~取引・①~

 痛々しいほどの沈黙。きっと形容するならば、そんな言葉だと思う。
 誰もが口を開くことなく、『死神』という名を呟いたナギお姉ちゃんの方へと注意を向けたまま、動かない。
 わたしの肌の上に、まるで見えない小さな針が無数に突き刺さっているみたいに、チクチクと痛い。お腹の中に重い何かが沈みこんだみたいに、呼吸をするのが苦しかった。
 どうして? と訊かれたなら……それは、ナギお姉ちゃんがとっても怖い顔をしているからだとしか言えない。
 あの森の中で、エールケニッヒと対峙したとき……真っ白な人の話を耳にしたときと同じ、修羅の形相。
 黒い瞳からは温かさが消え、代わってどこまでも冷たく凍てついた深い闇だけがそこにある。人間のものとは思えぬほどの怒りと憎しみを露わにした、鬼の顔を……お姉ちゃんはまた浮かべていた。

「……お前さん、気は確かか?」

 そんな静寂を破ったのは、ナギお姉ちゃんの正気を疑う店主さんの問いかけ。
 でもそれは、さっきまでの喧嘩腰で挑発的な口調ではなく、ナギお姉ちゃんの言葉の真意を問う真剣なものだった。
 それに対してナギお姉ちゃんは何も応えることなく、無言で佇んだまま。
 『嘘偽りではない』と、態度から言外に伝えているかのよう。店主さんもそのように受け取ったのか悩むように腕組みし、他の客やティアお姉ちゃん……馬車で一緒になったお兄ちゃんも、口を閉ざして成り行きを見守っている。
 みんながそうして固まってしまうのもわかる。ナギお姉ちゃんが行方を捜す人……それは、この世界では知らない人こそ少ない、とっても有名な人だったから。
 お伽噺のような、伝説のような存在として。

『死神』。神出鬼没にして、この世で最悪の災厄。
 それは数百年前から語り継がれてきた一人の人間……月ごとに百の命を捧げることを条件に、全ての苦痛から持ち主を解放するという妖刀『景美(かげよし)』を持つと言われる者のあだ名だった。
時に傭兵として幾つもの戦場に出没し、敵味方区別なく多くの者達を殺し。時に民間に紛れ、ひっそりと命を奪う。
 現れれば殺戮の限りを尽し、全てが終われば嵐のように去っていく、まさに〝死神〟の名に相応しい所業の数々を遂げた人。
その正体は男とも女とも言われているけれど、真っ白な服装と真っ白な髪。そして、『景美(かげよし)』らしき刀を携えているという情報のみ。
……そういう理由と、そんな出鱈目な話を信じる人というのもなかなかいるはずもなく……誰かが悪戯で語った架空の人物だろうなんてことも言われている。
 ナギお姉ちゃんが行方を問うた人物。それは、いるかどうかもわからない、伝説の存在なのだ。
 普通の人がこんなことを口にしたならば、誰だって一笑して冷やかすか、馬鹿にするなと憤るかどちらかの反応を示すに違いない。実際、ナギお姉ちゃんが『死神』の情報を求めた最初の時は、乾いた笑い声が一部であがったものだった。
 でもそれも、一瞬で消えた。
 それを問うナギお姉ちゃんの声が。顔が。表情が。目が。
 全てが、恐ろしかったから。

「……何が目的だ?」
「答える必要はない。時間を無駄にしたくないんだ、そっちの要件をさっさと言え」

 店主から投げかけられた第二の質問を、ナギお姉ちゃんはバッサリ斬り捨てる。
 これ以上何も言うつもりはないという意思が今のお姉ちゃんの態度から見えており、それからは沈黙をしたまま口を開こうともしない。
 そんなナギお姉ちゃんが気に入らないのか店主さんは鼻を鳴らす。が、どうにもこれ以上は聞くことなどできないと諦めたのか、店の掲示板に貼られた依頼書を一枚取ると、それをペンとともにお姉ちゃんに手渡した。
 ナギお姉ちゃんは紙面にかかれた依頼内容を一瞥する。

「……討伐対象……〝ドラゴン〟?」

 ボソリと呟いた、ナギお姉ちゃんの疑問の声。
 それを聴衆が耳にした途端、その場にいた全員が色めき立つ。

「「ド、ドラゴン!?」」

 ものの見事に、わたしとティアお姉ちゃんの驚愕の叫びが重なる。
 わたし達が驚いてしまうのも至極当然のこと。ドラゴンとは『肉を持つ存在』の中でも最上位に君臨する魔物の王。一般人はおろか、訓練された一流の騎士であっても一匹を退治するのは困難を極めると言われている存在だった。
 山のように大きく、強靭な肉体。無尽蔵とすら思えるほどの、膨大な魔力(マナ)。数百、数千の年月を生き抜いて培われた、賢者の如き知恵と知識。
 様々な要素こそあれ、しかし何よりもドラゴンを強者たらしめているのは……その身体に内包する、『精霊』の力だ。
 どのような経緯を経てそうなったかは定かではないが、ドラゴンはその体内に『精霊』を宿しているのだ。水龍ならば水の精霊、炎龍ならば火の精霊、土龍ならば地の精霊……それらを身の内側に持つ彼らは、己が魔力(マナ)を喰らわせることで精霊と契約し、人間よりも遥かに優れた魔術を行使することが出来る。
 『肉を持つ者』でありながら、『肉を持たぬ者』たちが操る魔術を行使し、その圧倒的な火力で以て敵を圧倒する巨獣……それがドラゴンだ。

「ちょっと、何よそれ!? いくらなんでも、依頼の内容がメチャクチャじゃない!」

ティアお姉ちゃんは批判の声を上げる。
 お姉ちゃんの言う通り、これは人一人の情報……たとえそれが伝説級の人物であっても、理不尽なほどに法外な要求だ。
 魔導騎士であるナギお姉ちゃんが対峙したとしても、たった一人で挑んで勝ち目のある存在であるとは到底思えない。それは、当の本人であるナギお姉ちゃん自身もよく理解をしているはずだ。
 だというのに。お姉ちゃんはそんなことなどまるで気にも留めていないかのように、ただ依頼内容の紙面を繰り返し読んでいる。

「お姉ちゃん! こんなの受けちゃダメだよ、死んじゃうよ!」

 わたしはナギお姉ちゃんに、依頼を受けることを制止しようと呼びかける。
 するとお姉ちゃんはわたしの方へ振り向くと、柔らかな笑みを浮かべて応えた。

「大丈夫だよシャオ。今回のこの仕事、厳密に言うならばドラゴンの討伐じゃない」
「え?」

 ナギお姉ちゃんが口にした内容に、わたしは無意識に戸惑いの言葉を漏らした。
 〝ドラゴン〟が討伐対象なのに……討伐が、仕事じゃない?
 お姉ちゃんの言葉を理解することが出来ず、わたしの頭の中は疑問符が羅列して思考は混乱を極めた。
 それはティアお姉ちゃんも同じだったようで、彼女もわたしの隣で首をひねっている。

「それどういうこと? 討伐依頼なのに、討伐が目的じゃないの?」
「んー……まぁ、百聞は一見に如かず、かな」

 ナギお姉ちゃんはそう呟くと、手に持っていた書類をティアお姉ちゃんに渡す。受け取ったティアお姉ちゃんは書類に目を通すと、文面に書かれた内容を音読し始めた。

「『ここ最近、街道を通ってこの街へと戻っている最中に〝龍の祠〟でドラゴンらしき鳴き声が聞こえた。かつて祠に封印されたドラゴンが目覚めたのではないかと不安でたまらない。至急祠を詮索し、もしも解放されていたならば打ち倒してほしい』……なにこれ? 〝龍の祠〟?」

 どこか場所の名前らしきものを反復するティアお姉ちゃん。
 店主の人はその疑問に答えるように口を開く。

「昔、一匹の炎龍を閉じ込めたって言われてる祠のことさ。首都に繋がる街道の途中、そこから少し離れたところにあるんだが……さすがに封印されてるっつってもドラゴンがいるなんて場所に、好き好んで入っていくヤツがいるはずもねぇ」

 そんな死にたがりがいるわけでもねぇしな、と可笑しげに笑いながら店主さんは言葉を続ける。

「ところが、そっから最近ドラゴンみてぇな鳴き声が時々聞こえてくるんだと。調べようにも、もしもホントに封印が解放されてたなら確実にそいつは殺されちまう。そういうわけで誰も真相を掴むことが出来ないでいるのさ」
「そんなことなら、それこそ独の国の騎士に頼みこめばいいじゃない。ドラゴンなんて緊急事態、国が黙ってるはずが……」

 奇妙だと感じたティアお姉ちゃんが、店主さんに疑問を投げかけた。
 確かに、封印されたはずのドラゴンが解放されただなんて一大事、国が黙っているはずがない。申請こそすれば、すぐにでも国の騎士がこっちへとやってきてくれるはずだ。
 だけど、そんなティアお姉ちゃんの言葉をあざ笑うように店主さんは鼻で笑う。

「国の騎士だと? テメェの命が一番大事なヤツらがどうしてこんなところにまでわざわざドラゴン退治に来てくれるって言うのさ。それにこんなこと、国が許可なんぞ出すはずがねぇ」
「国が許可しない? どうして?」

 ますます納得がいかないように、ティアお姉ちゃんは首をかしげるばかり。わたしも店主さんがどうしてそんな風に断言するのかわからなくて唸る。
 店主さんはそんなわたし達を見てため息をつくと、口を開いて話し始める。

「この街は首都から離れてる上に、特産品なんかもありはしない。ただ旅人がやってくるのを迎える施設と、物資の流通経路になるだけ。付近にあるのはこれといったものも取れない森のみ……守ったって得になることは何もないわけだ。もしドラゴンが復活したなんて知られれば、国は迷うことなく俺たちを見捨てるさ」
「でもこの場所、国境付近じゃない! 他国に狙われでもしたら、そこから侵略されて……」
「なら聞こうかお嬢さん。他国の奴らはどうしてこんなところを狙う? さっきも言ったが資源も何もない場所、しかも近くにはドラゴンがいるときたもんだ。奪うにしてはうま味も何もない。むしろ、ドラゴンがいるせいで他国は下手に手出しが出来ないのさ。兵隊たちの犠牲を出して不満を買うより、とっとと斬り捨てて放置した方がよっぽどマシと思えるがね」
「……そんな……」

 店主さんの口から告げられたこと。それは独の国民でありながら国を信じない、邪推とも言えるような思考ではあるけれど……残酷なことに、合理的なものでもあった。
 絶望したようにティアお姉ちゃんは顔を青ざめ、絶句する。

「そういうこった。解決したい問題ではあったが、手だてが何もなかったんだ。このままじゃいずれ、俺たちは見捨てられる……そんなときに、ありがたいことにこの仏の騎士様はやってきてくれたみたいだがな」

 そう言いながら、チラと店主さんはナギお姉ちゃんを見ると、侮辱するように口角を吊り上げる。
 すると、酒場にいた全員の視線がナギお姉ちゃんに集まった。ある人はこの依頼を受けて解決してくれることを切望するような、ある人は店主さんと同じく受けるはずがないと侮蔑するような目線をそれぞれ送る。
 注目を一気に受けるナギお姉ちゃんは特に何の反応も示さない。決断するべく目を閉じて瞑想し、微塵もその場から動くことはなかった。

陸海空人
この作品の作者

陸海空人

作品目次
作者の作品一覧 クリエイターページ ツイート 違反報告
{"id":"nov141662993061277","category":["cat0001","cat0003","cat0005","cat0011","cat0012"],"title":"\u666f\u7f8e\u60b2\u5287\u8b5a","copy":"\u5996\u5200\u300e\u666f\u7f8e\u300f\u3002\u6708\u3054\u3068\u306b\u767e\u306e\u547d\u3092\u6367\u3052\u3064\u3065\u3051\u308c\u3070\u3001\u6301\u3064\u8005\u3092\u5168\u3066\u306e\u82e6\u3057\u307f\u304b\u3089\u89e3\u653e\u3059\u308b\u3068\u8a00\u308f\u308c\u308b\u9b54\u5263\u3002\n\u305d\u306e\u9b54\u5263\u3092\u6301\u3064\u8b0e\u306e\u4eba\u7269\u300e\u6b7b\u795e\u300f\u3092\u8ffd\u3046\u4e3b\u4eba\u516c\u3001\u30ca\u30ae\u306e\u5fa9\u8b90\u306e\u65c5\u304c\u59cb\u307e\u308b\uff01","color":"tomato"}