ティルにとって、世界は半径500メートルにすぎなかった。
 退屈だ。退屈で死にそう、というのがティルの口癖だった。
 ここは分厚い壁でドーム状に覆われた小さな村。
 頭上まで囲まれて、密閉された空間でティルたちは暮らしている。年齢も性別もバラバラな70人ほどが穏やかに毎日を過ごしている。
 密閉されていても、空気は常に清潔だし、食べ物も支給される。電気まで通っているものだから、生活になんら不自由は無い。
 天気まで変わる。映像だろうとシアンは言っていたが、晴れの日や曇りの日に加え、雪の日や雨の日だってある。映像なら、どうやって雨や雪を降らしているんだ。尋ねると、シアンは訥々と理論を説明していたが、何を言っているのか分からなかった。

 ティルには生まれてからずっと仲のいい友人がいた。名前をシアンと言う。シアンはメガネをかけていて、いつも本を読んでいるか、機械をいじるかしている。
 ティルにとって、シアンといる時が唯一退屈を感じない時間だった。
 毎日シアンを訪ねては、日が暮れるまで(映像だが)ずっと二人で喋り続けた。




 ティルとシアンは、村の外れに行こうと森を歩いていた。
 昨日届くはずの支給品が届かない。と言っても、今までに何度かあった事態だから、村は落ち着いていた。明日には届くだろうと楽観的な村人たちに対して、ティルはそういった非日常に敏感だった。
「シアンと様子見てくる!」目を輝かせて言い、突然名前を出されて目を丸くしているシアンを連れ出した。初めこそ愚痴を言っていたがシアンも慣れたもので、今は逆に飽きてきたティルを引っ張っている。
「あー退屈だ」
「もう十回目になるよ」
「何が?」
「その台詞」
「あー」

 森を抜けた先、村を覆う壁には、『門』がある。決して開けられることの無い門。見上げるほど高い。ティルとシアンが端に立つと、大声を出さないと聞こえないほど幅も広い。そこさえ開けば外に行けるはずだが、誰も開け方を知らない。
 ただ村人たちは、あの建物になら……と言う。
『門』の近くには、村にそぐわない雰囲気の真っ白い建物がある。何をしているのかはわからない。建物の周りにはレーザー銃を持った機械兵が二体いて、入ろうとする者をことごとく追い払っている。

 一度だけ、レーザー銃が撃たれた瞬間をティルは見たことがあった。
 五年くらい前に、悪戯が好きで有名だった青年がいた。支給された物をくすねては、食べ物が足りなくて困る人々を笑っていた。
 ある日に、ティルが夜寝つけずに窓の外を覗いた所、こそこそと動く影があった。
「何してるの?」
 窓から飛び出してその影に声をかけると、影はぎょっとしたように振り向いた。あの青年だった。
 青年はきょろきょろと辺りを見渡して、ここじゃまずいとティルを引っ張っていった。
 村から離れた、真っ白い建物の近くまで二人は歩いてきた。
「あぶねー、まったく驚かせんなよティル坊」
「ごめんなさい」
「はは、いや、黙ってくれさえすれば何も言わない。いいな?」
「うん……にいちゃんは何してるの?」
「俺かぁ?」
 青年はにやりと口を釣り上げた。楽しくてしかたないかのようだった。
「ちょっとあのふざけた建物を探索してこようかと思ってな」
 ティルは目を真ん丸にした。
「大丈夫なの?」
「大丈夫だろ。あの機械兵どもだって、いるだけでなんもしねえしな」
「でも……危なくないの?」
 おっと青年は一瞬驚いた顔をして、それから笑い出した。
「心配してくれんのかよ!」あっはっはと青年は大声で笑う。「嫌われ者の俺を! 面白いなティルは!」
 ひとしきり笑った後、青年は唐突に神妙な顔になって、ティルの頭にぽんと手を乗せた。
「俺はさ……外の世界が見てみたいんだよ。この村で満足してるババアどもなんてくそみてえなもんだ。あの建物には何かあるかもしんねえからな――大丈夫。なんか面白そうなものあったら持ってきてやるよ。シアンと一緒に遊べるようなやつがいいよな」
 ティルはその時の青年の顔を忘れられない。
 好奇心を押さえきれない、年相応の純粋な表情だった。
「よし、じゃあなティル!」――青年が手を上げた直後、閃光が走った。
 夜を一筋の光が貫いて、青年の胸を通り過ぎた。光線はそばにあった岩を貫いて、細くなって夜に途絶えた。
 映像の月明かりの下で、青年がゆっくりと傾く。胸が赤く、丸く縁どられていた。
 まるで穴でも開いているみたいに。
 静かな音と共に地面にうつぶせに倒れる。
 目が釘付けになって離せなかった。
 胸の穴から、何か流れ出している。
 よくわからなかった。ただ無邪気に首をかしげる。シアンに何が起こったのか教えてもらいたかった。
 横から、何かの駆動音が聞こえてきた。
 機械兵だった。
 青年を見据えて、動きが無い事を確認している。アームに持ったレーザー銃が、青く光っていた。
 ああ、撃ったんだ。
 ただ事実だけがすんなり頭に入ってきた。
 機械兵が顔をこちらに向ける。二メートルを超える機会兵に見下ろされ、ティルは一歩のけぞった。
「危険因子を排除しました。他の生体反応を感知。確認します――マーク:イエロー。要観察対象。今後の動向に観察が必要と推測」
 まくし立てて、機械兵は身を翻す。巨体からは似合わない機敏さで、それでいて静かに遠ざかる。
 後には茫然としたティルと、もう動かない青年だけが残っている。




「――どうしたのさティル」
 シアンが訝しそうに声をかけてくる。
「ん、ああ。あのにいちゃんの事思い出してた」
「あー、あの人」
 あの青年は、翌日になって埋葬された。
 誰もが目を伏せてしょうがないと言った。機械兵には敵わない。
「言い訳にしか聞こえなかったね」
 思っていることに返答される。昔からシアンは、ティルの考えていることを見透かすのが得意だった。
「そうだなー」
 慣れた様子でティルも返事を返す。
「今思ったけどさ、ティルが外の世界を見たいって言ってるのはあの人の影響だったりする?」
「あー、そうかもな」
 答えると、シアンは額を押さえる。
「はぁ、とんでもない置き土産を残していったものだね」
「どういう意味だよ」
「ティルがヤバいってことだよ」
「よせよ、照れるだろ」
「褒めてないよ」
 大げさにシアンはため息を吐いた。見慣れた仕草を横目に、ティルはふと思う。
「なあシアン。やっぱり、外に出たくないか?」
「もう出てるじゃないか」
「いや、『門』から出るってことだよ」
「……なんだよ改まって」
 不審そうにシアンは眉根を寄せる。退屈だ、と言った後には出てくるこの言葉が、なぜか今日は違う意味を持っているように聞こえる。
「いや、つまんねえじゃん」
「……理由はいつもと同じなんだね、何か変わったのかと思ったよ」
 ずり落ちたメガネを直すシアンに、ティルは言う。
「んー、でもさ」
「でも?」
 ティルは後ろに手を組み空を見上げて、ぼんやりと言う。
「何か今日、変わる気がすんなー」
「うわ……」嫌だ嫌だとシアンは顔をしかめた。「ティルのその感じ。本当に何か起こるんだよなぁ……」
「そうかー?」
「そうだよ……あー、大したことじゃありませんように」
 シアンは祈りを捧げ始める。それに苦笑いを浮かべながら、ティルはぼんやり、こういうのも良い時間だなと思う。




 ――それはしばらくたってから見つけられた。
 二人は初め、それを岩だと思った。鈍い色の巨大な物体。
「あんなとこに岩なんてあったか?」
「いや……」
 そろそろと近づくにつれ、全貌がくっきりと見えてきた。
 それの正体が分かった時、二人は戦慄に声が出なかった。
 銀色の鎧。
 レーザー銃。
 光を失った顔。
 横に置かれた支給品の入った段ボール。
 ――あれは、機械兵。




 永久に動くと思われた機械兵も、限界はあった。いくら動力を自分で補給できようと、内部の部品には寿命があった。建物から支給品を運ぶ機械兵は、その途中で突然ぐらつき始めた。顔の青い光が点滅して、進む速度が遅くなる。やがて彼は道半ばで傾くと、倒れた。
 そして静かになった。

 その体はもう動かない。

 老兵はここに長き務めを終えた。

 少年たちに武器を残して。




「……シアン」
 口の中が渇いていた。体はまるで錆びた機械みたいだった。動かしたらぎしぎしと嫌な音を立てるような気がした。
「シアン」
「……ごほっ、うん」
 一度咳き込んでシアンは答えた。二人は視線を釘づけにされたまま話し続ける。
「あれは……動かないのか?」
「……多分」
「あれは……襲って来たりしないか?」
「……多分」
「あれは……」ティルはつばを飲み込む。「――機械兵か?」
「――そう、だね」
 見間違うはずも無かった。あれほどの異質な存在を。
 あれが、機械兵。
 あの無様な姿が機械兵。
 地面に倒れ伏して、顔は光を失い、稼働音も聞こえない。
「どう、するの?」
 動揺を隠しきれない声。そこで初めてシアンの顔を見た。メガネの奥の瞳は驚愕に見開かれて震えている。
 それだけでは無かった。
 俺と同じじゃないか。ティルは思う。これでこそシアンだ。
 シアンが顔を向ける。口がつり上がっていた。ティルも同じだった。
 二人は同じ笑みを確認し合った。未知の出来事への高揚が、笑みを浮かべさせていた。
「どうする、だって……?」

 そんなの、決まってんだろ。

 シアンが口を釣り上げたまま頷いた。
 二人は恐れなど知らないように足を進めた。無遠慮に機械兵を眺め、その横のレーザー銃に目を留める。
「シアン、あれ使えるか?」
「使えると思うよ。確かエネルギーは外部から充電する型式だったはずだ」シアンはそのそばにかがんで、手を触れる。「うん、少し熱がある……いけるよ、ティル」
 持ち上げようとして、うめき声を上げた。「うわ、なんだこれ……よくこんなの持ってたなぁ」
「ちょっと貸してくれ」
 ティルがおもむろに手を伸ばして力を込めると、レーザー銃は軽々と持ち上がった。
 シアンが言葉を失っている。
「持てたな」
「……馬鹿力」
「よせよ、照れるだろ」
「どちらかといえば褒め言葉じゃなかったんだけど」
 ティルは銀色の銃身を覗き込み、全体を眺めて首を傾げる。
「どうやって使うんだ?」
「うーん、撃つ時は手元のトリガーを引けばいいと思う――あ、撃たないでね――あとエネルギーは充電式だから撃てる時間には限りがあるよ。トリガーを引いている間はずっとレーザーが放出されるから気を付けて」
 すらすらと淀みなく答える。
「さすがシアンだな!」
「前に読んだ本に載ってただけさ、さて。じゃあどうしようか」
「――俺は、外の世界を見てみたい」
シアンはふっと笑った。
「うん、そういうと思ったよ。ただ、決行は今じゃない」
「今じゃ駄目なのか?」
「駄目だよ。だって僕らは何の準備もしていないじゃないか。今行っても、もう一体の機械兵にやられるだけさ」
「じゃあ……夜か?」
「夜も駄目だ。明日の朝にしよう」
 ティルはきっぱりと言ったシアンに眉根を寄せる。
「なんでだよ?」
「今のままのティルが帰ったら、絶対に怪しまれる」
「え、俺そんなに変な顔してるのか?」
「うん、僕からすると何か違和感がある」
「ふーん……」
 手でぺたぺた頬を触る。そこではっとなった。
 知らずに笑みが浮かんでいる。まったく気付かなかった。
「シアン」
「ん?」
「こういうわけか」
「うん、だからね。今日だけはずっと何を聞かれても黙ってて欲しい」
「黙秘権ってやつだな」
「なんでそんな言葉は知ってるのさ……。まあ、黙ってても当然お母さんは怪しむでしょ。夜にこっそり出ていこうとなんてしたら、絶対にバレる。そして当分機会は訪れない」
「そ、それは困る! シアン! 俺はどうすればいいんだ!」
「セールストークしてるみたいだね。うん、怪しむと言ってもね、お母さんだってずっと気を張っていられるわけじゃない。さすがに眠ると思う。だからその眠ってる朝――というより日が昇るくらいだね。誰も起きていない時に行こう。早朝ならきっと大丈夫だと思う」
 シアンの言葉に、ティルは目を輝かせた。
「おおーっ! さっすがシアンだぜ! でも……もしかしたら俺、寝過ごしちまうかもしれないぞ」
「大丈夫だよ。だってティルさ、まず眠れるの?」
 ティルは今日の夜中ベッドに潜った自分を想像してみる。
 確信する。
「無理だ」
「だよね。じゃあ明日の朝、穴の開いた岩で待ち合わせよう」
「よし……わかった。明日の朝だな」
 ティルは拳を握りしめた。胸が高鳴っている。こんな気持ちは初めてだった。退屈に包まれたような世界の中で、初めて本当の楽しさを見つけた気がした。
「まずこの機械兵をなんとかしよう。見つけられたらまずいからね」
「おう! そうだシアン」
「ん?」
「もしかして……結構前からこうなった時のこと考えてたか?」
「まあそうだね」
「なんだ! やっぱりシアンも外に出たかったんじゃないか!」
「うるさい」
 シアンは顔をしかめた。




 機械兵と、そばに置いていた支給品はティルの馬鹿力を使って、森の立ち入りにくい場所に移された。レーザー銃を持って帰るわけにもいかず、穴の開いた岩の前に隠しておいた。

 村人には何も無かったと笑って、二人は家に戻った。
 ティルは言われた通り怪しまれたが、黙りこくって逃げ続けた。夜中に、部屋の前で床の軋む音がした。母さんだとティルは思った。夜に出かけていたら、絶対に見つかっていた。
 シアンにまた心の中で拍手を送るのだった。




 ――翌日の早朝。
 穴の開いた岩の前で、二人は出会う。
 ティルが手を上げる。
 シアンが笑う。
 レーザー銃を拾って、ティルは言う。
「じゃあ、行こう」
 世界が変わる、決定的な瞬間だった。

まふらー
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まふらー

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