夢の続き

 全ての用事を終えるとすっかり夜である。治部が寝間の布団に「辿りつく」とものの数秒で睡魔が押し寄せてきた。
 くっきりしすぎていた夢のせいで眠っていたはずの時間が治部にとってはないに等しい。ずっと起きているような心地だった。
(今日は色々なことがありすぎた。予知夢のような夢に始まり、商人の腰の健康を守ったり、“使いの者”を確保したり、紀ノ介の見舞いに行ったり……)
 また深い、深い夢の中へ潜っていくのが、まどろみながらでも分かった。
(なんだかよく分からないあの夢がなければ俺は……“使いの者”に殺されていただろう……)
 治部の意識は完全に現実とは引き離され、そして……。



 治部が目を覚ますと、そこは加藤主計頭清正の屋敷だった。
(ここへ戻ってくるのかっ、あっ、痛あっ)
 夢の中の世界はなんと続いていた。明らかに顎から首にかけて、ずきずきと痛い。斬られた痕がうずいているのだ。
「あ、佐吉、目を覚ましたな」
「! 紀ノ介……!」
 横から刑部の声がしたと思えば、続けて治部の視界に刑部が入ってきた。顔を覗き込んでいる。心配そうな顔をしているせいでいつもの精悍な顔の印象より優男の印象が勝っていた。
 続いて治部は自分の右手だけが温かいことに気付いた。刑部が自分の右手を両手で握りしめていたのだ。
「来てくれたのか、ありがとう」
「心配したぞ。こんな怪我をしてしまって……痛いだろう」
「大丈夫だ、平気だ」
「強がるのもいいが、あまり無茶はしてほしくないな」
 刑部は優しく笑って、治部が上体を起こすのを手伝ってくれた。それは治部にとってとても助かることだった。夢だと分かっているのに信じられないほど傷が生々しく痛かったからだ。
 昨日、刑部の見舞いに行ったときとは治部と刑部で状況があべこべになっているが、夢の中では刑部が元気でいてくれて治部はとても嬉しかった。
 さらに治部を挟んで刑部の反対側には主計頭が座ったままの状態で腕を組んで静かに眠っていた。
「虎之助もずっとここにいてくれたんだな」
「ああ。俺がこちらへ着いてしばらくは話などを一緒にしていたが、そのうち眠ってしまった」
「そうだったのか。様々な迷惑をかけているな、俺」
 主計頭はこのような体勢で眠ってしまったせいで、目が覚めた後には身体がばきばきとして痛いだろう。その主計頭の肩には刑部のいつも身に着けている羽織がかかっているのを見て治部は苦笑する。
 治部の目が覚め、刑部と話し始めたおかげで、元々、ぐっすりと眠れる体勢でなかった主計頭の眠りもすぐに覚めた。
「んんあっ、あれ? ここ?」
 頭をばりばりと搔きながら、主計頭は寝ぼけまなこで治部と刑部を交互に見比べてぼそりと言った。
「夢の続きがあるのか……?」
「どうした、虎之助」
 刑部は不思議そうな顔をしているが、治部に主計頭の言葉は聞き捨てならなかった。
「虎之助、それどういう意味だ!?」
 治部の食いつきが激しかったために、主計頭はそれで目が覚めてぱりっとした顔になった。
「夢の中のお前たちに言ってもきっと変だと思われるだろうが、あえて言おう。ここは夢の中なんだ。んで、昨日、寝たときに見た夢の続きが今、そのままあるからさらに驚いたんだ」
 それを聞いた治部の目が真ん丸になっているので主計頭も何かあると思ったらしい。
「佐吉こそなんで俺にそんなこと聞くんだ?」
「これが驚かずにいられるか。虎之助もこれを夢だと分かっているんだな?」
「『も』ってことは、佐吉もか?」
 治部は癖で、こくこくと頷いたが怪我のことを忘れており、激痛が走った。
「あっっ、つう……これ、夢なのにすごく痛いんだ」
「どういうことか説明してくれ、さっきから夢、夢と。一体どういうことだ?」
 治部と主計頭が盛り上がって一人、置いてきぼりの刑部は困惑した表情になっていた。
「紀ノ介はこれが夢だと、知らない?」
「これは夢、なのか?」
 治部は刑部に自分から問うておきながら、自分は変なことを言っているなと思った。夢の中で「これは夢だ」と認識できる方が本当は不思議なことで、先ほどまでは自分だけがそうなのだと思っていたのに。
「まあ、それが普通だろ。気にすんな」
 主計頭は相変わらず不愛想な顔だが、かける言葉は優しいもので、刑部もとりあえずは二人を信じることにしたようだった。しかし眉根に皺を寄せていた。
「佐吉と虎之助は“ここ”で眠ると現実に戻れる。だから“ここ”が夢だと気付くことができた。じゃあ“ここ”にずっといる俺は一体何なんだ? 現実の俺は、どうなっている?」
「紀ノ介、」
 この疑問に答えられる人は治部しかいなかった。
 これは夢なのだから、刑部が“ここ”で元気でいてくれればそれが“ここ”での真実となる。現実のことなんて知らないでいた方がいい……
 治部はそう思っていたが、刑部にはもうほとんど察しがついているとなると、嘘をついたり誤魔化したりすることは無謀だと観念した。
「紀ノ介は一昨日、熱を出して倒れてからまだ目覚めていない。だから、ずっと紀ノ介は“ここ”にいるんだ」
「そうか……」
 刑部の眉根の皺は溶け、その代わりに寂しげな微笑みが浮かんだ。その笑顔が治部には悲しかった。
「で、でも、紀ノ介も、ただ“ここ”にいるんじゃない。ちゃんと虎之助と俺と現実でもこの夢を共有してるんだ! 同じように!」
 治部は刑部を少しでも元気づけたくて咄嗟に口走ったが、すぐに後悔する羽目になった。
「俺は現実では目覚めていないんだろう? 俺と話をしたわけでもないのにどうしてそんなことが佐吉に分かる?」
「あ、えっと」
――昨日、紀ノ介が『大丈夫か……佐吉……目を覚ましてくれ……』とうなされていたのは、“ここ”で負傷した俺の見舞いに来てくれたときの言葉だろ? だから紀ノ介も同じ夢を見ているって気付いたんだ――
(どうしてそんなこと自分の口から言えるか! いや無理だ!)
 治部は恥ずかしくて赤くなっていくのが自分でも分かった。
「とにかく! そうなんだ! 紀ノ介は落ち込まないでくれ!」
「佐吉、顔真っ赤だぞ。それに何の説明にもなってねえんだけど」
「やめろ、それ以上言うな。こっちを見るな」
 主計頭が心底不思議そうに治部の顔を真っすぐ見つめるので、治部はしつしつと主計頭の視線を手で追い払う。
「ありがとう。佐吉の気持ちはよく分かった。俺が向こうで何か口にしたことを手掛かりに気付いてくれたんだろう。佐吉が何を聞いたのか気になるが……ものすごく気になるのだが」
「俺が何を聞いたかは気にしないでくれ。いや、一体何のことかな? なんでもないんだ」
 治部は慌てて言ったが、焼け石に水どころか追加で火をくべた。刑部はおおよその事情を正しく察してしまった。
「あれ、紀ノ介も何か赤くなってねえ?」
「そんなことはないと思う」
「いやそんなことねえって」
 治部も主計頭の言葉につられて刑部の方を少し見ると、刑部は澄ました顔をしているものの確かにわずか、赤くなっていた! そのあまりの珍しさに治部は思わず一瞬、呆けてしまった。
 しかし刑部の頬が色づいたのにはまだ理由があった。

江中佑翠
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江中佑翠

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