ティルが目を覚ますと、まず腕と足の痛みを覚えた。
 そっと体を起こして辺りを眺める。
 通路の明かりは全て消えていたが、天井が吹き飛ばされたことで光が射している。傍らに、シアンが仰向けに倒れていた。
「お、おい! シアン!」
「う……ん?」
 ゆさぶると、シアンは瞼を重そうに開く。ほっとするティルの横で、シアンは体を起こした。
「えっと……そうか、ここは天国かな」
「おい、しっかりしろ」
「あ、ティル……君は生きているの?」
「足は痛い、腕は動かない。だから生きてると思う」
 ぼおっとしていたシアンの瞳が、段々一つに定まってくる。
 ああ! と叫んだ。
「て、ティル! 怪我は大丈夫!?」
「ん……ああ、平気だ。まだ死ぬことはないと思う」
「そ、そう……それなら良かった」
「そんなことより、シアン」
 ティルは興奮を押し殺した声で言った。
「ん?」
「これで……外に出られるよな」
 静かな言葉の意味を理解していくにつれ、シアンの顔が輝いてくる。
「『門』を開こう。あの部屋ならできるはずだ」
「よし……行こう!」
 二人は立ち上がった。




「――成功だ……!」
 喜びのにじみ出た声でシアンが呟く。その顔には抑えきれない笑みが浮かんでいた。
 ティルは呆けた顔でその視線を受け止める。
「……なん、だって?」
「成功だ、僕らは外に出られるんだ」
 ティルが信じられないといった顔でシアンを見返す。
「おい……本当かよ」
「うん、これで『門』は開いたよ……あぁ、疲れた」
 シアンは強張っていた肩の力を抜いた。
 村を閉ざしていた『門』は、二人の少年の手によって開かれた。
 ティルはしばらく声が出せなかった。求めていたことが叶う。とても現実味が無いことだった。それでも、段々とシアンの言葉の意味が染み込んでくる。顔がぱあっと輝いてくる。
 やった……。これで俺たちは外の世界に出られるんだ!
 ティルは、痛みなど感じないかのようにばっと立ち上がる。
「よっしゃ……! 早速行こうぜシアン!」
「あ……ちょっとだけ待って。そこに日記がある。これを読んでからにしようよ」
 シアンは寂れた日記帳を手に取って、床に座りこんだ。
 ティルは嫌そうに口を曲げる。
「なんでだよ、速く行こうぜ」
「外のこと、僕らは何も知らないでしょ。少しでも知識があった方がいいじゃないか。大事なことだよ」
 言いくるめられ、ティルはしぶしぶシアンの隣に腰を下ろす。
 シアンが肩をすくめて、日記帳に向き直る。
「じゃあ見てみよう」
 ――ページを開く。
 読み進めるにつれて、二人の顔色が変わっていく。




――これは警告である。後の世に向けて、私はこれを記そうと思う。
 初めそれは取るに足らない病気だと思われていた。だが違ったのだ。発展の進みすぎた世界は、本来ならばありえないはずのものを作り出した。
 〈瘴気〉と名付けられたそれは、瞬く間に世界中に広まり人口を減らしていった。薬の開発は追い付かず、着実に人類を追い詰めていった。
 私は薬の研究をする一人だった。苦しむ〈瘴気感染者〉を救いたいという決意はあったが、思うように研究は進まずもどかしい日々を送っていた。
 シェルターを作ろうと言い出したのはどこの国だったか。結局はどこも賛成したのだから、大した問題ではない。人間は追い詰められると何をするか分からないと聞くが、本当にその通りだった。
 大規模なシェルターを作り、そこに最低限の人を入れると言う。人類が存続するために必要だとのことだった。そんなことをしている金があるのならば、こちらに回してくれればいいものを。
 秘密裏に計画は進められ、辺鄙な国の辺鄙な土地にこのシェルターは作られた。少しでも〈瘴気〉に強い人を探し、選りすぐった二十人をシェルターに入れた。
 私は人々を観察する一人に選ばれた。
 シェルターは映像と少量の薬を混ぜた空気を送り出すことで、中の人間を穏やかな気性に安定させた。記憶もおぼろげになり、彼らに状況を疑う者はいなかった。
 もし反抗する者が現れた場合、キーパーに処理させる予定だった。そのようなプログラムが埋め込まれていると聞いていたが、強制とはいえ穏やかな性格の人々だ。そんな心配は無さそうだった。
 薬は自動精製されて、誰かが『門』を開かない限り永久的にばら撒かれるはずだ。しばらくは安泰だろう。
 ただこれから免疫の付いた子供が生まれるかもしれない。今となっては、そんな子供が生まれないことを祈るしかない。

 今日は、このラボに〈瘴気感染者〉が現れた。私たちはもう終わりだ。ラボは閉鎖し、必ず誰も入れるなとキーパーに厳命する。彼らはいつまで動いてくれるだろうか。メンテナンスをする人間はいなくなる。可能な限り働いてもらうしかない。
 直に私にも赤い斑紋が現れるだろう。

 もし、後の世に誰かこれを読む者がいるのなら、一つだけ伝えておきたい。

 絶対に、門を開くな。




 ――二人は顔を見合わせる。
 血相を変えて駆けだした。




 ――焦がれていた『門』の先。
 外の世界。
「……なんだよ、これ」
 ただ荒れた土地が広がっているだけだった。何もない。岩肌が見え、黒い空気が不気味に逆巻いていた。
 思い描いていた世界とは、あまりにかけ離れている。
 こんなものを見るために、命を賭けたわけじゃない。
 涙がこぼれた。
 ただ虚無感だけが胸を支配していた。
「こんな……こんなっ」
 黒い空気が入り込んで、咽ぶ声を覆う。
 視界が黒く染まる。
 鼻につく匂いに咳き込む。
 恐怖に包まれ、叫ぶ。
 その声も聞こえない。
 ふと黒い空気が途切れた時に見えたお互いの顔には、赤い斑紋。
 二人は体の痺れを感じて、地面に倒れ伏す。

 そのまま、動くことは無かった。




 この日、地球の生命は全て途絶えた。

まふらー
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まふらー

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