治部少の使い1

 備品の管理を担当する侍は一人しか見当たらなかった。少し釣り上がった細い目に、よく日焼けしている若い侍。皆から成二郎(せいじろう)と呼ばれている。
「もし、荷物を届けに来た。中は壺のようなものだと思うが代理で運びに来たから分からない。見てもらえるか」
「はい! もちろんです。そのためにいる某(それがし)ですからね! ん……? えっ?」
 成二郎は自らばたばたと治部の方へ近寄ってきて細い目をしばたたかせた。
「あの~、治部少輔(じぶのしょう)様、でございますよね?」
 治部は申し訳なさそうに頷く。
「そうだ。突然すまない。訳あって荷物を引き受けてきたんだ」
「それはそれは! ひや〜!」
 成二郎は眼を精一杯見開いて喜びを表現した。普通、治部と話す機会は滅多にない。それをむしろ良しとする者ももちろんいるが、成二郎の場合はそうではなかった。
「さ! それでは! 折角なので荷の中を見ていかれてはどうですか? どうぞこちらに!」
 にこにこしながら言うので、断っては悪いと思った。
「ここまで運んできたものだ。最後まで確認しよう」
「良かった! あ! これは某が引かせて頂きますから」
 後ろに引いていた荷車を中々強引に引っぺがされた治部はそのまま成二郎の後について行った。
 本丸には大きな蔵も小さな蔵もあるが、今回の荷は直接本丸御殿の中に運び込まれる予定のものだったらしい。成二郎は軽快に歩いて、御殿の裏手、品物を運び入れるためにある内と外が繋がった空間に荷車を運んだ。
 そのわずかな時間だけでも成二郎は多くのことを話した。自分はこの勤めが好きであること。だが唐入りで人手が不足していることもあり、今日など一人で全てを対応しているのが大変であること。一人だと少しさみしく感じること。
 薄々感じていたが成二郎はとてもおしゃべりであった。
「だからね、こうして人が来るのを楽しみにしていたわけですよ。それが、しかも治部少輔様だったんですから、こんなに嬉しいことがありますか!?」
 話しながらも成二郎は慣れた手つきで荷を一つ下ろして、中を確かめた。
「あっ! 見てください、壺です。やはり美しいです」
 それは淡い青緑色の釉薬のかかった舶来の壺だった。
「おお、本当だ」
 ぴかぴかしていて、壺の表面にはそれを眺める自分の顔も映っている。
「これらの箱を一つ一つ開いて、確かめていくのは地味な作業ですが、もし中におかしなものが……例えば火薬が仕掛けられているとか! 最近流行っているでしょう。そういうことがあってはいけないですよ。そう思うと責任感も生まれるわけです。某のやっていることは地味だが皆の命を守っているのだと!」
「それは良い心がけだと思うが、流行っているというと、そなたもあの事件のことを知っているのか?」
「ええ! もう皆の間で噂になっていますから! 火薬で築地や石垣が壊されまわっていると」
 成二郎は特に中枢に関わる侍ではないにも関わらず、かなり詳しく噂が回っていることに治部は危機感を覚えた。
「儂も破壊事件がなければ、今日は城へ来る予定じゃなかったんだ。早く犯人を捕まえないといけないのだが」
「左様でしたか」
 成二郎は手に持っていた壺を下へごとりと置くと、真面目な顔になった。
「某は、破壊事件の犯人を知っています」
「おお?」
「お耳を」
 この侍、ずけずけ来るなと可笑しみを感じながら治部は素直に耳を傾けてやる。
「……あれはねえ、徳川内府様の仕業ですよ」
 ささやき声に治部は跳ね上がった。
「馬鹿なことを言うな! そのようなこと、たとえ内緒話でも言っちゃ駄目だ」
「確かに、これは誰にも言ったことがありませんとも。某だけの考えです。でもあのお方は今回の唐入りで唯一と言っていいほど、兵を一切お出しにならない。力の温存ですよ。そうして自分は温存しながら、中からの瓦解で上手いこと天下を欲さんとしているんです。城の本丸で知らぬ間に火薬が仕掛けられていたって噂がこれからどんどん広がって行ってもみてくださいよ。間違いなく士気は低下するでしょう。反抗勢力がいて、堂々と本丸の一部を破壊していて、それに対処できていないのが豊臣だってことになるんですから」
「儂は聞かなかったことにしておく」
「え~、結構いい線いったと思うんですけど」
「全く、何を言い出すかと思ったら。もう口にしてはいけないぞ」
「分かってますって。こんなこと、治部少輔様にしか言いませんって!」
「調子のいいやつだな」
 治部はやれやれと首を振りながらも、成二郎の話は的を得ている部分もあると感じた。
 内府が関わっているというのは論外だとしても、このまま破壊事件を止めることが出来なければ士気が低下し、最悪の場合大きな反乱を招くかもしれないというところまでは治部も考えていた。
「じゃあ破壊事件のことは一旦、脇に置いておきましょう。そんなことより今日の朝餉(あさげ)のことで……おっと!」
 成二郎は新しく箱から出した壺をつるりと手から落とした。それをすんでのところで治部が掴んだ。
「危なかった! ありがとうございます。う~! ひやっとした~!」
「ひやっとしたのはこっちだ」
 治部はそっと成二郎に壺を返す。成二郎がなぜ一人でぽつんと勤めを果たしているか、誰かといるとこうして話をするので失敗が多くなるからではないかと治部は思わず邪推してしまった。
「そうだな、じゃあ儂は確認が済んだものを中に運び入れるでもしようか」
 成二郎の邪魔にならないように、治部は考えて言った。一人だと大変なのは全くその通りなので少しでも手伝ってあげたいという気持ちもあった。
「え!? 本当ですか!? すみません。助かります。あ~、でもまたやってしまった。某、つい話しすぎてしまうから、邪魔にならないようにって思ってくださったんですよね? 本当にすみません」
「いいや、そんなことはないが……集中はしなさい」
「はい!」
 この男、無神経なように見えて変なところで勘が鋭い。治部は不思議な気持ちになりながら無理なく持てる量の箱を持って、御殿の中へと入った。
 御殿はとても広く、中の構造を知っている治部でもうっかり迷ってしまいそうになる。
(物置はこのへんだったと思うが……)
 物を置くための部屋の周りに人はあまりいない。そのうち全く人気のない廊下にたどり着いた。
 いや、よく見るときょろきょろしながら慌ただしい様子の侍が少し遠くに一人だけいる。見かけない顔の侍だったが、別に珍しいことではない。
「こんなところで何をしている? 誰か探しているのか?」
 治部は見て見ぬふりというのが出来ないたちなので、声をかけると相手はすがるように近づいてきた。
「某は治部少の使いとして参った者でございます。しかしこの新しい城には慣れておりません。いつの間にか迷っておりました」
 治部ははて、と首をかしげた。自分が使いとして出した者の顔と名前はしっかり記憶している。
「儂は今、おぬしと初めて会ったはずだが」
「……え?」
 使いと名乗る者は顔に笑顔を張り付けたまま硬直した。治部も全く知らないはずの者が急に自分の使いだと言い出したものだから、頭が混乱した。
(儂が使いの者の顔を忘れていたというのか? いや、そもそもここへやるような使いを出してはいない!)
 治部と“使いの者”がお互いの正体に気が付いたのはほぼ同時だった。ほんの数秒前まであった優しい空気は一瞬で消え去り、殺気がぶつかり合う。
 “使いの者”は治部に斬りかかろうとしたが、その抜刀はあまり早く感じられなかった。治部は箱を抱えたまま後ろに飛びのいて避けた。
 治部としては“使いの者”を殺したくない。なぜここにいるのか、一体何者なのか。聞かなければいけないことが山ほどある。
 一方で“使いの者”は治部を殺すことに一切の躊躇いがない。むしろ目の前の相手を殺さなければ正体を暴かれてしまうのは自分だ。
 それなのに“使いの者”は治部に背を向けて真っ先に逃げ出した。
「!? 待て!」
 まさか逃げるとは思わず、治部も抱えていた箱を一旦下に置き、慌てて“使いの者”を追いかけた。
 人を呼ぶことも考えたがやはり、この唐入りの中で怪しい者がこのような城の内部に紛れ込んでいると騒ぎになるのは避けたくて、一人で対処することにする。
 “使いの者”は登城用の着物に慣れていないのか治部にはもたついて見えた。長浜で干物の盗賊を追いかけたときと違って、もう手を伸ばせば追いつける距離に“使いの者”が走っている。
 しかしあともう少しというところで、“使いの者”は近くの部屋にびしゃりと入り込んでしまった。
 そこは雑多なものを置くための空間で、治部はここへはまだ入ったことがない。いわば「遊ばせてある」部屋だ。
(なに? 儂をここで迎え撃とうというのか?)
 治部は刀をすぐに抜けるよう準備してその部屋の扉をぱんと鋭く開けきる。
(さすがに襲ってこないか)
 治部がまず想定したのは扉を開けた瞬間、物陰から勢いよく攻撃を仕掛けてくるといったものだったがそれほど単純ではなかったようだ。
(どこに隠れている?)
 ここはそう広くない部屋だ。気配でどこにいるか分かりそうな気もするが、相手は素人ではなかったということだろう。
(逃げ出したように見えたのも演技かもしれないな)
 治部は一層気を引き締めて、じっと部屋の棚の配置、物の置かれ方などを一目した。相手は素人ではないかもしれないが治部もまた素人ではない。治部は“使いの者”がどこに隠れているかの見当をつけた。
 そこには年季の入った大きな水瓶(みずがめ)とその周りにやはり古い、時代遅れな意匠の篭手がばらばらと散らばっている。
(あの篭手を足でのけるか踏みつけるかしたとき、足元に一瞬気をとられるだろう。そのすきに水瓶の陰から“使いの者”は飛び出してくるはずだ……)
 治部は棚の間をゆっくり少しずつ歩いていった。そして足元に篭手があるところまで来たとき、治部は足でそれをどかすふりをする。
 次の瞬間、“使いの者”はまさにその陰から飛び出してきた。治部の完全な想定通りだった。
 “使いの者”は刀を振りかざしたが、その刀は不思議な回転のかかった治部の刀によって弾き飛ばされた。そして治部は武器を失った”使いの者”に組み付いて、床に勢いよくたたきつけた。動きをしっかりと抑え込む。“使いの者”はそこから逃れようともがいたが全く上体を起こすことは出来なかった。
 動きを完全に読まれたことが不思議でならなかっただろう。あらかじめそうなる未来が決まっていて、それに則って治部少は動いている。“使いの者”にはそのように見えていたに違いない。
「何のためにここを徘徊していた? 答えろ!」
 このとき治部が迂闊だったのは“使いの者”を両手で押さえつけたため自身も刀を手にしていなかったことだった。
「…………」
 “使いの者”は治部をじっと見つめたままだんまりを決め込む。治部も“使いの者”の真意を探るようにじっとその顔を見つめる。
 これも治部が見ておくべきは“使いの者”の表情ではなく右手にあった。“使いの者”は上体を動かすことは叶わなかったが、腕は少しずつ動かすことができた。
 その手はゆっくり、じりじりと棚の下へ潜っていく。それに気付けなかったことが治部のもう一つの迂闊さとなった。
「もう一度言う、答えろ……」
 治部が言ったそのとき、“使いの者”の右手が短刀を握った状態で治部の眼前へとまるで鞭のように伸びてきた。
(新しい刀!?)
 “使いの者”の狙いは完全に治部の首に致命傷を与えることにあった。
 治部はなんとかのけぞったが、完全には避けきれずその短刀の先が治部の顎から首にかけて赤い一本筋を描いた。
「……っ!」
 治部もすぐに刀を手にとったものの今は治部が出血もありながら床下に追い詰められ、上から“使いの者”が治部の刀へぎりぎりと力をかけていた。
 さらにここへきて、治りかけていたはずの傷がうずいた。長崎で斧の船員と戦ったときに、斧の柄が鎖骨に直撃して出来たものだった。
 “使いの者”は血走らせた目をかっと見開いて治部を睨みつけていた。さらに喉の奥で何か低く唸っている。まるで獣と戦っているかのような異様さに治部は思わず二三度、瞬きした。しかし目の前にある光景は何も変わらない。
(このままじゃまずい。もう自分の刀で自分の首を圧し潰してしまう! 誰か、今すぐここへ助けに来てくれ……!!)
 治部の悲痛な思いが天に届いたのか、はたまた日頃の行いが良かったからなのか、この人気のない廊下に面する、ただの物置と化した部屋になんと、来訪者が現れた。

江中佑翠
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江中佑翠

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