火車地獄2
「刀はここに預けてもらえますか?」
「はい」
屋敷に入ってすぐ、治部と刑部は刀を回収された。誰かの屋敷を尋ねるときには、これは普通のことなので特に抵抗しなかった。また持ち物を細かく確認されることもなく、脇差もそのままであり、やはり警戒心は薄いようだ。
中は、玄関からずっと土足の空間が続いていた。元々はなにか、倉庫のように使われていた建物を集会場として使っているらしい。華美な様子は一切なく、全体的に薄暗い。
その薄暗い空間に人がたくさん集まっていた。ざっと三、四十人はいるように見える。少し玄関から離れ、奥に進んだだけでなんだか蒸し暑い。
集まっている人たちの前には、一畳ほどの広さを持つ台の上に座っている男がおり、話をしている。灯りはその台の上にあり、男の周りだけは明るくなっていた。張った声ではなく、語りかけるような声の調子で話しているため、玄関付近からではまだ何を話しているか分からない。
「まずはナユタ様へお目通りだ。ちょうど今、ナユタ様はそちらでお話になっている最中だ。ナユタ様から正式に仲間として認められれば、今日すぐに密儀伝授がなされる」
「えっ! 今、お話されている方がナユタ様なのですか!?」
「そうだ」
思っていたよりも随分と早く、火車の頭領に会えてしまったので治部はまたもや拍子抜けした。
「密儀伝授って何をするんですか?」
刑部はさらに無邪気を装って聞いてみたが、男は首を振った。
「密儀って言ってるだろ」
「すみません。ですよねえ」
「まずはお話をそのまま聞いて来い」
治部と刑部をここまで連れてきた男たちは持ち場へと戻って行き、治部と刑部は放流された。
二人としては火車が既にどのような組織なのか知った上でここへ来ているが、一応、念のため自分たちの目と耳で直接火車の実態を確かめたい。そして機会があれば火車を壊滅、すなわちその「ナユタ」とやらを拘束・殺害したい。
話を聞いた後に「密儀伝授」があるというのは、これらの目的のために非常に都合が良かった。恐らく「密儀伝授」に多くの人数は割かれない。今はたくさんいる人の数が大幅に減るこのときが、ナユタ無力化への好機だ。
よってまずは言われたことに素直に従い、話を聞くことにした。真剣に話を聞いている人たちの前を割り込むほどではなかったので、集団の一番後ろにつく。そこからでも治部の視力をもってすれば、ナユタの姿ははっきりと見えた。
年齢は四十ほどだろう。髪は肩くらいまで伸びており、髷を結わずにざんばら。質素な着物を着ているが、時々口元を隠すように左手に持つ扇は相当ちゃんとしたものなので、なんだかちぐはぐだった。
そしてナユタの座る台の上に白く丸いものが六つ並べられていた。それらはよく見ると人間の頭蓋骨だった。
(平然と、髑髏をあのように……)
火車に抵抗しようと出向いた人たちの遺体に首がなかったという話を治部は同時に思い出し、周りからは見えないように小さく手を合わせた。
「……我らは今の今まで、ずっと秀吉のせいで虐げられてきた。秀吉が名護屋に来たせいでモノが売れなくなった! 魚が捕れなくなった! コメも足りない! 秀吉さえいなければ、秀吉さえいなければ!」
ナユタの演説はいよいよ、山場を迎えるときのようだった。人々も「そうだそうだ!」と声を出し始め、興奮が伝わってくる。しかし治部の気持ちはその真逆で、心の中で悪態ばかりついていた。
(はあ? こいつ、一体何を言っているんだ? 殿下がここに城を作る前にはこんな立派な城下町はなく、商業もほとんどなかった。モノが売れなくなったとはどういう言いがかりだ!? 魚が捕れなくなったというのも、殿下と何も関係ないじゃないか! コメ……は出兵で不足していることはあるかもしれないが、城下町に住む人が食うに困るほどではない!)
いつもなら正論を叩きこみに行く治部だが、今は我慢のとき。にこやかにぱらぱらと拍手を送っておく。
「さあ、今日はいよいよ我らの悲願が成就するとき。火車は秀吉を地獄へ連れてゆくぞ! そして我々が秀吉にとって代わり、我々のための! 平和な世を築くのだ!」
「おーーっ!!」
聞いているだけで頭がくらくらする内容に同調するふりをするのは大層に骨が折れた。たった数分のことなのに、治部は心がどっと疲れた。
「さて、この華々しい日に火車になりたいと言って来てくれた者がいるな?」
盛り上がっていた場がしんとなり、一斉に治部と刑部に人々の視線が向けられた。
「はい」
「前へ来なさい」
突然注目を受けたことには少し驚いたものの、これくらいの人数の視線に物怖じするようでは豊臣の獅子と牡丹は務まらない。極めて凛として、二人は前へ進み出た。
「名前は?」
「俺は佐吉。こっちは」
「紀ノ介です」
下手に偽名を使ってぼろが出るよりは、世間には知られておらず、かつ一番呼びなれている通称で名乗る。
「そうか。佐吉と紀ノ介。どうやらそなたらはさほど、生活に困っているようには見えないが、どうして火車になりたいと思った?」
ここで答え方を間違えると終わる、と治部は今までの演説の内容を新たに踏まえて慎重に考えを出した。
この火車という集団は、とにかく自分たちの都合の悪いことは全て殿下のせいにするというのが基本理念のはずだ。そして、殿下のせいで散々な目に遭ってきた自分たちは可哀想なので、何をしても許されると考えている節がどうもありそうだった。
「俺たちは共に、ひで……秀吉が名護屋へ来たせいで、仕官の大事な機会を失ったんです! 失礼ながらあなた様は俺たちが生活に困っていないように見えると仰いましたが、この大事な日に少しでも恥のないようにしようとしてきたからです」
やはり主君の真名を呼び捨てにするというのは、抵抗があり少し口ごもってしまったがそれ以外はうまくいった。ナユタはハの字型の眉の角度を一層、きつくして「可哀想に。それはすまないことを言ったね」と言った。
「いいえ。今日が特別な日とお聞きして、そのような日にこうしてお目通りが叶い、嬉しく思います」
治部にしてみれば、刑部の言葉は慇懃無礼にも見えたが、ナユタにとってはそうではなかったようだ。恭(うやうや)しく扱われることに満足している。
「そうかい、そうかい。では、早速そなたらも火車になるがいい。密儀伝授だ。火車の間で行うから、ついておいで。皆は好きにしていなさい。私からの話は以上とする」
「はっ、ありがとうございます!」
これからナユタをどうにかするための好機がやってくる。しかし「密儀伝授」とは一体何なのだろうか……