なんだ?」
存外、力の籠った声で名前を呼ばれ、さらに太ももを鷲掴みにするようにつねられたので刑部は驚いた。
「もう、夢は終わりだ。絶対に、今日、目を覚ますんだ。いいな? 絶対、約束だ……覚めろ……!」
刑部には、治部がなぜそう必死になっているのかはさっぱり分からなかったが、治部の強い言葉を聞きながら、燃えるような瞳を見つめていると、まるで暗示にかかったように、
「俺は目を覚まさなければいけない」
と……
治部が目を覚ますと、そこは昨日見舞いに来た刑部の寝間であり、すぐ目の前には刑部が眠っていた。