「二人の距離」

「二人の距離」



「はい。…ええ。じゃあ17時くらいに伺うんで!
 うーんと可愛くしちゃってください!
 …はい、じゃあ、よろしくお願いしまーす。」

太陽がてっぺんに昇る昼過ぎ。
優樹は電話をしながらリビングへと入ってきた。
彼方と京子は、向かい合ってソファーに座ってテレビを見ていた。

優樹は通話を切って、京子の隣に座る。
そして、携帯画面を見つめながら、口を開く。

「彼方ー、今から買い物付き合えよー。」

優樹はメールをしているのか、何かを検索しているのか、
スマートフォンの画面の上で指を踊らせる。

「いいですけど、どこいくんですか?」

こうして優樹が彼方や誠を誘って、買い物へ行くのはいつものことだ。
寂しがりなのか、あまり一人では出歩こうとしない。

「うーん、どーこがいいかなあ。」

彼方が聞くと、優樹は顎に手を添えて、考えるように首を傾げる。
どちらかと言えば、優樹の買い物は早い。
いつもは買うものを決めて、買う店を決めてから外出するため、
こうして、優樹が悩む様子は珍しい。

「お兄ちゃん、私は?」

悩む優樹の顔を覗き込んで、京子は問う。
思えば、優樹と京子が一緒に外出することは、少なかった。
妹と出かけるのは恥ずかしいのか、優樹の隣は、彼方か誠ばかりだった。

「京子はダメ。家にいなさい。」

優樹はスマートフォンの画面を見つめたまま、顔を上げずに答える。

「えー、いつも誠さんとか、彼方さんばっかりじゃない!ずるーい!」

京子は唇を尖らせて、拗ねるような仕草を見せる。
それは、いつもの彼方に見せるクールで澄ました表情じゃない。
優樹の前でだけ、「妹」としての素直な顔を見せる。

「ズルくない。」

拗ねる京子をよそに、優樹はスマートフォンを操作し続ける。
メールを打っているのか、優樹の指は、忙しく動いていた。

「…じゃあ、私も友達と遊びに行こうかな。」

京子はそっぽを向いて、自分の携帯を取り出す。
そして不貞腐れたように、乱暴に携帯電話を操作しだした。

眉間に皺を寄せて、不機嫌そうに唇を尖らせる。
優樹に構ってもらえないと、こうして京子は機嫌が悪くなる。
まるで子供のようだ。
そんな京子の仕草に、優樹は顔を上げた。

「それはダメだ!」

そう言って、優樹は京子の手から携帯電話を取り上げる。

「あ、ちょっと…!」

そのまま優樹は立ち上がって、京子の携帯を掲げて、
茶化すように、芝居がかった口調で言う。

「俺の勘では、今日は外出したら、空からクジラが降ってくる!」

わけのわからない優樹の言葉に、京子は呆れてため息を吐く。

「なにそれ…。」

機嫌が悪くなりながら、呆れながら、
なんだかんだ言って京子は優樹に逆らえない。
惚れた弱みとでも言うのか、京子は頬を膨らませながらも、優樹に従う。

「とにかく、京子は家で大人しくしてなさい!」

その言葉に、京子は恨めしそうに彼方を睨んだ。




優樹に連れて来られたのは、駅前のショッピングモールだった。
夏休みということもあって、学生や親子連れがたくさん買い物に訪れていた。
彼方は「知り合いに会わないといいな」と、思いながらも、
今日は仕事着のスーツじゃなく、私服だから、
知り合いに会っても、適当に誤魔化せばいいだろう、と考えていた。

「あ、今日は店休みにするから。お客さんとの約束、全部断っとけよ。」

優樹は歩きながら呟く。

「え?なんでそんな、いきなり…。」

優樹の言葉に、彼方は戸惑う。

今日は土曜日だ。
一番忙しくて売り上げが上がる日なのに、急に休みにされては困る。
客との同伴や、アフターの約束も入っているのに。

優樹は気にする様子もなく、言葉を続ける。

「今日は花火大会だろ?」

そういえば、そんなポスターをどこかで見た気がする。
周りを見れば、浴衣を着た女性がちらほらと見えた。
おそらく、この後にある花火大会に行くのだろう。

「そして、偶然にも明日が京子の誕生日だ。」

優樹はニッコリと微笑む。

そんなこと、初めて聞いた。
だから家を出る時、いつもより京子の機嫌が悪かったのか。
優樹もなんだかんだ言って、過保護なくらい京子のことを想っている。
京子を置いてきたのは、きっとサプライズでもするつもりだったからだろう。

「お祝いするんですか?」

彼方がそう聞くと、優樹は頷く。

「おう。とりあえずプレゼント買いに行って、ケーキ予約して、
 花も注文しとかないといけないし…。あと御馳走も用意しないとな!」

優樹はそう言いながら、用意するものを指折り数える。
そして、後ろを歩く彼方に振り返って、微笑んだ。

「それに、お前も最近ちょっと元気なかっただろ?」

「え…?」

優樹の言葉に、彼方は驚いたようにポカンと口を開けて、立ち止まる。

自分は、上手くやれていたはずだ。
上手に笑って、年齢も、発作も、日向への想いも隠して、
ちゃんと、やれていたはずだ。

驚いた表情の彼方に、構うことなく優樹は言葉を続ける。

「ずっと見てたら、俺だって気付くさ。
 だから、今日は仕事休んで、思いっきり遊ぶぞ!」

そう言って、優樹は笑顔を見せる。
無邪気で、自由で、純真な笑顔。
そんな優樹が、キラキラと輝いて見えた。




「なー、彼方はどんなのがいいと思う?」

そう言いながら、優樹は女性ものの浴衣売り場の商品を物色する。

「…って、優樹さん、よく一人でそんなところに入れますね…。」

彼方は浴衣売り場から少し離れたところから、優樹に声を掛ける。
当然だが、この浴衣売り場には、
これから花火大会に行くであろう女性達が、浴衣を選んでいる。
周りは女性だらけで、いや、女性しかいなくて、
とても男同士で入れるような雰囲気ではない。
売り場の女性たちは、不審人物を見るような目で、優樹のことを遠巻きに見ている。
そんな周りの視線が痛い中、優樹は平然とした顔で京子への浴衣を選んでいた。

「はー?別に、これくらい普通だろ?
 …本当は水着でも買ってやろうかと思ったんだけどさー、
 さすがに、女性ものの水着売り場に入る勇気はなくてよー。」

確かに、水着売り場の方が入りづらい。
男同士で女性ものの水着売り場になんていたら、軽く事件だ。
しかし、この浴衣売り場もそんなに変わらない気がする。

「それなら京子ちゃんを連れてきてあげて、
 自分で選んでもらったらよかったじゃないですかー。」

彼方は呆れながら、ため息を吐く。

「ばーか。それじゃあサプライズにならないだろー?」

優樹は唇を尖らせて、そう言う。
そんな仕草が、少し京子に似ているような気がした。

「…それはそうですけど、
 京子ちゃんは、優樹さんがいないと、機嫌が悪くなるんですよ…。」

彼方は肩を落とす。
きっと、帰ったら絶対京子は拗ねている。
そして八つ当たりされるのは、いつも自分だ。

「へー。あいつもまだまだガキだなあ。」

そう言いながら、優樹は浴衣を物色し続ける。
まるで他人事のようだ。
まあ実際、京子が八つ当たりすることなんてないのだから、当然だろう。

優樹は売り場を右往左往とうろうろして、様々な浴衣を見ていた。
そして、一着の浴衣を手に取って、彼方に見せる。

「お、こんなのどうだ?」

そう言って優樹が手に取ったのは、派手なピンクの浴衣。
大きな花柄が、少ししつこいくらいだった。

「それはちょっと…京子ちゃんのイメージじゃないと思いますけど…。」

彼方は嫌々ながら優樹の隣に寄り、その浴衣をじっと見つめる。
しつこいくらいの派手さが、少し子供っぽく見えた。

「そうかー?じゃあ彼方はどんなのがいいと思う?」

優樹は少し不満そうに問う。

「え?僕ですか?」

彼方は売り場の浴衣を、ゆっくりと眺める。
ピンクや赤、黄色、オレンジなど様々な色の浴衣が並ぶ。
けれど、京子に似合うのは、派手なものよりも、
落ち着いた色合いのものの方がいいと彼方は思った。

「うーん…京子ちゃんは可愛い系よりも、なんかもっとこう…
 あ!こんなのどうですか?」

そう言って彼方が手に取ったのは、
黒を基調としている、赤い花が控えめに描かれたものだった。

「えー?それはちょっと大人っぽすぎねえ?」

優樹は顎に手を添えて、考えるように言う。

「京子ちゃんは、もともと大人っぽいし、
 こういうシンプルなのがいいと思いますけど。」

京子は同世代の女子に比べれば、クールで大人っぽい。
とてもピンクや派手な色は似合わないと彼方は思った。

「へー、お前には京子がそう見えるのか。あ、じゃあこれは!?」

そう言って、次に優樹が手にしたのは、
先程よりも派手な柄の、ピンクの浴衣だった。
優樹は話を聞いていないのか、それともただ単にピンクが好きなのだろうか。

「いや…それならこっちの方がいいですよ。」

彼方は、大人っぽい白を基調とした金魚柄の浴衣を、優樹に見せる。

「いーや、こっちだね!」

優樹は、もう何色を基調としているかもわからないくらい派手な、
カラフルな花だらけの浴衣を取り出す。

「だから、京子ちゃんはもっと大人しい色の方が…。」

「じゃあこっちだな!」

人の話を聞かずに、優樹が次々と手に取るのは、
全て、目に痛いくらい派手な色や柄のものだった。

「ああ、もう…。」

彼方は頭を抱えて、ため息を吐いた。
優樹が自分の話を聞いていないのは明らかだ。



「やべ!もうこんな時間だ。」

優樹は携帯電話で時刻を見て、慌てた素振りを見せる。
あんなに浴衣売り場に入るのを恥ずかしがっていたのに、
いつの間にか、二人とも浴衣を選ぶのに夢中になっていて、時刻は16時だった。
浴衣に帯、髪飾りに草履と、一通りのものは買った。
全て優樹が独断で選んだ派手なものだが。

「彼方、家の近くのSEVENっていう美容室わかるか?」

「あのコンビニの横の…?」

優樹のマンションの近くのコンビニの横の美容室SEVEN。
目立つ大きな看板だったから、記憶にある。

「ああ。予約はしてあるから、これ持って、京子連れて、
 着付けとセットしてもらってきて。俺まだ買い物しないといけないから。」

そう言って、優樹は購入した浴衣などが入っている大きな紙袋を、彼方に押し付ける。
てっきり優樹から京子に渡すものだと思っていたが、
浴衣選びに夢中になっていて、そういえばケーキや花をまだ買っていない。
美容院の予約の時間も差し迫っているようだから、買い物は優樹に任せることにした。
京子に八つ当たりされないといいな、と思いながら、
優樹の指示通り、彼方は優樹のマンションに向かった。



「ただいまー。」

優樹のマンションに帰り、彼方がリビングに姿を見せると、
京子は不機嫌そうに、ため息を吐いた。

「なんだ。彼方さんですか。」

優樹がいないことを確認すると、京子はテレビの方に視線を映して、
彼方の方を見ずに、棘のある言葉を吐く。

「よかったですね。お兄ちゃんに買い物連れて行ってもらえて。」

優樹の言いつけ通り、家にいたようだが、相当機嫌が悪いみたいだ。
彼方はため息を吐いて、京子をたしなめるように言う。

「やっぱり拗ねてた…。もー、今から出かけるよ。用意して。」

「なんで彼方さんと、出かけなきゃならないんですか。」

京子は唇を尖らせたまま、吐き捨てるように刺々しい言葉を洩らす。
テレビを見つめたまま、不機嫌に答える京子に、
彼方は肩を落として、呟く。

「僕だって不本意だけど、優樹さんにお願いされたんだよ。」

優樹の名前に、京子はチラリと彼方の方を見る。

「お兄ちゃんに?」

「うん、今日花火大会でしょ?」

「…花火、お兄ちゃんも来るんですか?」

京子は彼方をじーっと見つめて、窺うように問う。
心なしか、その瞳は、少し嬉しそうに、期待を含んだようだった。

「うん。優樹さんは、まだ買い物してるけど、花火までには戻ってくるよ。」

いつもクールで澄ました顔が、優樹の行動一つ一つで、容易く崩れる。
そうやって、いつも素直に嬉しそうにしていれば可愛いのに、と彼方は思う。

「…着替えてきます。」

平静を取り繕って、京子は静かに立ち上がる。
優樹も来ると聞いて、着飾るつもりだろうか。
けれど、彼方の手には、先程優樹と選んだ浴衣が入っている大きな紙袋が握られていた。

「ああ、別にそのままの格好でもいいよ。どうせ脱がなきゃいけないし。」

そうだ。どうせ、優樹の選んだ浴衣に着替えなければならないのだから、
今着飾ったって仕方がない。

「はあ!?何言ってるんですか!」

京子は顔を真っ赤にして、怒ったように眉間に皺を寄せる。
言い方に誤解があったようだ。

「あ、いや、変な意味じゃないよ。浴衣、着るでしょ?」

彼方は手をヒラヒラと左右に降り、否定する。

「別に、浴衣なんて着なくても…。」

京子は呆れたように、目を逸らしてため息を吐く。
確かに、イベントごとではしゃぐのは、京子の性格じゃない。

「もー、そんなこと言わないで。
 せっかく優樹さんが、京子ちゃんに浴衣選んでくれたのに。」

溜息を吐いて、彼方は手に持った紙袋を京子に差し出す。

「え…?お兄ちゃんが…?」

兄の名前を聞いて、京子は嬉しそうな顔をして、彼方から紙袋を受け取る。
しかし、紙袋を覗いた京子は、茫然とした表情を見せた。

「…なにこれ…。」

麻丸。
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麻丸。

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