夢と現実のはざま
治部は現場に向かう間、左近に全てを説明した。信じてもらえなくてもいいと思っていたが、左近は全てを信じた。
「殿がこのような大事なことでご冗談を申されるはずがないですから」
「助かる、左近。儂もどこまで夢のことを信じていいか分からない。だから何があってもいいようにおぬしに付いてきてもらった」
「ありがたき幸せ」
治部の屋敷と城とは随分離れているが、二人、話をしていたら現場へはじきに到着した。
修復のための工員たちもちょうど到着していたところで、やはり間一髪で手を入れられる前の現場を見る。
だが詳細を見ていくまでもなく、治部はもう既に激しい既視感を覚えていた。
壊された箇所、工員たちの顔ぶれは寸分違わず夢に見たものと同じだったからだ。
「左近。まるで同じ日を二回繰り返しているようだ」
治部は自分自身で呆れるように首を傾げている。
「そんなにも全く同じなのですか」
治部はこくりとうなずいた。
「そのうち、『お殿さま、もういいですかい? 作業に入らせてもらっても』だ」
「はい?」
「そうやって声がかけられるはずだ」
夢の内容をまあまあ覚えているという程度ではないのだ。己の主人の記憶力の良さに左近が舌を巻いていると、工員のうちの一人が治部におずおずと近寄ってきた。
「お殿さま、もういいですかい? 作業に入らせてもらっても」
「ああ。待たせてすまない。頼むぞ」
そう工員に言ったあと、治部は「ほらな、本当にそうなった」と言いたげな目を左近に向ける。
「本当に、一言一句同じでしたね」
左近は治部の言うことを完全に信じていたが、こうして目の前で不思議なことを見せつけられると少しぞくぞくするものがある。
当事者である治部にも同様、摩訶不思議な体験をしているという高揚感があった。頬は染まり、唇の血色が良くなって朱を刷いたように赤くなっている。
「このまま夢の通りにいくなら門を出たところで腰を痛める商人に出会うはずだが……」
そう言ったところで晴れがましい顔をしていた治部の眉間へ急に皺がきゅっと寄った。
「腰を痛めるまで待つような、見て見ぬふりはだめだ。だが腰を痛める前に声をかけるのも変だ」
「おや、それなら某が代わりに声をかけましょうか」
それは左近にとっては大した問題ではなかったようだ。
「おお。何か策があるんだな」
「策と言うほどのものではありません。大事なのは真心です」
胸に手を添えてそう言う左近は何か企んでいるような悪い顔をしている。
「ほう、じゃあその真心とやらを見せてもらおう」
そうと決まれば商人が門の前の坂道を上ってくるまでに商人と出会わなくてはいけない。治部と左近は少し急いだ。
「ほら、あの人だ。大きい荷車を引いているだろう」
門から随分と離れたところで、治部の言う「商人」の姿を確認した。こちらが急いだおかげで商人がすぐに腰を痛めるような距離には到底近づかない。
「では行って参ります」
「任せた」
左近は馬から下りた途端に、まさに誠実な侍の佇まいを身に纏(まと)った。
「もし、そこの御方」
商人は見るからに立派な侍が急に声をかけてきたのでその場に硬直した。
「わ、私のことをお呼び止めになりましたか……?」
「そうだ。そなただ」
低い声でそう言われて商人はびくりとした。
「はっ、あ……私は何も……」
「分かっている。そのようなつもりで声をかけたのではない」
左近は出来うる限りの優しい微笑みをたたえ話を続けた。
「某は石田治部少輔家臣、嶋左近と申す者だ。少々お話したいことがある」
「へっ、えっ……!!」
嶋左近と言えば聞いたことがある名前に決まっている。詳しいことまで知らなくても、とにかく強い、怖い。そういう印象でもって語られている。
商人は噂で聞いていたよりも左近が怖いとは思わなかった。だがいくら優しく微笑んでいても、眼光がどこか鋭い。その眼から商人は目の前にいる侍のことを左近であると信じた。
「そのような御方が、私に、一体何の御用でございましょうか」
「あそこにいるのは我が殿だ。殿がなんと、そなたのことを夢に見たという。その夢のことを伝えにきたのだ」
左近は手で治部の方を指し示しながら、けろりと本当のことを言ってしまった。
治部のいるところからは、左近が何を言ったのかよく聞こえていない。左近がそのとき治部の方を見たことも、なんのためにこちらを見たのか分からず曖昧に微笑み返しておいた。
その微笑みを商人は、はっきりと目にすることが出来た。
「あの御方が、治部少輔さま……その御夢で私は、何を」
『豊臣の獅子と牡丹』とはよく言ったものだと商人は思った。初めて見ることのできた彼は中性的で、品のある顔立ちをしていた。
「そなたはこの坂道を登り切る前に腰を痛めるのだそうだ」
左近が話し始めて商人ははっと我に返った。
「は、はい。それで……」
「殿は夢の中で、動けなくなったそなたの代わりにその荷を代わりに引いて持って行ったのだと。だが夢で未来を知った今、そなたが腰を痛める前になんとかしたいと殿が仰せなので、某がその荷を預かりにきた」
そう言って左近はするりと荷車を引き受ける。
「そもそも商人であるそなた自ら荷車を引くには何か訳があるのだろう? 本当はそなたが引くはずのものでなかったはずだ」
商人は左近に問われて、おずおずと語り始めた。
「仰る通りです。本当は荷車を引いてもらうはずだった小間使いが今日、足を怪我しまして、代わりの者を見つける時間もなく、私が引いてきたのです」
「だったら、別に某が引いてもいいだろう」
左近はにっと笑いかけると、もう歩き始めてしまった。
「あ、ありがとうございます」
商人は深く深く頭を下げた。
実のところ商人としては、腰を実際に痛めたわけでもなく、よく分からないままに偉い方がぽんぽんと現れて、気が付けば荷車をこれ以上運ばずに済んだという結果が残った。
「治部少輔さまが夢を見て私を助けに来たという、夢なのでは……?」
治部も左近も去ってしまって、その場に一人残った商人はそう独りごちて自分の手の甲の皮を思いきし引っ張ってみたが、夢と疑った今が現実であるということを己に知らしめる結果となった。