~龍の祠・⑤~

『人間を招いた……いやまず、ここにのこのことやってきたことなんてのは、封印されてからの数百年間で一度もなかったな。カカカ、光栄に思えよ小娘。この炎龍に祠の深淵へと招かれた人間は、お前が初めてだ』

 目を細め、ドラゴンは呵々と哄笑する。
 その声は閉鎖されたこの場所で何度も反響し、私の足元から頭の天辺に至るまでの全てを強く揺さぶった。
 巨大な蛇に似たその口から吐き出される生暖かい吐息……ただ息を吐いただけだというのに私のローブが大きくたなびくほどの風が、私の全身をなめる。
 その吐息に混じった、肉を完全に炭化するまで燃やし尽したような臭気が鼻をつく。普段の私ならば不快さを感じて顔を顰めるところだろうが、今の私はそんなことなど全く気にもならないほどの戦慄を覚えていた。

(これが……ドラゴン……)

 鋭く尖った幾つもの牙が、己が身を食いちぎる光景。
 巨躯を支えるその足に踏みつけられ、あっさりと潰されてしまう光景。
 その口から吹き出でる、灼熱の業火に身を焼かれる光景。
 その黄色い双眼と目を合わせているだけで、幾つもの『死』の光景が脳裏を走り、私の心に恐怖と絶望を与えようとする。
 首を持ち上げたなら、仰がなければ全貌が見えないであろうその巨躯から放たれる壮絶な威圧感は、隙あらば私を跪かせようとしていた。並の者では対面するだけで戦意を喪失してしまうであろうそれは、重圧のように私にのしかかってくる。
 心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚えながらも、表面上は努めて平静を保とうとした。
 だが、そんな私の内面を見透かしたかのように、目の前の巨獣は鼻で笑う。

『もっと怯えた様子を見せてくれてもいいってのに可愛げがないな。もっとも、騎士ともあろう者が泣きっ面見せちまうのもどうかと思うがな』
「……何もかもお見通しというわけか」
『こちとらドラゴンなんでな。ここまで近づかれりゃあ、肉のない精霊はともかく、人間如きの感情の機微なんてのは耳で手に取るようにわかる。まぁ安心しろ、取って食おうなんてしやしないさ。したくてもこんな成りじゃ、出来っこないからな』

 ギチギチ、ガチガチッ。と金属同士の擦れ合う音が、目の前の巨獣が揺れ動くたびに暗い洞穴内に響く。
 闇に紛れて見えなかったが、目を凝らしてみると胴体に分厚く太い鎖が幾重にも巻き付いているのが見えた。
向こう側が見えないため定かではないが、その鎖は地面に、壁に、天井へと繋がっているらしい。暗闇の向こうから伸びるそれはまるで、巨獣をこの空間から逃がさぬよう施された闇の呪縛だ。
加えてその手足と胸部、尾には長大な槍が突き刺さり、四肢が地面に縫い付けられている。
さすがに長い年月が経っているため血こそ流れ出ないものの、見るからに痛々しいその光景を目にするのはいい心地がしなかったが……ふと私は、胸部の槍が微細に振動していることに気が付いた。
揺れは小さなものだが、規則正しい速さで繰り返されていて、止む気配がない。
なぜそんなにもひっきりなしに震えているのかと私は疑問に思ったが……槍が貫いている肉体の箇所を見て、ある考えが脳裏をよぎる。

「おい……まさかその胸に刺さっている槍……」
『ああその通り。俺の心臓を見事に貫いているのさ、この槍は。刺さってる分には栓になってるんで問題ないが、引っこ抜きゃそこから血が噴き出て、いずれ俺は死んじまうだろうよ』

 私が投げかけようとした問いに、ドラゴンは平然とした調子で答えた。
 本人……いや、本龍は至極当然というように述べているが、私からしてみれば唖然としてしまうばかりだ。
心臓に穴を開けられても死ぬことはおろか、こうしてがんじがらめにしなければ封印することすらできぬドラゴンの力。そしてそのままの状態で放置されようとも、今の今まで生きながらえる驚異的な生命力。
何もかもが、私の知っている魔物たちとは桁違いすぎる。
 驚愕で開いた口が塞がらない私のことなど無視して、ドラゴンは言葉を続けた。

『ま、こいつはまだいいさ。普通ならほっときゃ治るもんなんだが……一番厄介なのはこれだな』

 唐突にドラゴンは、私に何かを見せつけるように首を持ち上げた。
すると、顎下の箇所に何やら大きな鉱石らしきものが埋め込まれているのが見えるようになる。それはドラゴンの真紅と相反した、一碧の輝きを放つ結晶。
 結晶の中は透き通るほど透明で、水面のように波打っている。
私の知るものとはかけ離れた巨大さだが、まさかあれは水の精霊の加護を受けた精霊石……水晶石(すいしょうせき)か?
 しかもその水晶石(すいしょうせき)が埋め込まれている位置には、心当たりがあった。
それは、決して触れてはならないとされている部位。人を積極的に襲うどう猛さがないドラゴンであったとしても、そこに指一本でも触れてしまえば即座に殺されてしまうとされる場所。
 しかし、それと同時に……傷つけてしまえば、ドラゴンの生命を脅かしてしまうということでも、あまりにも有名な箇所。

「……逆鱗に、水晶石(すいしょうせき)の封印を施されているのか?」
『当たりだ。おかげで炎の魔導が一切使えないのさ。暴れれば死ぬ、魔導も使えねぇとくりゃあ、さすがにどうしようもない』

 ドラゴンの顎下にあると言われる鱗。
 名前の通り他のものとは逆に貼りつけられているその鱗は、ドラゴンが死守しなければならない最大の弱点であった。
 逆鱗の直下は、彼らの魔導の源たる精霊の核が存在する場所。そこを傷つけられてしまうと、彼らが内包した精霊の力は消え去り、魔導は一切使えなくなってしまうのである。いや、それだけでなく生命そのものに大きな痛手を受けることとなるのだ。
 精霊と共存する関係を築き進化してきたドラゴンの体内活動は、その多くが精霊との相互作用によって成り立っている。精霊という支えがなくなったその途端、ドラゴンはまともな生命維持活動すらできなくなり、たちどころに死に至る。
 それゆえに、ドラゴンは何をしてでも精霊の核を守らなければならない。攻撃された時のために最も硬い逆鱗で覆い、触れる者はもちろん、近づく者もいれば即刻始末するのだ。
 まさにドラゴンにとって命そのものと言っても過言ではないため、ドラゴンの逆鱗は〝第二の心臓〟と揶揄されることもある。
 ――そんな場所に水晶石(すいしょうせき)の封印を施されては、その身に宿した炎の精霊が弱ってしまう。如何にドラゴンといえども弱体化は免れないだろう。
 四肢をその地に縛り付ける鎖と、その心臓に穿たれた槍。
 精霊を封じ、魔導と巨獣の肉体そのものを弱らせる水晶石(すいしょうせき)。
 これほど厳重なものならば、例え最強の魔獣と名高いドラゴンであっても封印を自力で解くことは難しい。現に、こうして目の前の炎龍は洞穴に束縛されたままだ。
 ドラゴンは頭を下げて再び私と視線を合わせると、口を開く。

『まぁこんなわけで、そっちに行くことも出来ないからこっちに赴いてもらったってわけだ。来てもらって早速だが……ちと頼みがある』

 ドラゴンが投げかけた言葉に、私は首をかしげて訊ね返す。

「なんだ? その封印からお前を解放してほしいなどと言うつもりか?」
『ハハッ、いいね。騎士様ならこんな封印から俺を解き放つことなんてお手のものだろうしな。それに仏の騎士なら独の国の奴らが死んでも別に構わない、逆に敵が死んで万々歳ってわけだ。悪くない取引になりそうだな、どうだ?』

 嘲笑するように、ドラゴンは私の言葉を受けて口角を吊り上げる。
 ――ただ私の存在を『仏の騎士』という『集団の個』として捉えるならば、こいつの言うことも強ち間違いではない。
 今でこそ着々と友好関係を築き上げてきているものの、独の国など仏の国すれば昔から戦争を行ってきた敵国でしかない。さんざん煮え湯を飲まされてきた相手に一杯喰わせてやれるというわけだ。
 こちらから条件を出してやれば、きっと私がドラゴンを解放したということすら漏らすことなく、存分に暴れ回ってくれることだろう。いったい誰の仕業でこんな大災害が起きたか誰も知ることはない。ただ判明するのは、『ドラゴンが何者かの手によって復活し、独の国が危機に瀕している』ということだけ。
 ここで仏の国が、『ドラゴンという災害から友国を守る』という大義名分で入り込むことが出来れば……仏は独に対し、優位に立つことができる。
 そのように手引きした私は仏の国に名乗り出れば……名誉と称賛を浴びることとなるだろうな。当然。
 ――悪くない。確かに悪くない取引だな。

「……そうか、なら首をこっちに伸ばせ。お望み通り斬ってやるよその水晶石(すいしょうせき)」

 思わず私はくっくっと微笑する。
どうせ相手はドラゴンだ、感情の機微が手に取るようにわかるなら、思考もとっくに見破られていることだろう。
 隠すことなく伝えてやろう。私が感じたままに、思ったままに。

「――お前の首と、逆鱗ごとな。ドラゴンの遺骸から手に入れたものなら、帰国した際のいい手土産になる」


陸海空人
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陸海空人

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