宵闇に紛れ、森を疾走する一人の男がいた。
 細長い包みを抱えて、ひたすら疾走る。
 背後から追走する追手を撒こうとしているのだが、そうは問屋がおろさない。
 鍛えられた肉体は、逃走を始めてから一刻が経過しているにも関わらず未だに疲労の色を見せない。
 肺活量も常人のそれではなく、半刻は潜水していられる。
 それに付いてくる追手も、正に常人ではない。

 こんな逃走劇がいつまでも続くはずがない。
 男は目的の場所まで到達した。

 追手は戸惑った。
 今まで逃げていた相手が、その足を止めたのだ。
 追手は背中を見せたままの男を視線で捉えたまま、思考する。
 罠なのか、ハッタリなのか。
 罠ならば、今すぐに撤退するのが先決だ。
 しかしハッタリであるならば、あの包みを取り返せない。

 数瞬の内に幾重にも思考を重ね、導き出した結論は『罠』。
 だが、追手は先に進む事を選択した。
 これを使ってから。


 ――追手は懐に隠し持っていた吹き矢を取り出した。
 追走中に放てなかったが、静止しているならば問題はない。
 このまま矢に塗られた毒で、動けなくしてやろう。

 筒を構え、吹く。
 矢が放たれ、男に命中した。
 瞬時に男に迫り、殴りつける。

 重く低い音が、木々の間で反響する。
 拳をぶつけたのは、人形であった。
 男の服を着て、男の背丈の、男と見紛うほど、全く同じの人形。

(しまった)

 思った時には、もう遅い。
 次の瞬間、背後に出現した男がナイフで追手の首を掻き斬る。

「御免」

 静かに倒れこんだ追手の首を、念の為にともう一度斬りつける。
 完全に切断し、人形を回収してから先を急ごうと歩み始める。
 すると持っていた人形が徐々に先ほど抱えていた細長い包みに変貌した。

 この包みの名は、デスパペット。
 王族などが影武者に使用するほどのものであり、当然高価である。
 その値段たるや、一般市民では一生をかけても購入できないと噂がたつほど。
 存在自体、貴族やそれを所持している商人しか知らない。
 それを使い、身代わりを作りだし、隙を見せたところを一閃。
 人形と入れ替わるのが一番の問題であったが、そこは身体能力によって解決してみせた。



 男が背を向け、首なし死体となった追手。
 その肉体が起き上がり、走りだした。
 音がして振り向いた男、その振り向く時間が致命的なミスとなった。
 振り向いた男の目には、両腕を振り上げる首なし死体の姿が、宵闇であれど鮮明に映った。

 片腕はなんとか弾いたものの、右肩に重い一撃を当てられてしまう。
 弾いたことと打撃により体制が崩れそうになるが、体幹がしっかりしている男は尻もちを着かずに持ちこたえる。

(なぜ死体となったはずの肉体が動いている)

 その疑問は、死体のはだけた胸元が見えたことにより明らかになった。
 胸に嵌っている、宝玉のように綺麗な球体。
 球体と肉体を繋ぐ太いパイプが、追手であった死体の正体を示していた。

(改造人間!? まさかあの噂は本当だったのか!)

 改造人間とはその名の通り、人間を改造したら改造人間である。
 胸元に嵌っている手のひらサイズの球体は、国が所有する迷宮より発掘された最高級の『宝玉』。
 『宝玉』は永続的に魔力を供給可能であり、無尽蔵の魔力供給源とも呼ばれる国宝である。
 それを人間の体に装着させることにより、如何なる巨大魔法でさえも発動可能にする。


 死体が蘇る魔法は、蘇生系統に二つのみ。
 『死者蘇生』と『リビングデッド化』だ。

 『死者蘇生』は、膨大な魔力の他に魔法の構築式を必要とするため、この死体は必然的に『リビングデッド化』したと思われる。
 『リビングデッド化』は、『死者蘇生』の二倍魔力を消費する代わりに、構築式を不要とする。
 両方とも肉体の欠損があれど蘇生すれば動き始めるし、自我を保てない。更に常時魔力を補充しなければならない。
 魔力補充を怠れば肉体が瞬時に腐り落ちるが、それでも死者は生き返ってはならないものであるため国が『禁呪』指定している。
 その国の追手が『禁呪』を使っているとなると、男としては笑う他ない。
 『リビングデッド化』であると断定した男は、その弱点である『聖水』が必要だと考えた。
 しかしここは深い森の中、教会など近くにあるはずがない。

(だが…………)

 男は駆けた。
 永久に死ぬことが適わない亡者を置いて。
 速さのみを追究した今の男の体制は、前のめりどころか前傾姿勢の極致。
 自我がなく本能でしか動かないはずのリビングデッドが到底追いつけるものではなかった、はずだった。

「なっ…………!」

 そろそろ撒いたかと速度を緩めて少し振り返ると、なんと着いて来ていた。
 滅茶苦茶なフォームで、手足を振り回しながら。
 そこで一つ重要な事を思い出す。
 亡者の性質である。
 魂が体にない状態の死体は、生者の生命の波動を感じ取りそれを奪おうとする傾向にあると言われていた。それは仮説の一つでしかないが、この状況を説明するに足る知識だった。
 首から上がないのにこちらの動向を把握していたのは、このせいだったのかと男は納得した。

(どうする?)

 撒く事は不可能と見ていいだろう。
 生命の波動を消そうものなら、それは死と同義である。
 ならばどうするか。

(肉体の手足をもげば、蠢くだけの肉塊と化すだろうか?)

 それは正解であり、不正解であった。
 無尽蔵の魔力を放出する『宝玉』が、仮とは言えど持ち主の敗北の可能性を考慮しないわけがない。
 走りながらだが、切断した首が少し盛り上がったように見えた。

(気のせいか?)

 否、気のせいではない。
 この暗闇の中でもハッキリと見える。
 切断面の肉が、徐々に徐々に頭の形を成していく。
 眼球、鼻、口、耳。
 毛の部分だけが省かれた、完全な頭部が完成していた。
 治癒魔法により、欠損した頭部までも復活してしまった。

 まだ疑問が残る。
 なぜ、追跡している時に魔法を放たなかったのか。
 なぜ、人形に対して魔法ではなく吹き矢を使用したのか。

 疑問は深まるばかりだが、この状態で気にすることではないと判断し脳内から追い出す。
 なにせ魔法を使うのだ。魔力さえあれば良いというものではないが、大きなアドバンテージにはなっている。
 男はもう一度人形を使うべきかと考えるが、敵も馬鹿ではないだろう。この手は恐らく通じない。
 魔法は王国の宮廷魔法師くらいには使えるが、魔力タンクの相手に魔法で挑むのは愚行と言わざる他ない。

 あわよくばこのまま逃走、運が良ければ逃げ切れる。
 それは現実的ではないにせよ、有効な策の一つだ。
 接近戦という手もある。
 これには少しばかり自信がある男だが、先にお見舞いされた一撃の痛みを思い出すとどうも勝機は見えない。
 視覚が復活している以上、更に厳しくなるだろう。

 男は、もう逃げるくらいしかないところまで追い詰められていた。
 そこに、追い打ちをかけるように更なる追手が現れる。


「シッ!」

 思考の最中ではあるが、同時に逃走中でもある今現在。
 まさか新たに敵が現れるなど、思いもしていなかった。

「ハァァッ!」

 足元に何かが投擲されたのが見えた。
 次の瞬間、男目掛けて数えきれないほどの何かが迫りくる。
 男がこの投げられたものを確認する。
 紙、だ。
 投げられているのは、紙片。
 丁度本に挟む栞のような大きさの紙が、狙い撃つ。

「うっ」

 頬を掠めた紙片が、地面に刺さる。
 明らかに紙が繰り出せる威力ではない。

「我、盗人ヲ追ウ刺客也。速ヤカニ盗品ヲ返却スレバ、命ダケハ助ケテヤロウ」

 目の前には二人の追手。
 最早『出し惜しみ』をしていられる状況ではない。

「素直に返す馬鹿がどこにいる?」
「残念ダ」

 男は接近戦に強い。
 故に魔法や遠距離から放たれる攻撃は苦手である。
 その問題を解決するのが、男の右手薬指に嵌っているこの魔道具である。

「反撃の狼煙」

 このキーワードが発された時、魔道具である『売買取引《トレード》指輪《リング》』が発動した。
 指輪の装飾、宝石部分が淡く光を放つ。

「死ンデ、罪ヲ償エ。『紙片紡ギ』」

 地面に刺さっていた、全ての紙が追手の手元に舞い戻る。
 恐らく構築式を魔力で紙に書き写すことにより、指定されたタイミングで所持者の元に帰るようになっていたのだろうと当たりをつける。

 そして、またも一息の間に全てが発射された。
 これでは西洋の地に存在するという銃よりも遥かに強いではないかと思いつつ、男は魔道具に魔力を流して口を開いた。

「これらの紙を売る。私は5枚の銅貨を得る」

 指輪の宝石が強く光り、男を襲うはずだった紙が消え失せた。
 どこかへと消えた紙の魔力を探っているのか、追手は器用に魔力を周囲に伸ばしながら男に追いつこうとする。

「私は紙を銅貨6枚で買い戻す。い出よ紙片」

 紙が突然現れたかと思うと、二人の追手に降り注ぐ。
 二人は紙によって体をズタズタに切り裂かれていた。

「私はこの場に存在する物を売る。私は10枚の銀貨を得て、死体処理能力を購入する」

 その場に存在する木や草が消失し荒れ地と化している。
 男の右手に指輪が一つ増えた。
 そして魔力を流し込むと、二人の死体が消失する。
 死体処理能力の指輪も消失し、追手はいなくなった。



 男の逃走劇は、まだまだ続く。

Fi-FIIFII
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