section 2 :Kein and Lifath "I. The Magician"

Compayne Gardens, West Hampstead, London

 ロンドンの北西にあるウエスト・ハムステッドの閑静な住宅街の一角。
 この日リーファス・フレミングは占い師の仕事がオフデーのため、朝から自宅の掃除に専念していた。夫のケインは昨夜からガレージ(彼の主張では『研究室』)からまだ出て来ない。恐らく、まだ仮眠用のベッドの上なのだろう。彼女は掃除が終った後に夫を起こして昼食を取り、近所での買い物に付き合って貰うつもりだった。

 そして、今日こそ「自家用車を買いたい」という話を切り出そうとも考えていた。元々はそのつもりでロンドンでは少ないガレージのある今の家に住んだはずなのだ。しかし車庫の広さを見て「ちょうど良い」と言い出した彼女の夫。止める間も無くあれこれと怪しげな研究道具やら機材を運び込み、二台分のスペースのあったガレージはすっかり別空間に様変わりしている。彼に研究のための部屋が必要だとは分かってはいる。だが、通勤や買物のために自家用車が欲しいリーファスとしてはガレージに住み着く……もとい、ガレージを研究室にするのはいい加減にやめて欲しいのだった。
 毎回その話をしようとすると、それを察した夫に先回りされて、無邪気に研究成果やら新しい発明品を見せられる。あまりに良い笑顔に何も言えなくなって早数ヶ月。今日という今日は騙されない、と、彼女は心に誓っていた。

 しかし玄関先の郵便受けを確認した時に見慣れた茶色い封筒があったため、この予定は丸々変更される事となった。表書の宛名は「ケイン・フレミング」「リーファス・フレミング」の連名。真紅の蝋封はいつも通り狼のような獣のシルエットに大文字のアルファベット『J』を重ね合わせた絵柄。……何故今日は自宅にいる事を先方が知っているのかと一瞬リーファスは思ったが、考えても分かるはずないとすぐに諦めた。

 封筒を抱えたリーファスは、ケインを起こすためにガレージの扉をノックした。意外にも「どうぞ」という返事が聞こえた。
「起きていたのね」
「うん、ついさっき起きた」
ケインは大きな伸びを一つして仮眠用のベッドから立ち上がった。
「何か食べる? 」
「うん、腹減った」
 そう言った後、ケインはリーファスが大事そうに抱えている茶封筒に気がついた。
「あれ?指令が来てるのか」
「ええ。今、ポストを見たら入ってたの。先に昼食にしましょう」
 ケインは頷き、顔を洗いに行った。その間にリーファスはトーストとお茶とスクランブルエッグという極簡単な食事を用意する。

 一通りの飢えを満たした後、封筒の中に入っていたレコード盤のようなものを取り出す。そして寝室の奥に隠すように置いている機械の上にそれを設置した。ダイヤル型になっているスイッチを入れると、じーっという音がしばらく続き、機械の上部についている板状の物の表面に映像が現れた。
 一体この器具と盤がどういう仕組で出来ていて、何故こんな風に映像を見せる事が出来るのか。自称・天才発明家のケインにもよく分かってはいない。占い師を生業とする霊媒体質の妻のリーファス曰く「アストラル界のエネルギーを利用して動いているのではないか? 」と言うのだが、肝心の仕組みは機械に疎いリーファスには「さっぱり分からない」という事だ。
 近年アメリカのハリウッドで作られ始めた音の出る映画のような物である事だけは確かだが、かなりコンパクトに出来たこの機械は全く違う仕掛けなのだろう。ノイズ混じりの映像は鮮明とは言い難いのだが、内容を伝えるには充分な物だ。

 映像を見終わった後。
「折角の休日が台無しね」
 少し残念そうな声でリーファスは言うが、これもいつもの事なので諦めてはいる。
「俺は新しい機材を試すチャンスで嬉しいけれどね」
 と、逆にケインは口元に笑みを浮かべていた。

 「指令」によると夕刻までに指定場所へ行く必要がある。少し早めだが、二人は外出のための身支度を整え始めた。
(車さえあれば移動は楽なのに)
 リーファスはそう思ったが、夫にこの相談を始めると時間に遅れそうな気がしたので今日の所は諦めておく事にした。

 行き先はラッセル・スクエアの近くにある古書店の二階にあるアパートだと映像は告げていた。
 二人はロンドンの地図を広げて自宅からのルートを確認した後、メトロポリタン鉄道のウェスト・ハムステッド駅へと向かった。ベイカー・ストリート駅からはバスになるが、地下鉄の乗り継ぎ連絡が良かったため予想以上に早く着いてしまいそうだ。幾ら到着が早くても、一緒に仕事をする予定になっている他のメンバーが揃わなければ何も出来ない。

 天気もさほどは悪くないので二人はバスを途中下車して、散歩がてら少し周辺を歩く事にする。普段はあまり出歩かないケインにとっては良い散歩と運動にもなるだろう。
 荷物を余計に増やすわけにもいかないので、買い物は控えなければならないが連れ立って出歩くだけでも、若い夫妻には充分に楽しい一時だ。
 公園や店の多い通りを選んで二人は目的地へと向かった。

 それでも少し早めに古書店に着く。
 本好きのリーファスは一階の古書店の棚を覗いて、一冊の本に目をつけた。
「へぇ、珍しい本があるわね」
 横からケインも見たが『黎明の書』という抽象的なタイトルからは、一体何の本なのかという想像がつかなかった。
「これは小説? 」
「えーとね、掻い摘んで説明すると東洋の密教思想とシルバーバーチの内容の比較理論について書かれた本なの。こんな普通の古書店にあるとは思わなかったわ。初版じゃないけれど、第三版って確か部数が少なくてレアだったはずなのよね」
 今ひとつ自分には分からない次元での感動を伝えてくる妻に、ケインは「それは良かったな」とだけ答えておいた。

 科学者畑のケインにとって、霊媒師の彼女の言動や知識は自分の理解を超えた所にある。逆にケインが得意としている機械や科学に関してはリーファスは「さっぱり分からない」といつも言う。
 円満な夫婦生活のためにも、お互いに相手にしか分からない部分に関しては「寛容かつ愛を保ちながらも、極力ノータッチでいこう」と二人は結婚前から決めていた。

 どうやら今の本を購入する気らしく、リーファスは奥にいた書店の主人らしき老人と値段交渉を始めてしまった。手持ち無沙汰になったケインは、仕方なく先に指定場所である二階へと向かった。
 予想通り、今回同行するはずの他のメンバーたちはまだ誰も到着していないようだ。

nyan
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