section 6：Nightmare　"XVIII. The Moon"

No man is an island. entire of itself;
every man is a piece of the continent,
a part of the main;
if a clod be washed away by the sea,
Europe is the less,
as well as if a promontory were,
as well as if a manor of thy friend's or of thine own were;
any man's death diminishes me,
because I am involved in mankind,
and therefore never send to know for whom the bell tolls;
it tolls for thee.

なんびとも一島嶼にてはあらず、
なんびともみずからにして全きはなし、
人はみな 大陸(くが)の一塊(ひとくれ)、
本土のひとひら
そのひとひらの土塊を、
波のきたりて洗いゆけば、
洗われしだけ欧州の土の失せるは、
さながらに岬の失せるなり、
汝が友どちや汝(なれ)みずからの荘園(その)の失せるなり、

なんびとのみまかりゆくもこれに似て、
みずからを殺(そ)ぐにひとし、
そはわれもまた人類の一部なれば、

ゆえに問うなかれ、
誰がために鐘は鳴るやと、
そは汝がために鳴るなれば

　　　　　John Donne
　　　　　Devotions upon Emergent Occasions,
　　　　　no. 17(Meditation) 1624 (published)


　日没。教会の鐘が聞こえる。
　彼は周囲に山積みにした本の間から顔を上げた。今日は昼食もそこそこに研究室に入り、お茶の時間も忘れて時間を費やしてしまった。資料から必要情報を探すのは時間の掛かる作業だったが、他者に任せる訳にもいかない。

　数日後、この件は別人物の管理下に移る。自分が関われる時間はもう残り少ない。早く謎を解き明かさねば、苦労は水の泡だ。先日彼は失策のため、組織の上層部から厳しい叱咤を受た。その事で現在彼の立場は非常に危うい。勿論汚名挽回のために、権限の移行には猶予と譲歩を求めた。だがその主張は軽く却下されたのである。
　輝く蛇を頭上に宿した獅子の顔の小さな紋章。彼の持つ誇り高き栄誉ある女神の顔は銀色だ。同じ紋章を持つ金やプラチナの主の主張が優先されるのは致し方ない。

　疲れた目を休めるため、彼は椅子の背に身を委ねた。閉じたまぶたを抑えた彼は、背後で何かが動いた事には全く気づかなかった。

　ロンドンの町に夜の帳が降りる。ソーホーの歓楽街でなくとも、酒場には明々と灯が輝き、そこを離れた路地の暗がりを一層深い闇へと変えていた。ギリシャの伝説に登場する冥府に連れ去られた麗しき乙女の神は、黒き馬車に乗せられこのような深い闇の世界に飲まれたのだろうか。

　石畳の上を不可思議な影が横切り、ゆっくりと路地の上を音もなく歩き過ぎた。いや耳をすませばひたひたという小さな足音が聞こえていたのかも知れない。ただし夜の町を往く影の正体を見たものは音を聞く余裕もなく悲鳴を上げ逃げるか、逆に凍りつき動けなくなるかのどちらかだろう。

　間の悪い通行人は世界中に多くはないはずだ。しかしその夜は運悪く泥酔した一人の男が近くの路上にいた。野良犬や野良猫の多い町なら恐れて大声で鳴き立てるか、或いは気の毒な犠牲となったか。いずれにせよ、この不運な男の運命は変わっていたかも知れない。しかし、ここはロンドンだ。愛護団体が不幸な動物達を救う町なのである。
　多少マナーの悪い飲酒者を保護するなら家族以外なら警察だろうか。生憎、そのどちらも彼の側にいなかい。

　半ば夢現で町を彷徨う運の悪い男が気づいた時には、目の前に立ち塞がる異様な姿があった。相手が一体何か理解する時間は残されてはいなかった。悲鳴を上げる事もなく、男はそのまま路地の暗がりへと消えた。

　そしてガス灯に照らされた石畳の上に、まるで何事も無かったかのような静寂が戻った。