新しい一日
治部が目を覚ましたのは夜が明けようとするときだった。
(あれ、ここ……?)
先ほどまで主計頭の屋敷にいたはずだったのに、治部がいるのは自分の屋敷の自分の寝室だった。主計頭もいない。
(なんで?)
自分の置かれている状況が治部には全く理解できない。状況を少しでも把握しようとして急に起き上がると、ただでさえぼうっとした頭が更にくらくらした。
しばらく何も考えられずにぼんやりしていると、廊下から起床時間を知らせる声がするのに気が付いた。いや、どうやら起床時間はとっくに過ぎているようだ。自覚はないがとにかくそうなのだ。
「少しだけ待ってくれ!」
治部は何が何やら分からない気持ちのまま用意された桶から顔を洗い、急いで寝巻から着替えた。髪を結う小姓の前に出るときでも、治部はだらしない格好でいることをよしとしなかった。
(そもそも俺は昨日、寝巻なんか着ていないんだけどな。誰かが着替えさせたのか、俺の知らないうちに……)
恥ずかしい気持ちがするが、それだけぐっすり寝込んだおかげかすっかり元気になっているのは良かった。
「殿がお寝坊なんて珍しいこともありますね」
待ち構えていた髪を結う小姓がふふっと笑うと、治部は「待たせてすまなかった」と謝った。
「いえっ、そういうつもりで言ったんじゃないですってば!」
小姓の慌てっぷりに今度は治部がふふふと笑いながら「それはどうだろうな」など言ってからかう。
(だけどもうちょっと気遣ってくれてもいいんじゃないか? 俺はあんな怪我をしてきたのに)
治部は心配してほしい気持ちがある一方、もう大丈夫だと信頼されている気持ちは嬉しいから口をとがらせるのはほんの少しだけにした。
小姓と他愛もない話をしていると、廊下からばたばたと慌ただしい足音が聞こえてきた。治部たちのいる部屋の襖の前でその足音は止まる。
「申し上げます! たった今、本丸御殿付近にて石垣が崩されているのが見つかりました!」
「何だと!? 昨日もだったじゃないか!」
治部が言うと伝達係は少し言い淀んだ。
「し、失礼ながら、昨日は何も起きておりません。二回目の破壊でしたらもう少し前かと……」
治部が首を傾げる番だった。
「じゃあ今日ので三回目ということか?」
「そうです」
治部が心底不思議そうに聞くので、伝達係も自分の記憶が確かなのか不安になってきた。
「伝達の方が合っていると思いますよ」
伝達係に勇気を与えたのは髪結いの小姓だ。
「殿、今日はお加減がよろしくないのですか?」
「いや、そんなことはないが……」
狐につままれたようとはこういうときに言うのか、と治部はその点納得した。しかし今の状況には全く納得できない。
(なぜだ、昨日と同じ日をまた繰り返しているとでもいうのか!?)
伝達係を下がらせたあとは、髪結いの小姓もただ黙々と髪を触るだけになってしまい静かな空間になった。
確かに今日は起きたときから治部は違和感ばかり感じていた。知らない間に着替えさせられていたり、主計頭の館から戻って来ていたり……
「あっ」
治部がある重要なことに気が付いたとき、その肩が一瞬びくっと跳ねたので小姓はまた何か治部の様子がおかしいと思ったようだ。
「どうかなさいましたか?」
「いや、なんでも……ないことはないが、そなたには関係ない。大丈夫だ」
――主計頭は……虎之助は、今、朝鮮にいる!!!
主計頭は二番隊として四月から朝鮮へ行ったきり。日本へ戻ってきているはずがない。明らかに治部の「昨日」の記憶と矛盾する事実だった。
(じゃあ、これは……?)
治部は斬られたあたりを指で触れた。だが傷のような跡も痛みも何もなかった。いくらたくさん寝たからと言って、わずかな痛みや傷跡もなくなるほど完全に治るということはないだろう。つまり、斬られたという事実もなかったのだ!
(でも三回目の破壊は実際に起こっている)
これらの事象をまとめてどう評価すればいいのだろうか。
(昨日のことは夢、だったとしたら? 夢にのめり込みすぎていたために、その夢を「一日」として認識してしまっていたとしたら……)
夢ならば、日本には今いないはずの主計頭が現れたことの説明になる。また目覚めたときに感じた「主計頭の屋敷にいたはずだったのに」「着替えていないはずなのに」も、ただ昨日の夜に寝て、今日の朝起きただけの話だったと説明が出来る。
そして三回目の破壊が起こったことについては、この夢がいわゆる「予知夢」のような性格を持っていたからだとは言えないだろうかと治部は考えた。
(本当に予知夢だったのか、確かめたい)
治部はうずうずする気持ちを抑えて、まずは夢でやったように、すぐに破壊箇所を修復するための人を手配するよう命じた。そしてまた同じく、修復作業が始まるまでの間に破壊箇所の検分を行うことにした。
しかし夢と異なるのは、検分に左近を連れて行くことだ。夢で見た未来があるのならば、治部は本丸御殿へ向かうようになっている。そのときに左近も連れて行きたかった。
「殿がお命じになるならばどこへでも」
左近は心なしかうきうきして見えた。