「おばあちゃんのうちへ行くの」
私の数駅後から乗り込んできた少女が唐突に話しかけてきた。四人掛けのボックス席の斜向かいには私しかしない。外をぼんやり眺めていた私はさして何も考えずに聞き返す。
「へぇ、遊びに?」
長期の休みではないが週末だ。小学生が一人で列車に乗って小旅行に出ることくらいは不思議ではないと思えた。
リュックの肩ひもを撫でていた彼女はふるんと頭を振る。
「これからおばあちゃんちで暮らすの。うち、お父さんとお母さんリコンしてわたしはお母さんと一緒だったんだけど、お母さん死んじゃったの。だからお父さんのおばあちゃんちに行くの」
「へ……ぇ」
喉の奥で声が絡まってうまく相槌が打てなかった。無意識のうちに、まだ外見上は何の変化もない下腹を撫でる。
「お母さんのおばあちゃんは、いないの?」
「うん。わたしがまだ赤ちゃんの頃に死んだんだって」
「お母さん、どうしたの?病気かなにか?」
「たぶん病気。リコンしてからずっとおかしかったの。しょうがないよね、お父さんが浮気してたんだから」
「………」
小学生の口から出てくるとは思えないほど大人の世界の単語が飛び出してくる。
子どもなんて何も判らないと思ってたのに、意外と大人の話を聞いているものなんだ。両親の離婚協議中、言い争う声をこっそり聞いたりしていたのかもしれない。
急に顔が熱くなってきてハンカチで額を押さえつつ、斜向かいの少女の顔を盗み見た。
目元があの人に似ている。生まれてくる子どもも、どこかこの子と似た部分があるのだろうか。
単調な列車の音が耳に届く。何か言わなくては、と考えるほどどうししていいか判らなくなる。少女のリュックにぶら下がったマスコットが揺れるのを眺めて考え続けた。
「お母さん、気の毒だったね」
自分でも意外に滑らかに言葉が出た。でもこれは嘘だ。あの人から元妻が鬱の果てに亡くなったと聞いた時はまったくそんな風には思わなかった。事故か自殺か判断がつかない状況だったというけど、恐らく自分の手で人生を終わらせたのだろう。何か起きればすぐに自分を悲劇のヒロインにしたがるような女性だったから。
だが少女は意外なことを言い出した。
「無理しなくてもいいよ、お姉さん。ホントはいい気味だって思っててもわたし、怒らないから」
「……あなた、何言ってるの」
私をまっすぐに見上げた少女はにこりともせずに続けた。
「これからは会うこともあるだろうから、ケンカはしたくないもんね。ただ、おかあさんとは呼ばれたくないだろうし、わたしも呼びたくないからお姉さんでいいよね?」
知ってる、この子は。
私を見つめる眼差しは子どものものとは思えず、少しだけあの女性に似ていた。
列車が減速し、駅に滑り込む。アナウンスはまったく聞こえなかった。
「ほら、お姉さんの降りる駅だよ」
促されて私は急いで席を立った。
「急ぐと危ないよ、気をつけて。元気な赤ちゃん産んでね」
「………」
怖くなって何も言えずに列車を降りる。蒸し暑い外気がむっと足元から押し寄せてさらに息苦しくなった。
知っていて、声をかけてきたのだろうか。私が、あの子の父親の浮気相手で、再婚相手だということを。まさか、まだ小学生なのに。でも私が義母によく思われていないのは当然で、そちらから話を聞いたのかもしれない。
ゆっくりと走り出した列車を振り返ると、さっきの席から少女がにこやかに手を振っていた。
ばいばい、と小さな口が動いていた。そして、またね、と続けていたのをはっきりと見た。
遠ざかっていく車体が陽炎で揺らぐのを見送り、私は薄ら寒い気分でのろのろとホームを歩き出した。

神崎 黎
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神崎 黎

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