ゴゥン……ゴゥン……。

 黄昏の時間。街がオレンジ色に染め上げられる時。
 あの、時計台から鐘の音が鳴り響く。
 その音を合図に、街の人達は動き出すのだ。家に向かって、皆一律に、例外なく。
 皆談笑したり一人だったり、多少の違いはあろうとも、皆、まっすぐ家に向かう。

 まるで、誰かに命令されたかのように。
 まるで、それ以外の行動を忘れたかのように。

 太陽が沈むよりもやや早く、街からは人の姿が消えた。道路には誰もいない。
 とある建物の屋根の上。そこで私は街を見下ろす。
 先程例外は無いと言ったけれど、それは私の視点からであって、正確に言えば例外は存在する。そう、私が例外だから。
 風が強い。羽織ったマントが揺られ、バサバサと音を立てていた。冬特有の乾燥した凍て付くような風が私の身体に吹き付ける。こういう風、何と言うんだったか。
「行こう」
 誰に言うでもなく、呟いた。私の声は乾いた風に乗り、何処かへ消えていく。──あぁ、空っ風だった。
 屋根の上を走り、跳ねた。風を感じながら別の建物の屋根に移り、駆ける。あらゆる場所の危険性を即座に判断し、移動する技。これをパラルークというんだ。
 時計台を目指して私は走る。こんな、何の変化もない、毎日変わらない生活は御免だ。あの時計台に乗り込み、終わらない輪廻から抜け出してやる。
 屋根の上を走り続けていると、目の前が急に開けた。乗り移る建物が無い。でも、私は止まらない。
 躊躇無く、跳んだ。私の身体は空中で美しく弧を描く。
 そのまま、地面に着地した。地面に身体がつく瞬間、身体を転がして受身を取り、衝撃を殺す。
 腰に携えた細剣を抜いた。時計台まであともう少し。
 だが──
「チッ」
 案の定、時計台の前には沢山の警備ロボットがいた。これでは時計台に入れない。過去には強行突破を試みた事もあったが、スペックが違いすぎてお話にならなかった。
 ──仕方無い、戻るか……。
 ロボット達にバレないよう小さく溜息を吐き、私は引き返した。


「おはよう……ってあら、早いのね」
「ん──いつも通り」
 朝。私はリビングで用意されていたいつもと全く同じ朝食を食べていた。
 私は母に対していつも通りと言ったけれど、実際は違う。いつもより二十分程早い。
 でも、母は「ふーん?」とだけ言うと、弁当作りを再開した。私の言葉を疑う事もない。そりゃそうだ。彼女はそういう風には作られていない。
 朝食を終え、身支度を済ませると、私は家を出た。すると、家の外では一人の女の子が私を待っていた。
「やっほーみかりん! おはよっ」
 大きく私に向かって手を振る彼女は、近衛由利。過去も現在も未来も、永遠の高校一年生。
「いい加減みかりんと呼ばずに美香と呼んでくれ」
 どうせ無駄だと知りながら、いつものように溜息を吐き、そう返答する。
「えー良いじゃん別にー」
 ぷくーっと頬を膨らませながら由利は言った。その表情は人間そのもので、だからこそ私は時々忘れそうになる。

 ──この街で人間と呼べるのは、私しかいないという事を……。

 いつものように由利と談笑しながら、私は通学路を歩く。話の内容が昨日や一昨日とは異なっているのは面白い。いつも同じ話ならうんざりしているところだ。まぁ、話の内容は覚えてないけど。
 学校に到着し、席について、私は空を見る。いつも考えていた。この空も、もしかすれば人間によって作られたものなのではないだろうか、と。

 この街に私が閉じ込められてから、何年が過ぎただろう。
 いつ、どこから、何の為にここへ来たのか、今となってはもう、何もかも忘れてしまった。……いや、強制的に記憶を消された可能性もあるな。ここに来た日時や目的などを完全に忘れているなんて、おかしいだろう。
 ──そこで、私はぷっと小さな笑いを零した。そもそも、この街におかしくない点、マトモな点など、一つたりとてありはしないじゃないか。
 そうしてまた、溜息を吐いた。どうすれば、この終わりの見えない輪廻から抜け出せるのだろうか。
 何とはなしに、教室にいる皆を見た。談笑したり本を読んだり勉強したり。
 皆思い思いの事をしている──ように見える。
 だが、この光景は昨日も同じ。明日も絶対に同じ。好きな事をしているようで、実は皆、自分の役割をごく淡々とこなしているだけだ。
 全て偽物の世界。私だけが本物で。
 逆に、私の方が偽物なんじゃないのかとすら思えてしまう。
 ──いや、決してそんな事はない。彼らは、確実に人間ではないのだから。
「──なーんか難しい事考えてるねー」
 不意に、由利が話し掛けてきた。彼女は私とコミュニケーションを取る役割らしく、学校でもこうやってしばしば話し掛けてくる。ちなみにその役割を持つ者は、私が進級するごとに変わっていく。彼らは進級しないから。成長しないから。
「別に。何という事は無いよ」
「またまたー。みかりんがそうやって頬杖ついて外を見てる時って、大体何か難しい事考えてるんだー」
 私は思わず目を見開いて、由利を見た。よく見ている。
 もしや、由利は、由利だけは────…。
「あのさ」私は気付けば口を開いていた。
「今日、私の家に来ないか……?」


「わぁー初めましてー」
「誰に言っているんだ誰に」
 放課後。私は初めて由利を家に呼んだ。彼女は人の家が珍しいのか何なのか、部屋の中をきょろきょろと見回している。
 先に由利を部屋にいれる。私はそっとドアを閉め、ゆっくりと鍵を掛けた。ちなみに母には部屋に来ないよう言い含めてある。
「綺麗な部屋だねー。私の部屋とは大違い」
「掃除しろ」
 由利は本棚を眺めたり、ベッドの下を覗いたりしている。
「……何してるんだ」
「いやー。一冊くらいえっちな本とか無いかなぁって」
「そんなものあるか!」
 まったく、何を探しているのかと思えば……。
「大体、そんなものどこで買うんだ……」
「ん? 学校の近くの本屋に売ってあるけど?」
「え?」
 そ、そうなのか。近くの本屋に──ふ、ふーん……? い、いや、興味なんか無いけど。
「というか、何で知ってるんだ?」
「何でって──知りたい?」
「いや、やっぱりいい……」
 大体想像出来るからな。

 暫くの間、私は由利と談笑していた。
 彼女の話し方、仕草、笑み。どれをとっても人間らしく、偽物には見えない。
 ──そろそろ、試してみるか……。
「あ、あの……さ」
 私は口を開いた。緊張で少し声が震える。
「んい? どーしたの?」
「いや、その……」
 確かめなくてはならない。由利が、皆と同じなのか、それとも私と同じなのか……。
「………………服、脱いでくれないか?」
 瞬間、由利の笑顔が固まった。
「──はい?」
「あっ、その、えっと……アレなんだ! 上半身だけで良いんだ!」
 何の言い訳にもなっていない気がするが、この際背に腹は変えられない!
「え、えぇー!? みっみっみかりんって、女の子好きだったのー!?」
 由利は顔を赤くし、口をわなわなと震わせていた。いかん、あらぬ誤解をされている。いや、でも仕方無いんだ。もう誤解されても良い。
「……頼む。ちょっと確認するだけだから」
「確認!? ど、どうしよ……こういう時、私は一体どうすれば!?」
 尚も由利はうろたえていた。ッ! じれったい!
「すまん由利!」
 先に謝ってから、私はベッドに彼女を押し倒した。
「あ──」
 由利が小さく声を漏らす。桃色に染まった顔が目の前にあった。
「すまない、すまない……」
 謝罪の言葉を口にしつつ、私は彼女の上着を脱がしていく。彼女はもう、何も言わなかった。
 そして、上半身の下着を脱がした時。私は悟った。
 ──あぁ、やっぱり、私は一人なのか……。
 やや赤くなった乳白色の肌。控えめながらも形の良い胸。だが、そこは見るべきポイントではない。
 ちょうど心臓部分。そこに、赤黒い球体が埋めこまれていた。これこそ、彼女が人間ではない証拠。私は彼女を始めとした人間を模した奴らを機巧人間と呼んでいる。
 由利は尚も艶っぽい目で私を見ていた。でも、私は失意と絶望で目の前が真っ暗になっていて──

 ゴゥン……ゴゥン……。

「! 鐘の音!」
 しまった! まさかもうそんな時間になっていようとは!
 私はハッとして由利の目を見て──ゾクッとした。
 由利の目が、真っ黒だ。白目の部分まで黒く染まり、おぞましい目を私に向けている。
「帰……ラナキャ……」
 乱れた服を直しもせずに、由利は私を押しのけて立ちあがる。そのまま部屋を出ようと歩き出した。
「まっ、待て!」
 咄嗟に私は由利の肩を掴む。が、
「ヤメロ」
 バシッ! と、払われた。予想外に強い力で、私はそのまま尻餅をついてしまう。
 彼女はドアノブを捻り、強引に鍵を破壊する。そのまま、走っていった。
 私は慌てて立ち上がり、窓から外の様子を伺う。外には、人間とはとても思えないスピードで走る由利の後ろ姿が見えた。


 どうすれば、どうすればこの輪廻から抜け出せる……。
 学校にて。私は一人、空を眺めながら考えていた。
 時計台には24時間警備ロボットが巡回している。戦闘力は相当なもので、私ではまるで歯が立たない。武器も細剣しかないし。これを手に入れるだけでも相当苦労したものだ。
 ちなみに街は何十mあるのかという程の超巨大な壁で囲まれており、門も固く閉ざされていて、脱出は不可能だ。
 あの時計台に必ず何か秘密がある。まずは、時計台に侵入する方法を考えなくてはならない。
 ちらっと、教室の中を見た。いつもと変わらない喧噪の中で、一つだけいつもと違う点があった。
 すると、教室に担任がやって来た。号令をした後、SHRが始まる。担任は出欠を取った。
「ん? 近衛は休みか?」担任は不思議そうに言った。
 ……そう。由利が学校へ来ていない。
 機巧人間に風邪はおろか、そもそも病気など存在しないので、学校を休むなんていうのはありえない。この街に自動車などは存在しないので、交通事故という線も消える。
 もしや、私が不用意な事をしたから、誰かに消された……?
 例えば、毎日決まった時間に時計台の鐘を鳴らしている誰か、とか。
 必ず誰かがこの街を管理しているはずだ。その『誰か』が由利を?
 考えたくなかった。だが、それしか思い付かなかった。
 由利がいなくとも、SHRは恙なく進む。担任が連絡事項を全て伝え終わった時。
 ドンッ! 突然、爆音が響いた。
 音がした方向を見る。時計台付近から煙のようなものが上がっているのが確認出来た。
「!? 何が起こって……」
 と、その時だ。

 ゴゥン……ゴゥン……。

 時計台の鐘が街に響き渡る。
「どういう事だ! まだ朝だぞ!」
 思わず私は立ち上がっていた。そして教室内を見渡して──絶句した。
 担任を含めた全員の顔が、こちらを向いていた。昨日見た、あの真っ黒な目が私を捉える。
 ──何だ? 一体何が……?
 すると、皆が段々と私の方へ躙り寄ってきた。かと思うと、突然私に襲いかかってきた。
 事態の把握と取るべき行動に私が要した時間は一秒。その一秒の合間に、私の身体に数多の手が迫っていた。
 反射的にその手を払う。私は躊躇いもなく窓から飛び降りた。
 私の身体は空中に投げ出された。二階から地面に落下する。
 ──直前で受け身を取り、衝撃を殺した。そのまま走り出す。
 ちらっと振り返ると、クラスメート達が二階から落ちてきていた。当然ながら受け身なんて技術は持っておらず、ダメージが直に身体に伝わっている。
 近くにあった焼却炉を足場にして、学校の塀に乗る。更にその塀も足場にし、近くの建物のベランダに飛び移った。
 そのままジャンプし、屋根によじ登る。その後、振り返りもせずに時計台に向かって走った。
 後ろから足音は聞こえない。やはり逃走を図るなら屋根を伝っていくのが一番だ。
 と、思っていると。
 ふと、視界の脇に何かが映った。
 ……え? あれ、自動販売──ッ!
 本能が激しく警鐘を鳴らした。咄嗟の判断で、私はスライディングの要領で屋上に滑る。
 直後、風切り音と共に、頭上を大きな何かが通りすぎて行った。
 来た方向を見る。そこにはこちらを睨みつけながら、大きな木を根っこから引っこ抜き、投擲のモーションに入っている機巧人間の姿があった。
 慌てて私は立ち上がり、走る。走る。走る。跳んで転がりよじ登って駆ける。
 時計台まで後少し。自然と足が速くなった。
 と、目の前に何かが立ち塞がった。私は足を止める。女型の機巧人間だった。どうやらジャンプして屋根の上まで登ってきたらしい。さすが、馬鹿力を持っているだけはある。
「くそ……ッ」
 やむなく、私は体術の構えを取る。時計台の警備ロボット級の戦闘力を持っていれば、勝ち目は無い。それに今は細剣を持っていない。正直、かなり厳しい。
 機巧人間が少し身体を前屈みにさせた。突っこんでくる。
 だが、機巧人間がこちらに突進する事は無かった。何故なら、彼女は吹き飛ばされたから。
「いっけないんだー、学校サボッて。先生に言っちゃうよ?」
 そこにいたのは、由利だった。制服をはためかせ、私に笑顔を見せる。片手には
「どうして……」
 由利が機巧人間である事は昨日確認した。あの時計台の鐘の音には逆らえないはずなのに。
「──本当はね、皆分かってるんだ」
 地面に横たわる警備ロボット。全部、一人でやったのか。
 由利は少し、儚げな笑みを見せた。
「私達の正体も、役割も、何もかも、自覚してるんだよ」
 突然、由利が左手を横に向けた。直後、その左手が飛んできたワゴンらしきものを受け止める。由利は、その笑みを崩さない。
「毎日毎日同じ事の繰り返し。それで、良いと思ってたんだ。あの鐘の音を聞いた瞬間、力が抜けて、何だか全てがどうでもよくなっちゃうの。毎日それが続いたら──分かるでしょ? 逆らおうなんて気にはならないよ」
 時計台からは煙が立ち籠めていた。よく見ると、大きな穴が開けられている。入り口を作ってくれたのだろうか。
「でも、みかりんは違ったよね。無駄なのに、諦めないで立ち向かって。昨日、確かめようとしてたんでしょ? 私が人間なのかどうか」
 由利の問いかけに、私は無言という返答をする。
「凄く、必死なのが伝わってきた。あぁ、私と違ってみかりんは、現状には満足していないんだ。高みを目指してるんだ。──それが分かったら、何だか応援したくなっちゃって」
「それで、こんな事を」
 こくりと、由利は頷いた。
「警備ロボットは粗方倒したから、後はコレで頑張って」
 由利は持っていたケースを開けた。中には、アサルトライフルが。
「どこでこんな物を?」
「この街を作ったのはあくまで人間。そしてこれは、人間達が最後の希望として残した、対私達の秘密兵器、ってトコかな」
「由利、お前は何者」
「私は」由利は私の言葉を遮った。
「──私は近衛由利。みかりんの友達。そうでしょ?」
 今にも泣き出してしまいそうなくらい、儚い笑顔だった。
 確かに、そうだな。
 機巧人間だとかそういうのじゃなくて。
 ──由利は、由利なんだ。
 彼女からアサルトライフルを受け取り、私は彼女の横を通りすぎた。
「結着、つけてくる」
「うん。行ってらっしゃい」
 そう言葉を交わして。


「はぁ……はぁ……はぁ……ッ」
 時計台内部は予想以上に敵が多かった。既に制服はボロボロで、息は荒い。
 口の中に血が溜まったので、吐いた。口内が切れているらしかった。
【──】
 突然、後ろからロボットが襲いかかってきた。冷静にサイドステップで避け、引き金を引く。銃口から弾丸──ではなく、レーザーが発射された。
 ロボットの胴体を貫く。ロボットの動きが停止し、そのまま前のめりに倒れた。やけに呆気ない。
 その様子を一瞥すると、私はそのまま歩き続ける。
 ふと、目の前に梯子を見付けた。私はそれに手を掛ける。
 カツン、カツンと、音が響く。はやる気持ちを抑えられず、足が何度か梯子にかからず空回った。
 梯子を登り、少し広い場所に出た。大きな歯車が壁に備えつけられ、ゆっくりと回っていた。あぁ、ここはあの大きな時計の裏側なんだ。
「よく来たわね」と声がした。それは、とても聞き慣れた声で。朝、聞いたばっかりの声で。
 ハッとして、振り返った。
「少しタイミングが早いけど、まぁ仕方無いかしら」
 そこにいたのは。
「母……さん……?」
 紛れもなく、私の母だった。


「そうね、母さんね。血は繋がってないけれど」
 そりゃあそうだ。彼女は人間ではないのだから。
「どうして、ここに……?」
 何故ここにいるのか、その理由を尋ねた。そんなの、少し考えれば分かる事だろうけど、私には、分からなくて。
「……」
 母は少し黙って、やがて口を開いた。
「私が、美香、あなたに真実を教える役目だから」
 その声からは、おおよそ感情めいたものは見受けられなかった。
「この街はね。美香を守る要塞なのよ」
「は? 要塞……?」
 鸚鵡おうむ返しに私は尋ねた。
 母は壁に触れる。すると、触れた場所が光り、かと思うとその壁が横に動きだした。
 その壁の後ろには、沢山のモニターが。隠し扉ではないけれど、まぁそんな感じか。
 突然、それらのモニターが点いた。映像が流れる。
「これは、世界各地に存在する『時計台』からの映像よ」
 母はそう説明した。画面には沢山の人間らしき者達が映っている。
「人間……?」
「違うわ」母はかぶりを振った。
「全部、偽物よ。私と同じ、ね」
 ふふっと、母は笑った。何故だか悪寒がした。
「彼らを作ったのは人間よ。最高のAIを積んで、最新のテクノロジーを駆使して完成された彼らは、最初は人間に従順だったの」
 でもね。と、母は話を続ける。
「彼らは賢すぎた。自分で自分のAIをハッキングして、人間の命令に絶対服従させるプログラムを解除してしまった。作った人間ですら解除出来ないレベルの万全なセキュリティだったのに」
 母はただじっとモニターを眺めていた。私も続いてモニターを見る。画面い映る偽物は、本物と見分けがつかない。
「そして、彼らは人間を排除しはじめた。それだけの力を持っていたからね。自分達で新たにロボットを作り、どんどん数を増やして。まるでゴキブリみたいね」
 嘲るように、母は言った。
「それで、人間達はやられたのか」
「そうよ。負けたわ」
「なら、私は……?」
 何故、私は生きているのか。何故、この街に一人、取り残されているのか。
「あのね。人間達も馬鹿じゃなかったし、何も無抵抗のままやられた訳ではないのよ。それでも、勝てないと分かったから、彼らは何人か人間を別の世界に隔離する事に決めた」
 それが、この街よ。母はそう言った。
「本当はこの街にも百人くらい人間が住むはずだったんだけど、途中で偽物達に攻撃を受けたらしくてね。無事辿り着けたのは、美香だけだったという訳よ」
「そんなの……知らない。私は、知らないぞ!」
「忘れているだけよ。あまりにもショッキングな記憶だったから、心を守る為に、本能的に記憶を失ったのでしょうね。防衛機制における逃避ね」
 都合の悪い記憶を無意識下の内に忘れてしまう事。だから、私は忘れていた……?
「じゃあ、母さんは!? 由利は!? 皆は、何者なの!?」
 今の話が本当なら、私はとっくに殺されている。なのに、生きてる。
「私達はね。彼らよりも後に作られたの」
 モニターを見ながら母は言った。
「彼らをベースとしながらも、とある改良を加えたロボット。言わば、第二世代」
「改良? 第二世代?」
「そうよ。私達は、人間達から最後の希望を託された者」
 母は言い切った。その目には、確かな意思が宿っているように見えた。
「私達はね、あの偽物達とは明らかに違うものを持ってるの。──『良心』よ」
「良心……?」
「えぇ。人間基準で物事を図り、良い悪いの判断ができ、同情出来る、良心を持ってる」

「ただ心があるというだけじゃ、人間にはなれないのよ」

 成程と思った。その通りだと思った。殺人鬼にだって心はある。
「私達はその良心を持っている。基本的にこの鐘の音には逆らえないけれど、美香が覚悟を決めれば、皆あなたに同情し、ついてくる。だから、由利ちゃんは戦ったのよ。私達を作った人間は、それを想定して武器を隠しておいたり、わざと由利ちゃんを始めとした日常生活を送る私達よりも警備ロボットの戦闘力を落としたの」
 疑問が解けた。そもそもの話、何で由利が警備ロボットに勝てたのかが不思議だったのだ。
「──で、どうするの」母は唐突に言った。
「何を」
「この世界にはまだ、こういう街が存在するわ。生き残っている数少ない他の人間に、会いたいとは思わない?」
 他の人間……。私は小さな声で反復した。
「美香の境遇は、十分に同情に値するわ。あなたが決断すれば、この街の住人は皆あなたに同情し、協力してくれるはず。……どうする?」
 提案という形で母は言った。でも、母が求めている答えはきっと一つ。
「──行くよ。こんな、毎日同じ事の繰り返しなんて、そんな生活なはもう飽きた。協力して欲しい」 
 そう言うと、母は嬉しそうに、微笑んだ。
「ええ……喜んで」

碧空澄
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碧空澄

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