最初は曾祖母が亡くなった。

 私が生まれた頃にはもう曾祖父は居なかったから、それが私の知る身内に起きた最初の不幸だった。
 次は母方の祖父。そして祖母。どちらも最後まで元気なまま、大きな家の中で大往生を遂げたことを記憶している。父方の祖父母も、場所が病院という違いはあるが、最後まで健康体で人生を終えた。

 その頃にはもう、私も母親になっていて、親しい者の死に子供の頃の懐かしい思い出が心に突き刺さるような痛みを生み出してくれた。我が身に起こる異変に気がついたのも、思い起こしてみればこの時期だった気がする。それまではむしろ嬉しい事だったので、特に気にしても居なかったのだが。

 ともかくそれから時間も経って、父親が亡くなった。彼は残念ながら病気で、日に日に衰弱していく姿に目を塞ぎたくなったものだ。それでももちろん、私を子供の頃から育ててくれた親。涙を流しながら見送ったことは未だ鮮明に記憶している。

 母親が亡くなったのは、それから五年くらい経ってからだろうか。
 医療の発達によって平均寿命が大きく伸びていたことを考えれば、早い往生だったと思う。
 悲しかった。いつか人は死ぬとは解っていても、これまで何度も人の死を経験していても、慣れるものでは無いだろう。

 その時、私の歳は七十を超えている。夫も殆ど同じ。子供はとっくに自立していて、年に何度か孫の顔を見せに来てくれもした。
 アメリカ人と結婚した娘の子は、ハーフらしく綺麗な青い目が特徴的。顔立ちは良く整っていて、きっと異性にも大人気だろう。息子の子は秀才で、なんと驚くことかアメリカにある世界でも有名な大学へと進学したらしい。

 もう、この世界に思い残すことはなかった。しかし、不安は拭えなかった。
 この頃にはもう、他人の目にも明らかな異変が私の体に起こっていたのだから。

 八十歳で、夫が死んだ。
 私はたくさんの涙を流した。

「私もそっちへ行きたいよ」

 口から出たのはこんな言葉だった気がする。
 そんな事を言う必要はないだろう。私だってもう八十の歳を超えている身だ。夫と同じ所へ行くのも時間の問題。ただそれは、私が普通の人間だったのなら……の話。

 息子が死んだ。
 病気などではなく、寿命で。享年九十八。私の歳は百二十四。未だ元気。
 まさか自分の子が私より先に旅立とうとは思ってもみなかった。もうどうしようもなかった。胸が引き裂けそうだった。それでもどこか嬉しくも感じていた。きっとこの感情を他の人が体験することは出来ないだろう。

 中々衰えぬ体を持って多少の不安を抱えてはいたが、私の細胞は百の歳を超えてなお分裂を繰り返している。ここ何十年も病院へ行っていないが、この潤いを保ったままの肌はそれを証明している。
 同級生は、みんな旅立った。あと私に残されているのは、最近は殆ど会うこともない娘と……孫。更にはひ孫。
 そして夫と結婚したときに建てた、この古い家。

 更には面倒くさい、誘いの数々。
 いま私は、人間としての生活すら脅かされている。

 長寿すぎる上に老いることのないこの体のお陰で、一部からは神格化されていると聞いた。よくわからない私の力にあやかろうと、毎日家の前へ賽銭を落としていく者たちが耐えない。ここは神社では無いというのに。

 あまり外に出ることは無い。基本的にはインターネットとテレビで外界の情報を収集している。買い物をするのにも、基本的にはネットショッピングで済ませる。一応は生きているので、こんな歳になっても年金を受け取ることはできるため心配はない。

 外に出ること事態が大変だが、なにより働こうにも履歴書を提出したところで……

「なにこの年齢。ふざけないでくれるかな……どうみても二十歳代じゃないか」

 などと言われて取り合ってはもらえない。だからこそ私は毎日、たった一人家の中で生活しているわけだ。

 暇ではないと言ったら嘘になる。こんな縛られた生活が楽しいわけがない。
 寂しくないと言ったら嘘になる。一人で永遠耐えられる者などいないだろう。
 悲しくないと言ったら嘘になる。あれほど思い出を作った人たちにはもう、会えないのだ。

 と、まあこんな文章を書いているのも、ただの思いつきなのだが。

 私はモニターを覗くための前かがみな姿勢を止め、椅子の大きな背もたれに体重を預ける。

「もう……いいんだよな」

 この世に未練など無い。死神がいるのなら、すぐにでも私を連れて行って欲しい。
 自分の手を開いて見下ろしてみる。
 そこにあるのは、二十歳の頃からおおよそ変わらない健康的な血色と、新鮮な細胞が織りなす瑞々しい皮膚だ。

 顔を上げてみると、モニターの黒の中には私がいる。まさか百を越える老人とは思えない(自分で言うのも何だが)綺麗な黒髪と、顔立ち。シワなど我が肌にとってみれば許されないことらしい。確かに二十歳の美貌をずっと保っていられることは、女として嬉しいことだ。

 相変わらず家の外はうるさい。年明け直後の神社ばりに人で溢れている。
 まあそのお陰で、なにやら私の体を調べたいと暗躍する者たちの手が及ばないのだから感謝するべきなのかもしれない。さすがに実験動物にされるなど勘弁願いたいところだ。

 まあ今日で、この場所も落ち着くことだろう。なにせ……

「私は今日死ににいくから」

 適度に格好を整えてから、私は久しぶりに家を出た。大きな歓声が聞こえてくる。
 そんな物は無視して、家の隣に置かれている車へ早々に乗り込んだ。体だけでなく脳の機能まで若いままの私に、車の運転など朝飯前。後から追いかけてくる不信車両たちをミラーで確認しながら、裏道を何度も通って目的地を目指す。

 一時間経って、私は成田空港へ辿り着いた。
 時間はピッタリ。そのまま予約していた便にかけ乗る。もちろん行き先は国外だ。

「今までありがとう」

 戻ってくることも無いだろう日本に、私はお礼を告げた。

   □□□

 それから、不老不死の彼女を見た者はいない。
 一節には、どこぞで神へ昇華したなどと考えられているらしいが、それを証明する手立ては無かった。最後の足取りが、滝に飛び込んだというものだったからだ。
 不死、なのだから、きっと死んではいない。記録によると車に轢かれてすらケロッとしていたと書かれていたからだ。それはつまり、何があっても、どこででも生きられるということ。川を旅して海まで……それからどこかで生きているのだろう。

 一部の者が結論づけたその論証は、正しかった。
 彼女は不老不死。世界最大の滝に飛び込んですら、命を落とすことは叶わなかった。
 海まで流れ、人の手が及ばぬ深海で暮らしている。
 そしてこれからも、彼女はそこで暮らすことになるのだろう。

 たった一人、人類が滅んでからも永遠に。
 彼女の願いは叶わない。

相羽 桂
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相羽 桂

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