a05

 職員室に入った俺は、先生の席に近づいて切り出した。
「決めました」
 先生の周りには他の教師がおらず、ほとんどの者が、部活動の顧問やら種々の雑務に駆り出されていることが予想できた。
 俺が言うと、先生は椅子を回してこちらを向く。
 しかし。
「それ、どうしたの?」
 目を丸くして言われた。
 俺は自嘲気味の表情をし、
「訊かないでください」
 と答えた。
 すると先生は、雰囲気から尋常でないものを感じ取ったのか、
「そう、じゃあ、訊かない」
 と地雷を回避した。少し間をおいて咳払いをし、
「それはそうと、あれだけ渋ったにしてはあっさり決めたわね。で、どこ?」
 アイドル顔負けの対応を遺憾なく発揮する。
 俺は無性にこう言いたくなった。
「先生、今日もきれいですね」
 すると先生は空笑いし、
「あらありがとう、うれしいわ。で、どこなの?」
 にべもない。だがそれがいい。
 俺は疼痛を感じながらも爽やかに答えた。
「談話部です」
 オカ研に入ったら、毎日呪文を聞かされることになり、最悪人身御供にされそうだ。なのでやんわり遠慮させていただくことにする。
「ふうん、やっぱりか……」
 視線を外して何事か考える先生。
「やっぱり?」
 その言葉に疑問が生じた。
 どういう意味だ。それだと、俺が談話部に入ることをわかっていたみたいじゃないか。先生はもしかして、美人教師ならぬ、美人教師探偵だったのか? 
 なんて脳内でふざけていると、先生は視線を合わせてくる。
「部長とは話した?」
 俺の疑問は無視である。
「ええ」
 話を逸らしましたね。俺がのけ者嫌いと知っての暴挙ですか? そう思いながらも、話の腰を折ることはやめた。先生は一週間、俺のくだらない話に付き合ってくれた。それが理由かもしれない。
「どうだった?」
 片方の足を揺らしながら訊いてくる。考え事をしている時の癖だ。
「どう、とは?」
 いきなりどう? と言われても、どうしてどうなのか、どういうふうに答えればどうにかできるのか、どうにもこうにもしようがないのだからどうしようもない。つまり、どうせえっちゅうねん、ということである。如何せん是非に及ばず二進も三進も行きやせん。
「部長と話してどう思った?」
「どうも何も、別に普通でしたけど。頭良さそうっていうか、知的な感じっていうか。生徒会長でもしてそうでしたね。ちょっと偉そうな口調で」
 知的で瀟洒なクールビューティー眼鏡。俺の好みではないけれど、解語之花という言葉があるように、華がある人物なのは間違いない。
 俺が言うと、先生は至極真面目な顔になり、
「そう。見事に騙されたわね」
 煙に巻くようなことを言う。
「……騙された?」
 不穏当な発言に驚きを隠せず繰り返す。
 なん……だと……? 騙された? 俺が……? この俺が……? なんて連呼するほど頭脳明晰でもないので、どこかで一杯食わされていたとしてもおかしくはない。謀〈たばか〉ったか! と激怒していいのは、それ相応の知恵と権利を持つ人だけだと俺は思う。
 と余計なことを考えていたら、先生がじっと見つめてきた。まるで俺の眼の奥まで見通して、思考や感情を見透かしてしまいそうな澄んだ瞳で。
 いつもと違うその視線に、俺は気が引けてしまう。
「え、えっと……?」
 先生は一度視線を外し、
「多分、あなたは騙されたと思うでしょう。裏切られたと思って、怒りたくなるかもしれない。でも、途中で嫌にならないで、最後まで見届けてあげて」
 また目を合わせて真摯な表情で願ってきた。だが、事情がわからない俺には意図が読めず、言外の意味を汲み取ることもできない。
 何かあっても辞めるな、ということだろうか。そうなると、先生にはめられた可能性も出てくるのだが、それよりも今の言葉が気になる。
「意味がわからないんですけど」
 底意を計り兼ね苦笑いしながら言うと、
「一つヒントをあげるわ。彼女はね……変人よ」
 誰も知らない秘密を明かすように、先生は言った。
「変人、ですか……」
 迂遠な説明にまたも言葉を反復するしかない。
 変人と言われても、変人にもいろいろとバリエーションがあるだろう。物事には、得てしてジャンルというものがあるのだから。つまり、そんななぞなぞのヒントみたいに変人と言われても、抽象的過ぎて皆目見当もつかないわけである。
「サルバドール・ダリは知ってる?」
 だりだそり。
「確か画家で、自分を天才ってよく言ってた人でしたっけ?」
 チュッ○チャップスのロゴの原型をデザインした人だったはず。いつだったか忘れたけど、CMで見た気がする。その時の表情はえらい変わってたような。
「彼女はダリほどじゃないけど、似てると言えるかもしれない」
 先生は至って実直に答える。
 つまり、こういうことか。俺が話した部長は猫を被っていて、本当はダリのような変人だと。それはあまりにも案に相違する。
 ではなぜ猫を被っていたのか。俺を入部させるため? それとも何か他の目的があって? どうであれ、そんなことを言われると、今から部活が不安になってくるのだが。
「マジですか……」
 クールビューティーが変人に。想像出来ない。と言っても、まだどんな変人か具体的にわかってもいないが。
 変人。変人ってなんだ? 一般人と引き比べて性質・言動が変わっている人? うーん。
 俺が悪いイメージを持ち始めたと勘付いてか、先生は授業中のような真面目な雰囲気をまとった。
「でもね、考えてみて。人間って、ほとんどの人が何かしら変人の部分を持っていると思わない?」
 言葉を継ぐように水を向けてくる。
「まあ、誰だって、一つくらいは普通じゃないところがありますよね。でもそれは個性であって、変人の域まで行くと、周りに迷惑がかかるんじゃないですか?」
 性質が個性という枠を超え、なんらかの害を振りまき始めた時、その人は変人や奇人なんて呼ばれだすのだろう。そういった人間は、往々にして周りから忌避されるものである。
「そういう意味でも、彼女は変人に近いのよ」
 内緒話をするように小さな声で言う。
 今は俺と先生以外誰もいないが、万が一誰かに聞かれることを考えて先生は話をしているのだろう。その万が一聞いてしまった人物が、教師でも生徒でも良くは思わないかもしれない。人の噂をするというのはそういうことであり、ましてや教師が、生徒の人格がよろしくないと聞こえるであろう噂をするというのは、誰が聞いても印象の悪いことであるから。
 しかしそれでも、言葉足らずをなんとかしてもらわなければ理解の余地が無い。
「もう少しわかるように言ってもらえると助かるんですが……」
 そういう、相手が解っているのに自分が解ってない状況は、映画や物語の主人公だけで十分だ。しかし、かと言って、事件の当事者にはなりたくない、という、野次馬根性も抑えられない。
「このことは秘密よ? さ、もう帰りなさい」
 言及を避け、さらには箝口令を敷き、通常運転に戻る先生。それでも期待を込めて言ってみる。
「気になるなあ」
 すると雰囲気が一転して軽いものになり、
「私も暇じゃないのよ? 小テストの採点して、買い出しに行って、お料理して。お風呂から出たら、今か今かと開栓を待っててくれてる芋焼酎を開けなきゃならないんだから」
 好奇心を去なすようにそんなお言葉が飛んできた。
 それはそれはお忙しい。確かに大変だ。でもね、最後のはおかしい。それはやるべきことじゃない。それはお楽しみだよ、どう考えても。
「もう帰るんじゃないですか」
 仕事って、小テストの採点だけじゃん。
「そうよ? でもね、帰って溜まったドラマも消化しなくちゃならないし、忙しいことこの上ないのよ」
 肘掛けに片肘をつき、その手で顔を支えながら忙しさをアピールする。
 どうやら芋焼酎を片手に、ドラマを見てだらだらするらしい。意外にだらしない紫センセ。
「ははあ。仕事を消化したら、次はストレスを消化ですか。で、一瓶開けて、開けるだけに飽きたらず空けると」
 今俺うまいこと言った! と思ったけどそうでもなかった。なんてくだらないことを考えていると、
「志津摩君も一緒にどう?」
 おちょこをクイッとする。俺は調子に合わせ、
「いっすね。たまにはパーッとやりましょうよ」
 平社員が言いそうなセリフで対抗してみた。すると先生は笑みを作り、
「ふふ、サラリーマンみたいね。ま、それは冗談として、明日があるから空けるのはだめね」
 いかにも残念そうに肩をすくめる。
 あー、今日水曜だからなあ。明後日ならいけるかなあ。
 花の金曜日ならどこか食べに連れて行ってくれるかもしれない、なんて期待を膨らませていると、
「ほら、いい加減帰りなさい」
 子供は帰る時間よ、と言われてしまう。俺はそれに逆らわず、しかしおしゃべりはここまでよ、と言われた釣れない態度に抵抗する意味を込めて、
「はーい。じゃ、先生、また明日」
 間延びした挨拶をしてから入り口へ向かう。すると、
「また明日。志津摩君は、明日部活行けるように空けておきなさいよ、時間をね」
 ウィットに富んだ返しで見送られる。
 再度間の長い声で返事をしながら、ゆっくりと静かに戸を閉めた。

maimaikapuri
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maimaikapuri

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